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trivia's trivia

#101

しかし、江戸時代以前にミイラという語があったのならば、どこへミイラを取りに行ったのだろうか.

ミイラの本場と言えばエジプトだが、この時代、日本人が、インドを越えて取りに行ったとは思えない.

その存在を知っていたかどうかも疑問である.

にもかかわらず、ミイラ取りという語があるのだから、どこかにミイラがいたはずである.

それどころか、江戸時代の日本の輸出品目の中には、ミイラがある.

そして、大英博物館やオランダのライデン博物館のような錚々たる場所に、日本産のミイラが収められており、現存している.

つまり、どこかにどころではなく、日本国内にミイラのとれる場所があったということである.

2015.7/25

#102

実は、ミイラは奥州にあったされる.

もっとも、奥州には藤原三代のミイラとされるものはあるが、ここでいうミイラは、どうも違うようである.

奥州は東方にある.

つまり、日の出る方角であるので、太陽に近づくことになるので、ひどい暑さである.

このため、海岸には黒焦げになったミイラがたくさん横たわっているという、本気とも冗談ともつかぬ話が残っているからである.

そして、このミイラを取りに行く人は、自身も太陽に灼かれて黒焦げになるという.

つまり、ミイラ取りがミイラになるのである.

先に紹介した「手まはしのよき身は焼けぬ木乃伊取」という句は、このことを理解していないと意味をなさない.

ミイラを取りに行く者は、万全の炎熱対策をして行ったのである.

2015.7/25

#103

八百比丘尼というのは、高橋留美子の漫画等で有名だが、人魚の肉を食らって不老不死になった女性である.

その伝説は日本中に広がっているので、人魚が不老不死の薬であるというのは、随分と知られた話であったのであろう.

しかし、人魚の肉を手に入れるのは容易ではない.

ただ、はるか東方、太陽の出るあたりの海岸には、黒焦げになった人魚のミイラが転がっているという.

ミイラ取りが狙ったのは、これである.

この肉を服せば、不老不死になれると信じられており、万病を治すと考えられていたからである.

2015.7/26

#104

もっとも、ミイラはともかくとして、人魚がこの世にいるとは思えない.

したがって、日本から輸出されたミイラというのは、偽物ということになる.

実際、サルと魚を使って精巧な人魚のミイラを作る職人がいたそうである.

そして、これらのミイラを、欧米では日本の民俗として収集したのだが、本来は薬用だったはずである

(西欧でも薬用だったという説もある).

益軒が「大和本草」にミイラを収めたのが、その証左である.

本草学は民俗学の先駆と呼ばれることも多いが、本来は薬学である.

益軒は、薬用植物1362種について記述したが、関心はそれに留まらず、薬として使われる動物や鉱物についても記している.

ミイラは、その一環として収められたものであり、彼が「紅毛医」の見解を紹介しているのもこのためである.

2015.7/29.

#105

しかし、東に行ったからといって、暑くなるわけがない.

太陽に近づけるわけではないからである.

したがって、これは地球が球形であるということを知らなかった時代の産物である.

太陽を追いかけて、ひたすら真直ぐに、山も海も無視して進めば、元の場所に戻るということを知らなかったのである.

しかし、日本の東方には海が広がっているので、人々は陸伝いに行くしかない.

そして、これだと、東ではなく、東北、場合によっては北に進むことになる.

つまり、酷暑どころか、酷寒の地に行ってしまうのである.

にもかかわらず、人々はその向こうにミイラの横たわる海岸があると信じていた.

したがって、蝦夷や千島の知識が入ってくると、その向こうに、太陽の出る地があると考えられた.

そして、その地を日の本と呼んだのである.

2015.8/1

#106

つまり、「ひのもと」とは東の意味である.

ならば、秀吉の書簡にあるそれも東の意味であろう.

したがって、安倍氏が日の丸を使用していたというのは不思議でもなんでもない.

もっとも、絵の作者のほうが「ひのもと」の安倍氏なのだからということで、日の丸を描き込んだという可能性はある.

