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Nenohi.
子日.
[暦]子の日.
十二支の第1位である子にあたる日.
特に正月の最初の子の日である初子Hatsuneの日.
古来、この初子の日に、郊外の野に出て若菜を摘み、小松を引いて無病息災を願ったが、このことを子の日の遊びと称した.
この若菜摘みの風景を描いたのが「百人一首」に収められた光孝天皇、830/84-7の「君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ」(「古今集、春21」)である.
このうち、若菜を摘むことは、小正月(1/15)の七草粥と重なり1362頃に四辻善成Yotsuji
Yoshinari、1326-1402が書いた「源氏物語」注釈書である「河海抄Kakaisho」に引用された作者不詳の歌「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」以降、現在のセリ(芹Oenanthe javanica)、ナズナ(薺Capsella bursa-pastoris)、ゴギョウ(御形=ハハコグサGnaphalium
affine)、ハコベラ(繁縷=コハコベStellaria media)、タビラコ(田平子=ホトケノザLapsana apogonoides Maxim)、スズナ(菘=カブBrassica
rapa)、スズシロ(蘿蔔=ダイコンRaphanus sativus var. longipinnatus)の春の七草を摘むことと考えられるようになったが、本来は七種粥と書かかれ、「延喜式」に餅粥(望粥)の名で登場する米、粟、黍、稗、みの(=ムツオレグサGlyceria acutiflora?)、胡麻、小豆の7種の穀物を煮て作った粥のことであった.
2009年1月11日、京都市上京区にて.
また、引かれた松は根延び(子の日)の松と呼ばれ、長寿の呪物として家に持ち帰られたが、現在でも関西の旧家等で根つきの松を白い和紙で包み、金赤の水引を掛けて玄関の両側に飾る風習があり、これを略して松の折枝を飾る家庭もある.
これが発展したものが門松であるが、江戸時代には松の枝を切らずに2階に届くほどの高さのものを一対飾ったが、現在では竹のほうが目立つようになった.

Illustrated by Mr.
Yamamoto Tomekichi.
Courtesy of
.Special
Thanks !
また、子の日の松の略.
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駆逐艦子日
日本@ 改春雨/神風級駆逐艦(20/32)
IJN Kamikae class destroyer.
Illustrated
by SUDO.
1904計画第20号駆逐艦として呉工廠に発注05.2/15軍艦子日と命名8/30進水10/1竣工し舞鶴鎮守府籍
12/12駆逐艦子日となり姉妹艦潮と第5駆逐隊を編制、(06.3/6-5/10兼朝風)艦長鈴木氏正(兵22)少佐
06.9/13(-12/20兼朝風)艦長田中吉太郎(兵24)大尉
07.2/9艦長有田秀通(兵27)大尉
08.7/11兼朝風艦長武富咸一(兵27)大尉9/25(09.12/1-10.12/1兼潮)艦長佐川英夫(兵27)大尉
11.5/23艦長大島衛義大尉12/1(12.12/1-/20兼若葉)艦長伊東真三郎(兵27)少佐、乗員藤岡晴次(兵33)大尉、山県少介(兵34)大尉
13.12/1乗員野村直邦(兵35)大尉
14.5/27艦長黒田勇吉(兵28)少佐
WW1時に青島方面に出動
15.4/1第5駆逐隊(駆逐艦潮、子日、若葉、朝風)は第14駆逐隊と第3艦隊隷下に第3水雷戦隊を新編12/13装甲巡洋艦春日を第3水雷戦隊に編入、艦長増田重義(兵33)大尉>森繁二(兵33)大尉
16.12/1艦長染河啓三大尉
18.4/1第5駆逐隊を第31駆逐隊と改称6/1艦長吉田健介(兵33)大尉
19.12/1艦長島村綱雄(兵36)大尉
20.12/1艦長大井吉郎大尉
22.1/10(艦長>)兼潮艦長山本正夫大尉12/1舞鶴鎮守府の廃止により佐世保鎮守府籍となり第31駆逐隊を第30駆逐隊と改称
23.12/1第30駆逐隊の解隊により第29駆逐隊に編入
24.12/1第29駆逐隊の解隊により掃海艇となり潮等とともに佐世保鎮守府隷下に第11掃海隊を新編、(-26.12/1)艇長河西虎三(兵42)大尉
27.1/10第11掃海隊を解隊
28.4/1除籍7/6廃駆第13号と仮称29.1/31廃船.
1920.11/15子日艦長鈴木田幸造(兵37)大尉とする資料もあるが、「官報」は潮艦長とする.
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駆逐艦子日
日本A 初春級駆逐艦(2/4+2+6)
IJN Hatsuharu class destroyer.
Illustrated
by Iyapopo.
