表紙の写真

2005年2月

hush's photo part 2

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旧高茶屋海軍工廠西門跡.

三重県津市高茶屋にあった海軍工廠の数少ない遺構.

2005年2月6日撮影

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伊賀留我神社(三重県四日市市羽津戊523)に残る砲弾.

直径を計測した所、25cmであり、側面部に

大正元年奉納

海軍一等水兵勲八等 相松弥曽七

と、刻んである事から装甲巡洋艦春日の25cm砲弾である可能性がある.

写真左は東京新宿早大通りに残る春日の25cm砲弾(2004年8月15日撮影)で、右が今回の砲弾である(比較のために90度横に向けてある).

一見した所、同じ物の様に見えるがいかがなものであろうか.

ただ、春日の主砲は10インチ(253mm)と記されているものが多く、今回の計測では250mmであったのが、気になっている.

なお、砲弾の内部は砲弾と同様の形状に刳り抜かれており、開口部に7条の螺旋山が切られている.

おそらくは、この空隙部に炸薬を入れて使用する徹甲弾であったものと思われる.

2005年2月12日撮影

補記

この砲弾についても

の画像掲示板に質問させて戴いたところ、

25サンチ砲は春日だけでなく、戦艦鹿島香取相模周防にも使用されていると言う御指摘と、さらにその長さから考えて通常榴弾であると思われるので、新しい被冒型通常弾の採用により不要になったものではないかと言う御教示を頂戴しました.

また、導環に発射された際につく旋条痕らきしきものがあるにも関わらず弾体が完全な形であるので、導環だけ後からそれらしい模造品を取り付けてあるのかも知れないとの事でありました.

以上の御指摘と御教示を戴いた

桜と錨様に

厚く御礼申し上げます.

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奈良県葛城市(旧北葛城郡新庄町)笛吹の葛木坐火雷(かつらぎにいますほのおいかづち)神社、通称笛吹神社境内に残る大砲.

碑文によれば日露戦争時に鹵獲されたロシアの加農(カノン)砲で1907年6月に政府から同神社に奉納されたものだそうです.

(車輪は1976修成したものと碑文に記されており、オリジナルと異なる可能性があります)

この大砲については国立公文書館アジア歴史資料センターで公開されている防衛庁防衛研究所の記録に次のように記されています.

奈良県南葛城郡忍海村大字笛吹

郷社 葛木座火雷神社

一、二十一口径 十五珊加濃   壱門

一、十五珊弾丸           弐個

1907年3月30日

これは日露戦争の勝利を記念して同神社の氏子が戦利品の下付を陸軍省に願い出た際の回答で、同砲が21口径15cmカノン砲である事が分かります.

(砲弾は個人が所有されているようです)

また、この大砲は概観ならびに口径から1877年式6インチ砲である事は間違いないと思われますが、同砲には2種類の形式があり、この砲がどちらのものかは今後の調査が必要です.

なお、この大砲について

の画像掲示板に質問させて戴いたところ、

主宰の

いちのへ様をはじめ

堤 明夫教授

べちゅーしゅか様

より、貴重な情報を賜りました.

御尽力ならびに御協力に厚く御礼申し上げるとともに、写真以外の情報につきましては、上記の皆様に御提供戴いたものであることを末筆ながら記させて戴きます.

2005年1月31日撮影


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