しかし、どちらにしろ、「ひのもと」は東であり、太陽の出る場所であった.

そして、東という方位を表す言葉であったのであれば、具体的な地名にはなりにくい.

東に行けば行くほど、東は遠のくからである.

もちろん、鎌倉幕府の公式記録が「吾妻鏡」と称されたように、吾妻という名称はある.

しかし、それは東国一円を収めているという自負のもとに成立したものであって、最初から吾妻であったわけではない.

東京という言葉もそうである.

天皇が千代田城に移り住んだことにより、江戸を改名したわけだが、本来なら京都と改名すべきであった.

しかし、平安京以来の伝統がある都を無視することができなかったので、仕方なしにそうしたわけである.

ただ、東京と改名するに当たっては、都も西京と改名されてはいる.

したがって、それなりの主張はあったのだろうが、西京という言葉はほとんど使われなかったのだから、結局は方位を表すだけになった.

また、木曽義仲が朝日将軍と称したと「平家物語」にあるのも、東国からやってきた将軍の意味である.

木曽は長野県木曽郡木曽町の木曽谷に由来するからであり、ここに本拠を置いていたからである.

つまり、あくまでも中心は京都であり、越前、越中、越後、あるいは、備前、備中、備後のように、そこから遠のくに従って上中下と名付けたのと同じ意識である.

当然、「ひのもと」は国号にはなりえない.

2015年8月14日

#107

これに対し、日本は別の意味で用いられた.

もちろん、国号としてだが、その読み方は、当然、「ひのもと」ではない.

では、「にほん」もしくは「にっぽん」だったのかというと、「霊異記」には「ニチホン」と振り仮名が付記されたものがある.

したがって、初期の読み方は「にちほん」だったということになる.

ただ、上代日本語では「ほ」は「フォ」と発音されていた.

これは、「日葡辞書」等でホがFoと表記されていることでも分かる.

したがって、奈良時代末期に成立されたこの本の表記は「ニチホン」でも、「ニチフォン」と読まれていたはずである.

そして、上代より前では「ほ」は「ポ」と発音されていたとされるので、その当時にこの語があれば、「ニチポン」と読まれていたということになる.

したがって、「ニチフォン」が「ニッフォン」と詰音便化した後に先祖返りして「ニッポン」となったというのはありそうな道筋である.

また、「ニチフォン」が、「ニチホン」と現在の音に変化する課程のどこかで1音をなくしていったというのもありそうな話である.

もしかすると、ニチフォン→ニッフォン→ニッホン→ニホンという変化だったのかもしれない.

ただし、ニッホンという読み方の実例が見当たらない上に、言語学の熱心な学徒ではなかったので、どちらが正しいのかは知らない.

2015年9月4日.

#108

もちろん、日本という文字は「霊異記」以前にも使われている.

たとえば、「日本書紀」は、書名に日本がついている.

しかし、「霊異記」以前のもので音読みが判明しているものはない.

常識的に考えれば、「ニチホン」と呉音で読むか、漢音で「ジツホン」と読む以外にはない.

そして、「日葡辞書」等で「ジッポン」という読みが記されていることを考えると、後者もあながちあり得ないというわけではなかろうと思う.

したがって、現在ではニホンとニッポンという読み方しかないが、かつてはもっと様々な読み方があったはずである.

そして、時代と地域を違えながら、これらは共存していたと考えるほうがよい.

ただ、日本という語を使用する機会は多くはなかったと思われる.

国号を使用するには、他国の存在が必要だからである.

そして、本邦の場合、中国や韓国等と接しているが、それは、陸地ではなく、海上を通してである.

したがって、遣隋使、遣唐使をはじめとして、異国との接触はたくさんあったが、それは日常的なものではない.

日本という国号と、東を意味する「ひのもと」が同時に並行して存在しえたのは、このことが大きいはずである.

2015年9月5日

#109

「国境の長いトンネルを超えると雪国であった」

川端康成の「雪国」の冒頭であるが、このトンネルは長野=新潟間に横たわる清水トンネルであったとされる.

つまり、この国境は日本と海外のそれではない.

