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アメリカ第16任務部隊のウェーク攻撃
アメリカ第16任務部隊のウェーク攻撃
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1942年2月14日午後、ハルゼー中将の率いるアメリカ第16任務部隊はハワイ、真珠湾を出港した.
第16任務部隊編制
空母(CV6)エンタープライズ.
重巡洋艦(CA25)ソート・レーク・シティ.(26)ノーザンプトン.
駆逐艦(DD363)バルチ.(380)グリッドレー.(382)クレイヴン.(384)ダンラップ.(385)ファニング.(387)ブルー.(390)ラルフ・タルボット.(400マッコール).(401)モーリー.
第16任務部隊は空母(CV6)エンタープライズを中心とする部隊で、以前は第8任務部隊と呼ばれていたが、実は、任務部隊は第13任務部隊と改名されるはずだった.
しかも、出港が13日に予定されていたことから、迷信深いほうではないがと言いながら行われたハルゼーの抗議により、番号と出港日の改訂が行われていた.
その上、攻撃目標はウェーク島で、日本軍が占領して大鳥島*と改名していたが、このような小さな島を何日もかけて航海して攻撃するのは効率がよくないという意見もあった.
ただ、艦隊司令長官のキング大将は海軍が何もしていないと世間から非難されることを怖れており、太平洋艦隊に対して全力で牽制作戦を命じてきていた.
これは西海岸の旧式戦艦6隻も使えという意味であるので、21ノットの戦艦群に空母の速度に合わせるか、2群に分けるかということになる.
しかし、2群に分けた場合、護衛艦艇が不足するため、ニミッツは空母部隊によるこの島やマーシャル諸島への攻撃を考えた.
ただ、真珠湾での惨禍により使用兵力が限られていたため、ヒットエンドラン作戦が採用された.
このため、空母(CV2)レキシントンを中心とする第11任務部隊が1月22日に真珠湾を出港したが翌23日に伊72の発射した魚雷により給油艦(AO5)ネッチェスが沈没したことによって頓挫した.
太平洋艦隊には、他に任務部隊に給油できる艦艇がなかったからである.
第16任務部隊の出港とともにフレッチャー少将の率いる空母(CV5)ヨークタウン、重巡洋艦(CA34)アストリア、(24)ペンサコーラ、(28)ルイヴィル、駆逐艦(DD411)アンダーソン、(412)ハンマン、(409)シムズ、(416)ウォーク、(414)ラッセルからなる第17任務部隊も真珠湾を出港した.
この部隊もウェーク島攻撃に使われる予定だったが、翌15日、キングの翻意により帰投した.
ニミッツは中部太平洋での日本の対応に即応できる空母を残しておきたかったため、第17部隊には交通路保護の任務につけたかったのである.
2月16日、第17任務部隊は真珠湾を再出港したが、目的地は真珠湾=サモア間であった.
そして、同部隊の最初の任務はCanton島で14日に座礁した輸送船President
Taylor*の救援であった.
このため、給油艦の手配がつくまで延期されていたのだが、22日に第16任務部隊がウェーク島に近づいた時には、天候が悪く、翌日もそうであったので、攻撃は24日に延期された.
もっとも、日の出の1時間前には日本側は起床しており3時30分には第17航空隊の95式2座水上偵察機3機が離水して4時10分には第16任務部隊を視認した.
偵察機が発見したのはスプルーアンス少将が指揮するソート・レーク・シティ、ノーザンプトンと駆逐艦モーリー、バルチからなる砲撃隊で、発見海域はウェークの215度8海里であった.
第5巡洋艦戦隊司令官でもあったスプルーアンスは、麾下に重巡洋艦(CA24)ペンサコーラ、(27)チェスターの2隻も有していたが、前者は第11任務部隊の指揮下にあり、チェスターは2月1日にMaloelap環礁のTaroaを砲撃した際に千歳航空隊の陸上攻撃機の爆撃を受けて修理中であった.
このため、スプルーアンスは空母搭載機との同時攻撃を望んだが、夜明けになっても飛行機は現れなかったので、西南西から島に近づいたスプルーアンスは4時30分には艦載機との協同を諦めて砲撃を開始した.
前後に駆逐艦を挟んだ単縦陣で20ノットで島に接近した砲撃隊は、搭載水上機6機の弾着をもとに約30分間にわたって、まずWilkes島の南砲台を、ついでPeale島の北砲台を砲撃した.
島との延長線上に太陽が位置したことによって、射手は幻惑され、発射速度も、命中率もよくはなかった.
しかも、日本側の記録によると、砲弾の約60%が不発弾で、その処理のほうが手間だったという.
本来、この砲撃は夜明け前を予定されていたので、暗い水平線上からの砲撃により日本側を幻惑させる予定だったのである.
日本側も反撃して北砲台から発射された砲弾が駆逐艦に命中して炎上させたと記されているが、アメリカ側の記録にはない.
また、3機に増えた日本の水上機はノーザンプトンに対して緩降下爆撃も行ったが、爆弾をばらまいただけに終わった.
スプルーアンスが砲撃を終了し、離脱しようとする時、ようやくエンタープライズを発進した航空機が島の上空に到達した.
編制はDouglas SBD Dauntlessが37機、爆装したDouglas
SBD Dauntlessが9機、それにDouglas TBD Devastator戦闘機が7機であったが、うち1機は発艦時のミスで墜落し、荒天によりもう1機が失われた.
無線封止のためスプルーアンスは知る由もなかったが、これらの飛行機は砲撃に合わせてエンタープライズを発進していたが、悪天候により編隊を組むのが遅れたのである.
攻撃隊は9時45分までに戻ってきたが、ドーントレス1機が墜落、搭乗員2名は翌26日にリーフの陰に潜んでいるところを発見され捕虜になった.
アメリカ側は砲爆撃により飛行艇3機*を地上で撃破し7基の燃料タンクを炎上させ、飛行場の機能を喪失させたと報告したが、アメリカ人捕虜がいる可能性があった兵舎への攻撃を避けたので、人的被害は少なかった.
また、島の東方に離脱した砲撃隊は、途中、日本の艦船と遭遇した.
これは前年末にウェークに配備された第65警備隊の特設監視艇3隻のうちの2隻、第5富久丸(154T)と第1見宝丸(179T)であった.
これらは単なる漁船でしかなかったので、一方的な戦いになった.
7時55分、駆逐艦の攻撃を受けて第5富久丸は爆沈、第1見宝丸は行方不明となり、バルチはその乗員4名を救助したが、これはWW2における日本人捕虜としてはきわめて初期のものであった.
*ウェーク島が鳥の形に似ているから大鳥島と命名されたという記述がWikipediaにあるが、日本の南方洋上には鳥島や南鳥島があるので、そちらからの連想であろう.
*この船を離礁させようとした試みはすべて失敗し1952年になって船体は売却され54までに解体された.
日本側の記録では飛行艇の損失は2機である.
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翌25日夕刻、帰投中のハルゼーはニミッツから南鳥島への攻撃を命じる電報を受け取った.
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南鳥島がこのため、
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27 Feb. 2025.




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