Down

ダバオ空襲

1941.12/8.

 日本軍は開戦とともに北部フィリピンを攻撃することにより撤退してくるアメリカ軍の退路を遮断するとともにオランダ領インドネシアの攻略の足がかりとして中南部フィリピン攻略を計画、その目標地としてレガスピー、ダバオ、ホロを選定していた.

 ダバオはフィリピン南部、同諸島第2の島であるミンダナオ島の南部にある同島最大の都市である.戦前、同地には日本人多数が居留し多くはマニラ麻の生産に従事していた.

 ダバオ攻略には開戦後6日を予定していたが、戦艦プリンス・オヴ・ウェールズを含む有力なイギリス艦隊がインド洋に進出してきた事により艦隊兵力、航空機の配備を日本海軍が見直した事により、開戦後14日に変更した.

 ただ、南比(フィリピン)支援隊として編制された部隊の中には第4航空戦隊所属の空母龍驤があり、比島部隊司令長官高橋伊望中将は同艦搭載機を以ってダバオを開戦当時に空襲するよう命令した.

 これを受けて南比支援隊司令官高木武雄少将は空襲とともに第2水雷戦隊をダバオ湾口に進入させることとした.



Since 18 Aug. 2005.

Last up-dated, 8 May 2011.

The Encyclopedia of World ,Modern Warships.

Davao, 8 Dec. 1941.

Ver.1.05c.

Copyright (c) hush, 2001-5. Allrights Reserved.

Up


動画