また、海峡トンネルを抜けてイギリスへ行ったら、雪景色であったということでもない.

日本国内、信濃=越後国境という意味である.

このためだろうと思うが、「こっきょう」ではなく「くにざかい」と読むべきだという話もある.

現在、私達は国境と聞くと、中露国境というように海外のそれを思い浮かべる.

実際、私はこの「国境」が日本国内のそれであるとは思ってもいなかった.

しかし、1899年に生まれた川端康成にとって、国とは、たとえば信濃であり、越後であったのである.

彼だけでなく、ほとんどの日本人にとって、国境は、海外ではなく、日本国内にあった.

でなければ、日本国内に舞台を持つこの小説で、国境という言葉はおかしいだろうという話になるはずである.

2015年9月11日

#110

江戸時代、国と言えば、大和国、武蔵国というような律令国のことであった.

したがって、日本という国のことに思いを馳せる人は少なかった.

これは、江戸時代に限らず、それ以前においても、それ以降においてもそうであった.

ただ、「三国一」という言葉がある.

三国とは、唐土(中国)、天竺(インド)、本朝(日本)のことである.

そして、この三つは、当時の全世界であるので、世界一という意味であり、三国一の花嫁という言い方で人口に膾炙している.

つまり、当時の日本人は、現在より小さい範囲ではあるが、世界を意識していたということになる.

当然、日本という国についても意識していたはずであるということにもなる.

しかし、この言葉は「義経記」に出てくるのが最初である.

2015年9月12日

#111

1274年、元が日本に侵攻した.

この侵攻の前、元は6度にわたって使者を送ってきている.

興味深いのは、第5、6次の使者として来日した元の文官、趙良弼の報告である.

彼は、皇帝フビライに、侵攻の無益さを訴えているのである.

「得其人不可役、得其地不加富(その人を得ても役さず、その地を得ても富を加えず)」

日本人は乱暴な上に上下の礼も知らず、土地は山が多く耕作に適しないというのである.

また、風が一定でないので、海を渡るのも難しい.

これでは有用の民で無窮の巨壑(巨大な谷)を埋めるようなものである、というのである.

えらい言われようであるが、中国側の感想ではそうであった.

2015年9月25日

#112

当時、元の役人として使われていたマルコ=ポーロによれば、サパング(ジパング)は黄金の国であるとしている.

東大寺の大仏が金に覆われていたこと、金閣寺、中尊寺金色堂等を考えると、日本は確かに金の一大産出国である.

以前にも書いたが、南アフリカで金が産出するまで、最大の金の産出国は日本であった.

したがって、フビライは、この金を狙って侵攻を企てたのだというのが、マルコ=ポーロの見解である.

これが正しいかどうかは知らないが、結果としてフビライは日本を攻めた.

もっとも、フビライは趙良弼の諌止を受け入れて、一度は日本侵攻を取りやめにしている.

「その地を得ても富を加えず」と言われて、気持ちが萎えたのであろうか.

しかし、結局、侵攻したのは征服欲のなせるものなのかもしれない.

2015年10月9日.

#112

ただ、日本は自然豊かであり、鉱物資源に恵まれていたが、国土が狭小である.

しかも、山地が多いので居住可能面積はさらに少ないが、その割には人口が多い.

その上、四周を海に囲まれており、攻めるには難しい場所である.

したがって、現在でもそうだが、この島を占領しても、それほどの益にはならない.

また、たとえ占領したとしても、これだけ多数の人間がいるのだから、維持することは非常に難しい.

この国が、他国にほとんど侵攻されなかったのは、このためである.

また、このために、この国の人は、ほとんど海外に関心を示さなかった.

2015年10月12日

#113

今朝、カウンターを確認しましたらを記録していました.

なかなか更新が進まないサイトでありますが、今後ともよろしく御願い申し上げます.

2015年10月30日

#114

リンゴは寒冷地の果物である.

したがって、中東にあったとされるエデンの園でアダムとイヴが食べたとされる果物はリンゴであるはずがない.

これはラテン語で「善悪の知識の木」の「悪の」を意味するmalusにリンゴの意味があったからとされる.

