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#255

「一寸法師」の話は誰もが知っていると思うが、その原話は全然違うものである.

たとえば、一寸法師は侍になるのだと都へ行ったのではなく、生みの親に疎まれたからとなっている.

また、姫君とともに清水寺へ行った際に鬼と戦ったというのも、原話では姫君を連れ出した際に、鬼の住む島に漂着したからである.

これは、明治期に巌谷小波がリメイクしたものが、国定教科書に採用されたからである.

「浦島太郎」も「桃太郎」も同様に改変されている.

というのは、彼の改変は当時の富国強兵策に非常にかなったものだったからである.

2020.12/24

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#256

前回、「一寸法師」の原話と書いたのは「御伽草子(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537587)」である.

(活字本はhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018115/58?tocOpened=1の160コマから)

江戸時代に出版されたものであるが、原型は平安時代から室町時代にかけて成立したとされる.

「御伽草子」の中にも改変されたと思われる部分があるからである.

それは、針の刀である.

一寸法師は針の刀を持って出かけているが、鬼との闘いでは使っていない.

鬼に食われると、目から出てくるので、鬼のほうが気味悪がって逃げていくのである.

ところが、挿絵のほうでは針を振り回している一寸法師が描かれている.

また、鬼が落としていった宝物も本文とは違う.

本文では「打出の小槌、杖しもつ」とあるが、挿絵にはそのようなものは描かれていないのである.

2020.12/25

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#257

打出の小槌以外に挿絵に描かれているのは簑と笠である.

おそらく、鬼の宝物として有名な隠れ蓑、隠れ笠であろう.

これらは、本文(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018115/58?tocOpened=1の160コマから)の

「何に至るまでうち捨てて」に含まれていると考える人もいるが、ならば、「杖しもつ」も描かれていないのはなぜかとなる.

それよりも、様々な異文があり、その中には隠れ蓑、隠れ笠が登場し、針の刀を振り回す一寸法師が描かれたものもあったと考える方が自然である.

だとすれば、もとになった話があり、それが書き写されたり、言い伝えられたりするうちに変化したと考えられる.

つまり、挿絵の作者は本文とは違う伝承によって描いていると考えられるのであるが、挿絵と本文とどちらの方が古いのだろうか.

2020.12/26

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#258

針の刀を持っているのは、一寸法師が住吉大社の申し子だからという説がある.

子のない老夫婦が、同社に願ってできた子だからである.

そして、住吉大阪にあり、江戸時代、大阪は、京都兵庫県の浜坂と並ぶ針の産地だったからである.

うち、浜坂の針生産は江戸時代後期に始まるようなので、大阪京都と並ぶ二大生産地であったということになる.

そのような地に生まれたのだから、針の刀をということになるわけだが、鬼との対決の際にせっかくの刀を使っていないのだから、針は後付けであろう.

2020.12/27

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#259

「一寸法師」の物語の最後で、老夫婦は、それぞれ堀河の中納言、伏見の少将の子であったと明かされる.

つまりは、貴種流離譚なわけだが、そのような出自の一寸法師に刀はふさわしくない.

しかも、この話は、「中頃の事なるに」とあり、同書の「和泉式部」に「中ごろ花の都に」あるのだから、平安時代の話であろう.

また、一寸法師が三条の宰相に仕えたというのも、この想定を補足するものである.

もちろん、貴族が刀を持っていなかったわけでなく、荒っぽい人も沢山いた.

しかし、刀はやはり武士の属性である.

むしろ、一寸法師の武器は、三条の宰相を誑かして、姫君を騙し取る狡猾さである.

己の才覚で道を切り開いていく一寸法師にとって、鬼に襲われたからといって、暴力に訴えるというのは、この話の趣旨からいってそぐわないのである.

2020.12/28

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♯260

「一寸法師」の話は、各地で民話として残っている.

そして、その話にはいろいろなものがあるのだから、書物を通じてではなく、口承によるものであろう.

たとえば、「源氏物語」などは各種の異本がある.

これは、書き写していく際に様々な写し間違いが生じ、創作までされたからであるが、基本的に同一である.