1931第1次補充計画甲型第60号(一等)駆逐艦
浦賀船渠で31.12/15起工
32.8/1駆逐艦子日と命名12/22進水
33.5/20艤装員長植田弘之介(兵42)少佐(11/15中佐)8/23館山沖で実施された全力公試時に36.6knt/43300shp/1720t(標準全力)、37.6knt/47150shp/1678t(公試全力)を発揮したが復原性能に疑問を生じ9/18実施された8/10全力の旋回力公試時に最大傾斜27゚と従来艦より約10゚大きな数値を記録/30植田艦長の指揮下に竣工し佐世保鎮守府籍となり同時に竣工した姉妹艦初春と第21駆逐隊を新編、航海長岡嶋孝(兵50)大尉、水雷長由川周吉(兵51)大尉、機関長坂倉武(機31)機関大尉、乗員高塚実(兵56)中尉、高岡健吉(機37)機関中尉
33.12/11第21駆逐隊は佐世保警備戦隊に編入
34.3/12発生した水雷艇友鶴転覆事件により復原性能改善の目的で呉工廠でビルジより上甲板に達するバルジを新設7/20工事完了後兵装の一部撤去、移設を含む復舷性能改善工事を実施9/27竣工した姉妹艦初霜を10/31竣工した姉妹艦若葉を第21駆逐隊に編入11/15第21駆逐隊は軽巡洋艦阿武隈等と第1艦隊隷下に第1水雷戦隊を新編、水雷長古賀弥周次(兵50)大尉
35第4艦隊事件により船体補強工事を実施11/9艦長長井純隆(兵50)少佐/15水雷長黒木照男(兵52)大尉
36.3公試で33.3knt/2070tを記録5/9工事完了12/1艦長丸安金兎(兵47)少佐>岡本次郎(兵50)少佐
37.12/1予備艦、(-38.12/15兼初春)艦長新谷喜一(兵50)少佐、水雷長佐川通夫(兵54)大尉転任
38.11/15航海長大西快治(兵61)大尉12/15第21駆逐隊は軽巡洋艦川内等と第1艦隊隷下に第1水雷戦隊を編成
39.1or10/10艦長杉岡孝七(兵49)少佐/25第5艦隊付属に編入11/15第2遣支艦隊第15戦隊に編入
40.7/10艦長松本作次(兵53)少佐11/15第21駆逐隊は阿武隈等と第1艦隊隷下に第1水雷戦隊を編制、艦長千本木十三四(兵52)少佐、機関長長谷部二郎(機38)機関大尉転任、水雷長上野保兵衛(兵64)中尉(41.5/15大尉)、航海長(-41.8/25)葛原智司(兵66)中尉
41.4/21乗員服部義明(兵68)少尉(42.3/16中尉)8/20乗員(10/15中尉、航海長)阿久根又男(兵67)少尉/25水雷長内田泰(兵64)大尉9/10砲術長矢倉敏(兵58)大尉転任12/8開戦時、連合艦隊第1艦隊第1水雷戦隊第21駆逐隊(子日、初春、初霜、若葉)所属.1200第21駆逐隊は戦艦長門等からなる主力部隊を護送して柱島出港/10母島南方を通過/11.0600反転/13柱島帰投/18徳山出港後空母赤城等からなる機動部隊と合流/23柱島帰投
42.1/14第21駆逐隊は徳山出港後第101燃料廠のタンカーを護送/22-3ダバオ寄港/24軽巡洋艦長良等とともにケンダリー攻略部隊に編入/25ケンダリー沖で長良と衝突した初春を護送して/29ダバオ入港2/8第21駆逐隊(初春欠)はマカッサル攻略部隊に/18バリBali、ロンボックLombok攻略に参加/28-3/1バリ海峡で哨戒中、アメリカ駆逐艦4隻と交戦/16マカッサル出港/25佐世保入港後入渠整備
4/1水雷長西村正直(兵66)中尉(5/1大尉-6/1)/20艦長寺内三郎(兵54)少佐/25水雷長三好新太郎(兵68)中尉5/20軽巡洋艦阿武隈等からなる第1水雷戦隊は北方部隊に編入/26佐世保出港/28-9大湊寄港後第21駆逐隊第2小隊(子日、初霜)は重巡洋艦那智を護衛してアリューシャン作戦に参加6/7キスカ/8アッツ攻略に参加後/10までアッツ近海で哨戒任務に従事/15阿武隈、若葉とともにアムチトカAmchitka島の飛行場適地を偵察
7/5アガッツAgattu島ドック岬沖(52゚15'N/173゚51'E)で哨戒任務に従事中、アメリカ潜水艦(SS201)トライトンの発射した魚雷を受けて5分間で沈没し寺内艦長、砲術長松浦秀人(兵62)大尉、三好水雷長、阿久根航海長以下188名が死亡、駆逐艦電が36名を救出(同級中、最初の戦没艦)/31除籍.
IJN Hatsuharu class destroyer Nenohi.
信号符字JGGD.
特定の日が日本海軍艦艇の名に採用された唯一の例.
Since 2 Jan.
2012.
Last up-dated,
2 Jan. 2012.




The Encyclopedia of World ,Modern Warships.
Nena-.
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