2015年11月9日

#115

ようやく「世界の艦船」の今月号を入手.

30ページを開けてみて、御免なさいねと思う.

2015年12月29日

#116

今年も余すところあと1日.

多数の御乗艦ありがとうございました.

来年もよろしく御願い申し上げます.

2015年12月31日

#117

明けましておめでとうございます.

今年こそ平和な年になりますよう祈っております.

本年もよろしく御願い申し上げます.

2016年1月1日

#118

ミロのヴィーナスの失われた腕はリンゴをつかんでいたという説がある.

トロイ戦争の発端になったリンゴである.

また、ギリシャ神話にはヘスペリデスの黄金のリンゴという話も載っている.

しかし、このリンゴは我々が知っているリンゴではない.

2016年1月4日

#119

リンゴの原産地はカザフスタンである.

したがって、中国や南北アメリカ大陸等に比べると、ギリシャとの距離はかなり近い.

実際、ローマ帝国では果樹の栽培が人気であり、リンゴの栽培も盛んであった.

ただ、ギリシャ神話の時代はこれより何世紀も前である.

そして、この時代、リンゴはギリシャに伝わってきていなかったのである.

また、伝わってきていたとしても、食べられるようなものではなかったのである.

2016年1月6日

#120

古代ギリシャにリンゴはなかった.

では、トロイ戦争の発端になったり、ヘスペリデスの園に生えていたリンゴは何だったかというとメロンである.

ただし、このメロンは、我々の知っているメロンではない.

メロンはインドが原産地で、エジプトからヨーロッパに伝わったのは紀元前5世紀である.

ただし、この当時のメロンは、キュウリよりは甘いぐらいで、ルネッサンスの頃にフランスで品種完了されるまでは野菜に分類されていた.

リンゴというイメージとは程遠い.

2016年1月13日

#121

古代ギリシャでメロンと呼ばれたものは多い.

というのは、果物はすべてメロンと呼ばれたからである.

後にマルメロのみが独立した呼称になるようだが、木になるものはすべてメロンであったのである.

したがって、ギリシャ神話に登場するメロンが何であったかは分からない.

ただ、古代ローマの人々がギリシャの神々を自らの神々と同一視した際、メロンはリンゴと訳されたのである.

ローマにおいて、最も愛された果物がリンゴであったからである.

2016年1月15日

#122

もっとも、現在ギリシャ語でリンゴはミーロと言い、メロンに由来する.

これに対して、メロンはペポニと呼ばれるが、これはメロペポーンという語に由来する.

つまり、ペポニ(ぺポーン)の果樹であるが、この語は熟すという言葉から瓜を意味するになったようで、

英語のパンプキン、つまりカボチャの語源になっている.

もっとも、熟すという意味は保存されたようで、英語のパンプキンはオレンジ色のものだけを指す.

したがって、日本に多い緑色のカボチャはスクウォッシュということになる.

2016年1月17日

#123

したがって、pomme d'amour(愛のポム)はトマトであり、pomme de pin(松のポム)は松ぼっくりのことになる.

他にもフトモモがpomme rose(バラ色のポム)、ニガウリがpomme de merveille(驚きのポム)、バンレイシがpomme cannelle(シナモンのポム)と、用例は多い.

うち、トマトについては注釈が必要であろう.

トマトが最初に入ってきた時、ヨーロッパの人々はマンドラゴラの仲間と考えたのである.

マンドレークとも呼ばれるマンドラゴラは、毒草だが、精力剤とも考えられていた.

その仲間であるがために、愛のポムなどという名がついたのである.

2016年1月19日

#124

ポン・ジュースというのは、えひめ飲料という愛媛農協が母体になった会社の出しているジュースである.

このポンというのは、日本一になるようにと意味合いで名付けられたそうだが、果実のポムも視野に入れているようで、容器にPOMと大書されており、PONではない.

ところで、愛媛県の一部地方でポンは大便を意味するという.

このため、コピー・ライターの持ってきた案に反対する声もあったようである.