ところが、「平家物語」は「源平盛衰記」のような異本まで生じている.

「祇園精舎の鐘の声」と始まりは一緒ではあるが、多くの増補改訂が行われており、別の本である.

これは、琵琶法師を通じて口伝えに広がっていったからであろうが、「一寸法師」においても、同様のことが起きていると考えられる.

2020.12/29

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#261

「一寸法師」の話が各地に、その中にはかなり僻遠の地があることを考えると、この話を伝えた人物は琵琶法師などではなく、他の各地を回っていた人々、たとえば、物売りが想定される.

中でも注目すべきは針売りである.

秀吉なども、少年時代に針を売って歩いたというが、このことは江戸時代後期の「梧窓漫筆」に初めて登場する話なので信憑性は薄い.

ただ、針売りに大人が少なかったのは事実である.

針は生活必需品であるが、製造には技術が必要である.

しかし、単価は安いので、生産地で作って持っていくというのが現実的である.

しかも、軽量なので大量に持ち運べる.

このため、売り子になったのは女性や老人、それに身体に障碍を持つ人が多かった.

そして、その中には、背の低き人から「ひき人」と呼ばれた小人症の人達もいたはずなのである.

しかし、この人達の外観は、注目もされるが、時に忌避の対象とされる.

人権だとか、生活保障などという言葉すらない時代であるから、差別は当たり前だったからである.

そのような時、物を売るのに必要なのは話術である.

trivia's trivia(7)にも書いたように、物売りは情報の伝達者でもあったからである.

2020.12/30

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#262

人々の警戒心を解くためには、自らの身体を嗤い物にする場合もあるだろうと思う.

民話に登場する小人が必ずしもいい役ではないことが、これを証明している.

ただ、小人の多くは知恵者である.

一寸法師の場合でも、寝ている姫君の口に米の粉をつけ、姫君が盗ったと泣いて宰相を騙している.

それは、知恵ではなく、狡猾というのだと言われそうだが、人権意識のない時代、それぐらいしないとハンディーのある者は生きていけない.

そして、人々を楽しませ、打ち出の小槌に持っていく.

その際、針売りだけに、針の刀が付け加えられるのは当然のことである.

したがって、「御伽草子」の「一寸法師」は、挿絵よりも本文のほうが古いということになる.

*

ところで、この話は来年も続く.鬼に嗤ってもらえるのは本望なので、引き続き読んでいただければ幸いである.

2020.12/31

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#263

「一寸法師」には、神話の少彦名(すくなひこな)に始まる一連の話がある.

その中には、「かぐや姫」の物語も含まれるが、「桃太郎」もそうである.

大きなから産まれたと書いてあるではないかと言われそうだが、本来の話は単なるである.

そして、明治期に中国から水蜜桃が入ってくるまで、は硬く酸っぱい物であったが、同時に、と変わらない大きさであった.

もちろん、このは19世紀にアメリカで品種改良されたソルダム等の品種名や、プラムという英語名で呼ばれることの多いものではなく、在来種のそれである.

また、江戸時代に中国から孟宗竹が入ってくるまで、日本にあった最大の真竹である.

物干し竿に使われたと言えば、現在の鋼管製の物干し竿から大きさを想起してもらえると思う.

つまり、かぐや姫も桃太郎も一寸法師の同類であったのである.

2021.1/1

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#264

そういう一連の話の中に、室町時代末期に絵巻や奈良絵本の形式で書き写された「小男の草子」がある.

いくつかの異文があるが、共通するのは清水寺で女性に懸想した1尺の小男が、和歌の才により念願が叶うというものである.

そして、江戸時代初期の慶長12(1607)年に書写された絵巻等には、清水の聖観音が女性の願いに応じて打ち出の小槌を授け、小男の腰を打つと大男になったとある.

それが7尺、2.1mというのは大きすぎるだろうと思うのだが、これは「御伽草子」の「一寸法師」の話の原型である可能性は高い.

そして、だとすれば、巌谷小波の改訂版「一寸法師」で鬼に襲われたのは、姫君が清水寺に参籠した際なので、この系統の話が頭にあったのかもしれない.

