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表紙の写真

2008年9月

清国(北洋水師)、定遠級装甲砲塔艦の30cm砲弾.

氷室神社は奈良県奈良市の奈良国立博物館の道を隔てて北隣に位置する神社である.

この神社の舞台(舞殿)の裾に砲弾が置かれているのは以前から気になっていた(写真右下の楕円部分).

ただ、この砲弾の出自は30cm級砲弾であると言う事以外は分からなかった.

ある日、何度目かの訪問をした際に、舞台の掃除をしていた方がおられた.

この砲弾の事をお聞きすると、その方は舞台の上に置かれた拝殿周辺禁煙と書かれた木札をひっくり返して下さった.

そこには「明治二十七年定遠又は鎮遠ドイツ、クルップ製32cm砲弾」と書かれてあったのだ(禁煙札をクリックして下さい).

定遠鎮遠の砲弾ですかと私が驚いて言うと、その方は逆にそれは何ですかとお聞きになられたので、説明をさせて戴いた.

明治27(1894)年は日清戦争の始まった年であり、この艦は当時の清国の主力艦であった、と.

ついで、この砲弾がここに奉納された由来をお聞きしたのだが、そちらは御存じなかった.

しかし、お陰で数年来の疑問を解くことができて嬉しくなり、御礼を言って神社を後にしたのである.

2007年12月16日撮影(2008年9月29日記載).

写真をアップしてから、何かおかしいと思っていたが、先日、

の新見志郎艦長が一言書いて下さったので思い出した.

定遠鎮遠の砲弾ならば32cmのはずがないのだ.

同級の砲弾は30.5cmであり、32cmは三景艦と呼ばれた日本の厳島級海防艦のそれである.

下記の写真を見て戴ければ分かるが、砲弾の一周は約97cm.

これを3.14で割ると30.9cm.

片手でメジャーを持ちながら反対の手で撮影した写真であるので、若干の誤差を含めて考えると、定遠鎮遠の砲弾と考えてもよいであろう.

もっとも、その後の日本戦艦の主砲は30.5cmとなっているので、そちらの砲弾である可能性は否定できないであろうが.

示唆を与えて下さった

新見艦長に感謝.

2008年10月3日補記

と書いたら、の桜と錨様から「加式32糎砲弾も安式12吋砲弾も形状が異なりますので、写真のものは克式で間違いありません」との書き込みを掲示板に頂戴しました.

ネット上にある同級の砲弾、たとえば和歌山県有田市の須佐神社の境内にある定遠の砲弾等は形状は先端部でやや異なるものの近似したものであり、そう断定してもよさそうである.

2008年10月6日補記


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