この時、時の愛媛県知事久松定武がフランス語でよい、おいしいを意味するボンと発音が似ているからという理由で決定したとある.

このため、久松知事が命名者となっているが、この人は伊予松山藩主久松家の嫡流であるが、東京生まれの東京育ちである.

したがって、そのような方言など知らずに「命名」したのではないかと疑っている.

2016年1月20日

#125

トマトはイタリア語ではpomodoroで、黄金の果実(ポマ)を意味する.

したがって、イタリアに入ってきたトマトは、赤ではなく、黄色い品種のものであったということになる.

ところで、このイタリア語のポマという言葉からは、ポマードという整髪料を思い出される方もおられるかもしれない.

しかし、それは気のせいではない.

ポマードは、果実を原料にしていた時代があるからであるが、甘い匂いとともに、ハエが大いに集まりそうである.

おしゃれは、時に恐ろしい.

2016年1月20日

#126

パイナップルは、松pine+リンゴappleなので、松ぼっくり(松の実)に似た、

リンゴのような味の果物の果物と解されそうだが、実は少し違う.

フランス語やイタリア語で見たように、アップルも果物全般を指す語であったからである.

実際、英語には、アボガドやカシューの実(その種がカシューナッツ)、さらにはナスまでもがアップルと呼ばれていた時代がある.

植物の実は、小さければベリーであり、やや大きいものはすべてアップルだったのである.

うち、ベリーについては、ラズベリー、ブルーベリー、ストロベリーと、今でも多用されているが、

アップルのほうはリンゴの意味で使われるのが普通である.

しかし、たとえば、19世紀のアメリカでは、野球のボールまでがアップルと呼ばれていたように、

アップルはリンゴだけを指す語ではなかった.

そして、その中に松ぼっくりがあり、パイナップルは、本来、これを指す語であった.

つまり、外見が似ていたのでパイナップルと呼ばれるようになり、そのまま定着してしまったのである.

2016年1月26日

#127

パイナップルというと、手榴弾を想起される方も多いと思う.

これは、アメリカのMkII手榴弾の通称名に由来する.

本体表面に、刻み目があり、その間に多数の四角形の突起があること、

そして、紡錘状の形状に安全レヴァーを付けた様子がパイナップルそっくりだったからである.

この手榴弾は1918年に開発されたが、2次大戦後も使われ、50年代に新しいM26手榴弾が開発されるまで使用された.

しかし、30年以上にわたって使用されてきたため、新手榴弾の登場後も多数の在庫があったようで、

さらに10年間、60年代まで各国で使われてきた.

日本でも自衛隊が使用されていたので、手榴弾というとパイナップルということになったのであろうと思われる.

2016年1月27日

#128

この特徴的な刻み目は、本来、滑り止めであったが、爆発時の破片を一定の大きさに保つ目的もあった.

しかし、研究の結果、外側ではなく、内側に刻まないとそのような効果がないと判明する.

このため、1950年代から使用が始まったM26手榴弾の表面は滑らかになった.

その代り、刻み目のついた鋼製ワイヤーが裏側に張り付いている.

このため、同手榴弾はレモンと俗称された.

しかし、日本では、手榴弾はあくまでもパイナップルであったようである.

1985年から88年に連載された手榴弾を多用する元傭兵を主人公にした漫画が「パイナップルARMY」と名付けられているからである.

手元に本がないので確認できないが、主人公が傭兵だったのは70年代であり、この時代、MkII手榴弾はすでに使用されていないと思われる.

もっとも、「レモンARMY」ではタイトルになりにくいだろうとは思うが.

2016年1月29日

#129

現行のM67手榴弾はM26より丸みを帯びている.

このため、その形状もあって、アップルと呼ばれている.

したがって、アメリカの手榴弾は植物名に由来する俗名を持つとなるのだが、もう一つ、植物名に由来するものがある.

手榴弾の英名グレネードである.

Grenadeは、同じ綴りのフランス語に由来するが、その意味はザクロである.

ザクロの実は、硬い殻の中に果肉に包まれた粒状の赤い種が入っており、たしかに爆弾のイメージである.