また、打ち出の小槌は、本来、鬼の宝物ではなかったということになる.

2021.1/2

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#265

多くの「小男の草子」で、小男は五条の天神であったとなっている.

義経伝説の地として有名なこの神社は、後鳥羽天皇が改名するまで天使の宮と呼ばれ、秀吉がこの社域を貫通する道を造らせたため、天使突抜という不思議な地名を発生させたことでも知られる.

そして、この神社は、洛中では最古といわれる神社である.

平安遷都直後に大和国宇陀郡から天神を移したものだからである.

天神は、天神地祇と分けた場合の天津神の意味である.

平安京の外側、洛外だと、賀茂氏の賀茂神社、秦氏の松尾大社、蚕の社の名で知られる木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社等があるが、これらは国津神、つまり、地祇である.

これに対し、五条天神の祭神は少彦名である.

出雲神話の神なので、天津神というには躊躇する部分はあるが、天神地祇に分ければ天神のほうである.

他に、大巳貴(おおなむち)と天照を祭っている.

最初から少彦名を主神としていたかどうかは分からないが、この神と大国主の名で知られる大巳貴は、出雲建国の神であり、天照は皇祖神である.

新都造営の守り神として遷座させたものであろう.

ただし、延喜式神名帳等を見た限りでは、宇陀郡内に少彦名を祭る古社はない.

宇陀の西側に隣接する三輪山の麓の磐座(いわくら)神社に祭られているぐらいである.

神社の由緒にも、宇陀からとあるだけである.

2021.1/3

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#266

小男が五条天神の化身であったというのは、明らかに少彦名を意識している.

大己貴の国造りの際に波の彼方より来訪した少彦名は、と思われるものの皮を身にまとって現れたように、とても小さな神であったからである.

しかも、知恵者であったという点でも同一である.

したがって、小男という連想から、この神社が出てきたとも考えられるが、小男は五条の天神であったという結末からは、五条天神の縁起でもあったと考えられる.

ただ、後世、天神というと雷神ということになり、菅原道真の天満宮と重なっていく中で、道真は小男であったという伝承も生まれている.

しかし、五条天神は道真の生まれる50年も前に出来ているのだから、後世の追加である.

ただ、「義経記」に登場する牛若丸と弁慶の遭遇の場が、北野天満宮と五条天神、それに、清水寺というのは、牛若丸が小柄に描かれているだけに、偶然の暗合なのかなと思う.

2021.1/4

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#267

一寸法師における住吉神社も、先行する話の中に登場しないし、少彦名を祭っているわけでもないのだから、これも後世の追加である.

そして、住吉でないとするのならばと考えていくと、道頓堀川から淀川を遡って、京に上る必要性もない.

一寸法師の椀の船というのも、少彦名が、ガガイモの実とされる船に乗って来たという神話から思いついたものかもしれないが、1寸しかない者からすれば、箸は巨大な丸太である.

それを艪にして、円形、丸底の椀を流れに逆らって遡っていくというのは無茶な話である.

また、鳥羽まで、姫はどうやって行ったのかというのも分からない.

「伊勢物語」の「芥川」のように、一寸法師が姫を背負うのはもちろん無理だが、姫が使用人を懐に入れてというのも考えにくい.

しかし、そうなると歩幅が違いすぎる.

他にも、帰りの舟はどうやって漕いだのだとか、船頭はいなかったのかとか、淀川から吹き流されて、どうやって鬼のいる島にたどり着くのかとか、不審な点は多い.

御伽噺だからそれでいいのかもしれないが、そういう知識がない者が、かなり杜撰に物語を作ったとも言える.

2021.1/5

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#268

「打出の小槌と云ふ物こそ能き宝にて侍りけれ」と平安末期の「宝物集(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532157)」に登場するのが、打ち出の小槌の初出である.

何が一番の宝かと論議する中で、最初に登場する.

それぐらい、よい宝であるというのである.

ただ、「鐘の声をだにきけば、打ち出だしたる物ども、こそこそと失することのあるなり」ともある.

