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Aug.
2004.
2004年8月9日(月)
やはり長くは続かなかった…
2004年8月8日(日)
昼から飛鳥の石舞台古墳を見に行く事にする.
名阪天理インターを下りて南下する途中、大和(おおやまと)神社の看板がある.
戦艦大和の艦内神社は同社から分祀されたものだったなと思ってハンドルを右に切る.
住宅街の狭い道路を抜けて、こんな所にと言う感じの所に鎮座している.
長い参道の向こうに拝殿がある.
戦没された方々の霊位を慰めた後に何枚か写真を撮らせて戴く.
参拝される方も少なく、実に閑静な神社である.
由緒書きに日本最古の神社とある.
大和の事も最後に触れてあった.
拝殿に掲げられたものの中に庭田尚三氏の名前がある.
大和の設計者の一人として有名な方である.
参道を戻っていくと幾つかの末社の中に祖霊社があった.
大和の戦没者と1945年4月7日の坊ノ岬海戦で亡くなられた第2艦隊第2水雷戦隊各司令部ならびに軽巡洋艦矢矧、駆逐艦冬月、涼月、磯風、浜風、雪風、朝霜、初霜、霞の乗員が祀られている神社である.
大きなものではないが、大切にされていると言う感じがした.
帰途、振り返ると参道の向こうに拝殿が見えた.
途中、天理のJUSCOで食料品を仕入れて外へ出たら雨.
雨脚は段々と強くなり、石舞台の駐車場に車を入れた時には豪雨と言っても良い状態になる.
石舞台の室の中で雨宿りをする内に小降りになる.
遅れてやってきた女性客が連れにこんな所に入るのと騒いでいる.
霊が写りそうとか言っている.
確かにここは墓であり、雨宿りをさせてもらっているここはその中である.
写真を撮るとらしいものが写った.
左端と上方に写っている古代瓦のようなものであるが、どうやら水滴らしい.
蘇我馬子の顔が写ったら嬉しかったのだが….
何となく巨大な蛹の様である.
振り向くと栗の葉陰に石舞台があった.
酒舟石0.4kmと言う標識があったので道路脇に駐車して行ってみる.
帰途、談山神社に寄る.
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