しかも、近世ヨーロッパに登場した、手榴弾の前身である擲弾は、ザクロそっくりの形状をしていた.

ただし、爆発は信管によるものではなく、火縄である.

2016年1月31日

#130

このため、これを投げる役目のものは、危険を冒す覚悟のある者でなければならなかった.

当時の擲弾は鋳鉄でできており、そのもろさを補うため、極めて肉厚にできていた.

当然、かなりの重量があり、それほど遠くまで投げることはできず、銃弾の飛び交う中、相手に肉薄する必要があったからである.

その上、肩が強い等の肉体能力の優秀なほうが有利であったので、擲弾兵は精強な者が選ばれる傾向にあった.

現在でも、イギリスの近衛擲弾兵連隊等のように精鋭部隊の称号として、擲弾兵の名が残されているのはこのためであり、

カラビニエリ(カービン銃隊)と称されるイタリアの憲兵隊等に擲弾の形を模した部隊章がついているのもそうである.

2016年2月2日

#131

しかし、なぜ、松ぼっくりがパイナップルと呼ばれたのだろう.

アップルと名付けられたものの多くは食べられるのだから、これも食用だったに違いない.

たとえば、中国や韓国では松の実を食用にする.

特に、仙人になるためには、五穀を断つ必要があるので、道教では松が重要視されていた.

実だけでなく、葉や、樹皮すらも仙薬として知られており、仙人もこれらを常食していた.

したがって、薬膳として一般の食卓にも上るが、他の仙薬のように危険なものではない.

2016年2月4日

#132

というのは、神仙術の最高の薬とされる丹は、水銀だからである.

これで不老不死になれるとされるが、水銀は神経毒である.

もっとも有名なのは水俣病であるが、奈良の大仏建立の際にも、原因不明の病気が発生し死者も出たという.

大仏に鍍金するのに、金と水銀の合金を用いたからである.

合金を張った後に加熱して、水銀を気化させて金だけにしたのである.

したがって、これは気化した水銀を吸い込んだ中毒の可能性が高い.

2016年2月7日

#133

秦の始皇帝は、永遠の命を求めたが、彼が死んだのは仙薬とされた丹の副作用であったといわれる.

もっとも、始皇帝は49歳で死んでいるが、紀元前3世紀という時代を考えると、そう短命だとも思えない.

これに対し、松の場合は、特に危険なアルカロイド等は含んでいないので、問題はないのであろう.

もちろん、これで仙人になれるとも思えないし、食べて体の不調を訴えられても、当方の関知するところではないのだが.

2016年2月9日

#134

しかし、欧米でもそうなのだろうかと思って調べてみると、イタリア料理にあった.

ただ、これら食用になる松の実は、種子が大きい種類である.

日本の松の種子には、本体の数倍の大きさの羽がついている.

種子はこの羽を使って、風に乗り、遠くまで拡散するのである.

しかし、中国や韓国、それにヨーロッパで食用にされるものは羽がない.

そのかわり、種子が大きく、殻に覆われている.

小動物が貯蓄した中で、忘れられたものが発芽し、勢力範囲を広げるという方式なのである.

2016年2月12日

#135

最近、人名事典の更新を行っているが、「現役海軍士官名簿」で調べていると読み方が特殊で驚くことがある.

たとえば、太平洋戦争中の潜水艦長として有名な花房博志(兵51)大佐である.

Wikipedia等でも「ひろし」となっているが、同書には「ハクシ」とわざわざ片仮名で振り仮名がつけてある.

もっとも、嶋田繁太郎(兵32)大将の嶋田を島田と記している年度もあり、同書に完全に信を置くのも危険ではあろう.

ただ、博志を「はくし」と読むのはかなり特殊であり、何らかの根拠がないと記さないと思う.

2016年2月16日

#136

同書はすべての名に振り仮名がついているわけではない.

したがって、正一という名を、しょういち、せいいち、ただいち、ただかず、まさいち、まさかずのいずれなのかと判断に迷う部分があるのだが、このあたりが分からない.

苗字の「谷」が、「たに」と読むのか、「や」と読むのかも分からないことが多い.

そのくせ、春芳などという普通に読めるだろうと思う名前に「ハルヨシ」と振ってあって、基準がよく分からない.

ただ、これは読めないだろうという名前には概ね振ってあるので、非常に便利であり、そう読むのかと驚くことも多い.

したがって、「はくし」が恐らくは正解であろうと思うが、それを確かめるすべがないのが残念である.

2016年3月18日

#137

米内光政の苗字の読み方を聞いて、「よない」じゃなくて「よめない」だと言った人がいると、どこかで読んだことがある.

たしかに、米内を「よない」とは「よめない」ので、なかなか秀逸な意見かと思うが、なぜ、米内は「よない」と読むのだろうか.

米内は「よねうち、よねない、こめうち」と読まれる場合もあるので、この「よねない」から転じたものと考えることは可能である.

では、「よねない」とは、どういう意味なのかと考えると、これが分からない.

2016年3月11日

#138

「よね」が米の意味であるらしいことは、その漢字表記からいって推定はできるのだが、人名や地名以外で「よね」という言葉は余り聞かない.

そこで辞書を引いてみたところ、殻を取った米とあった.

イネの種は米と呼ばれ、東南アジアを中心に重要な穀類として食用に供せられている.

日本においては神格化までされているので、植物としてはイネであるが、種は米と名を変える.

さらには、炊いて食べられるようになると、飯(めし、いい)となる.

これは、他の植物の種や実、たとえば、ムギやナシやモモがそのように名を変えることはない.

もちろん、ムギはパンやうどんと名を変えるのは、加工品だから別であり、それでいえば、ナシやモモもジュースやジャムになる.

したがって、これは特別な扱いである.

2016年3月13日

#139

これは、英語で、Cow(Ox)やPigやSheepが、食べられる際にはBeefやPorkやMutton(子羊の場合はLamb)となるのと似ている.

ただ、これはイギリスがノルマンディー公ウィリアムに占領された後、宮廷ではフランス語が主流となったために生じた現象である.

つまり、これらの動物を飼育していた占領されたイギリスの先住民であるサクソン人は、自分たちの言葉でCow(Ox)やPigやSheepと呼んでいた.

これに対して、支配者であり、それらの動物の肉を食べていたノルマン人は、フランス語で呼んでいたのである.

2016年3月16日

#140

ただ、これらのフランス語は千年近い年月の間に随分と変わっていった.

フランス語のほうもその間に変化しているので、現代フランス語で代用すると、BoeufはBeefになり、PorcはPork、MoutonはMuttonとなっている.

しかし、これらはフランス語で牛や豚や羊の意味であり、と同時にその肉のことである.

実際、他のヨーロッパの言語で、動物をそのものと肉との言い方を変える例は少ないそうである.

(ブラジルでは、牛肉を意味する語は、州によって牝牛Vacaになったり、牡牛Boiになったりするそうだが)

したがって、イネと米等の関係は、むしろ、フィレだとかロースだとかという部位の名と比較したほうがいいのかもしれない.

2016年3月17日

#141

それはともかくとして、「よね」が殻を取ったイネの種を意味するのなら、

日本人は稲、米、飯という言い分けだけでは飽き足らなかったということになる.

ただ、「よね」の用例を見ていると、米の意味で使われていることが多い.

これに対し、「こめ」は殻の意味で使われていたようである.

殻という漢字を「こめ」と訓じた例があるからである.

このため、「こめ」は「込める」から転じたという語源説もある.

殻に込められたものという意味である.

また、「こめ」が使用されている場合、その多くが儀式の場であったので、米に神聖な力が「籠め」られていたからという考えもある.

しかし、「よね」については、有力な語源説が見つからない.

一応、世の根であると主張される向きもあるようだ、これは思い付きであるとしか思えない.

2016年3月20日

#142

近所のヨネダ珈琲でと言ったら、コメダ珈琲のことですよねと言われてしまった.

片仮名表記であるにも関わらず、ヨネダと読んでしまったのは、頭の中で米田と漢字表記に改められたからであろう.

そして、米田なら「よねだ」だろうということになってしまったらしい.

つまり、人名なら米は「よね」と読むのだという先入観が働いた結果である.

実際、米を「こめ」と読む人名は非常に珍しい.

旧日本海軍の士官でも、私の知っているのは米井恒夫中佐のみである.

2016年3月21日

#143

そのことがあってから、「こめだ」という苗字に関心を持った.

もちろん、米田と書いて、「こめだ」と読ます苗字がないわけではない.

苗字に関するサイトの情報によると、「よねだ」だけでなく、「よねた」とも読む.

それどころか、「よねだ」以外にも、「こもだ、よねた、まいた、まえだ、まいだ、めた」とも読むそうである.

ただ、「よねだ」以外の読み方をする人は少ない.

もっとも、コメダ珈琲の創業者は米田姓ではない.

創業者は加藤太郎という人で、実家が米屋だったことから、そう名付けたのである.

やはり、「こめだ」というのは、少ないのである.

2016年3月23日

#144

これに対し、米を「よね」と読ます苗字は多い.

米田以外にも、米川、米村、米本等、自分の知っているだけでも、これだけある.

他にも米山という苗字もある.

1946年に米山稔が創業した米山木工所は、当初、漁業用の木製浮きを作っていた.

しかし、需要がなくなったので、バドミントンのラケット製造に切り替えた.

言わずと知れたヨネックスであるが、現在、同社はバドミントンだけでなく、テニスのラケット等でも大きなシェアを持っている.

特に、現役最年長プレーヤーであるクルム伊達公子と契約しているので、テニスの世界では世界的にも有名である.

つまり、「よね」という日本語は世界に知れ渡ったことになる.

しかし、人名、地名以外では「よね」という言葉を聞かないのはどうしてだろうか.

もちろん、「そうだよね」という時の「よね」は別である.

2016年3月26日

#145

沖縄に、与那国(よなぐに)島があり、与那嶺(よなみね)という苗字がある.

ここで使われている「よな」は、米のことではないかと思う.

一応、この「よな」は、沖縄で「ゆうな」と呼ばれるオオハマボウだとされる.

与那は、本土では「よね」と呼ばれるが、沖縄では「ゆな」と読むるからである.

しかし、これも、「よね」に由来すると考えてもよいのではないかと思う.

というのは、この与那嶺は「よな」のある峰の意味だと思われるからである.

ところが、オオハマボウは、浜という言葉を含むように、浜辺の植物である.

したがって、オオハマボウの咲く山嶺というのは、考えにくい.

これに対し、米は、水さえあれば、山間部であっても栽培可能である.

2016年3月28日

#146

ハタハタという魚がいる.

この名は、雷の擬声語を意味する古語である.

つまり、もし現代になって名づけられたら、ゴロゴロとなったということになる.

2016年3月31日

#147

有沢四十九郎(兵29)大佐の名前は親が49歳の時に生まれたのでそう命名されたのであろう.

だとすれば、始終苦労と読めるので、気の毒なように思う.

もっとも、分かっていて命名されたのだとしたら、「若い時の苦労は買ってでもしろ」という格言に基づくものとも考えられる.

しかし、若い時はともかくとして、始終苦労は大変だなと思う.

2016年4月3日

#148

春雨や喪服を買いに行く子達

2016年4月14日

#149

香宗我部譲(兵38)大佐という人がいる.

この人の名前は「日本海軍士官総覧」の索引では「か」の項目に入っているが、香宗我部という苗字は「こうそかべ」と読むはずである.

この人だけは「かそかべ」とでも読むのだろうかと思って調べてみたが、そのような読み方はどこにもない.

現役海軍士官名簿」に読み方は記してないが、これも索引の「か」のところにある.

これが、「かうそかべ」という歴史的仮名遣いに由来するものだと気づいたのは割と最近である.

したがって、香宗我部譲という項目が「人名事典かさ〜」の中に残してあるのは、読者の便宜を図るためではない.

自戒の意味である.

2015年4月16日


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