誰の持ち物であったかは記されていないが、打ち出の小槌で宝物を出しても、鐘の声を聞くと消え失せるものであるのなら、夢幻の類である.

とても、神仏の持ち物とは思えない.

また、「是はまことの鬼とおぼゆる.手にもてる物はきこゆるうちでの小槌なるべし」と、「平家物語」の「祇園女御の事」にある.

世に言う打ち出の小槌らしきものを持っているのだから、本当の鬼なのだろうというのである.

してみると、打ち出の小槌は鬼の持ち物として、この時代から有名であったということになる.

2021.1/6

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#269

また、「今昔物語集」巻20第7話の「染殿后為天宮(狗)被*橈乱語(染殿の后、天狗のために*橈乱せらるる語)」に登場する鬼も、「槌ヲ腰ニ差シタリ」とある.

しかし、この槌は本当に打ち出の小槌なのだろうか.

というのは、鎌倉時代後期の「春日権現験記(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287493?tocOpened=1の7コマ目)」に登場する、屋根の上から病人を窺う赤い鬼らしき者は褌の後に木槌を差しているが、この木槌は普通の槌のように思うからである.

実際、「今昔物語集」巻第16第32話「隠形男依六角堂観音助顕身語(隠形の男、六角堂の観音の助けに依りて身を顕はせる語)」では、おそらくは疫病神と思われる「神ノ眷属」の命令で、姫君の頭と腰を小さな槌で打ったところ、姫君は「頭ヲ立テ病ニ迷フ事限無シ」になったという.

また、「政事要略」という引用されている「善家秘記」という失われた本の中には、裸の鬼が槌で打って人を病人にするという下りがあるそうである.

これが、先行する奈良時代末期の「霊異記」巻中25「閻羅王使鬼受所召人之饗而報恩縁(閻魔王の使の鬼、召さるる人の饗を受けて恩を報ずる縁)」では、鬼は一尺の鑿で人の額を割って殺しているので、病は鬼が鑿で打つからという伝承があったのであろう.

鑿ではあまりに直截なので、病程度なら槌で済ましておこうと思ったわけではないだろうが、本来、鬼の持つ槌は、打ち出の小槌のようなものではなかったはずなのである.

*橈は女編.

2021.1/7

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#270

にもかかわらず、「小男の草子」で、小男を大きくしたのは、清水の聖観音の小槌である.

したがって、どこかの段階で鬼から神仏の持ち物に変更され、その途中で、凶器から何でも願いが叶えるものになったということになる.

そして、これは慶長12(1607)年に書写された一本に載せられたものであるので、江戸時代以前に変えられたということになる.

ところで、現在、打ち出の小槌を持っているとされるのは、観音ではなく、大黒天である.

この大黒天は、マハーカーラというインドの神である.

本来は破壊神であり、4本の腕に様々な武具を持っているが、槌は持っていない.

ところが、中国から日本に入ってきた時には、財福の神、厨房の神となり、延暦寺の台所の柱にも掲げられていた.

このため、大黒柱という名称が生じたわけだが、この大黒は三面大黒天であったと伝えられる.

延暦寺大黒堂の三面六臂大黒天は当時のものではないが、名前通り、正面に大黒天、左に毘沙門天、右に弁財天の顔があり、腕も6本である.

やはり、槌は持っていないのだが、弁財天は如意宝珠を掌に載せている.

2021.1/8

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#271

孫悟空の如意棒ではないが、如意宝珠も意の如く、すべての願いを叶えてくれるものとされる.

実のところ、願いも煩悩の内だと思うので、そういうものがあるのも不思議だが、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩、如意輪観音等の持物として知られる上部が円錐状の珠である.

この宝珠は神道にも習合し、穀物神である宇迦之御魂(うかのみたま)の持物として知られる.

滋賀県守山市の小津神社本殿に安置されている宇迦之御魂命像はその初期のもので、平安中期の作とされるが、その左手に宝珠を載せている.

その後、この神は稲荷神として非常な崇拝を受けるので、神紋として染め抜かれたもの、あるいは狐の咥えている珠として人口に膾炙している.

熊野大社熊野牛玉符にも描かれており、の持つ宝珠もこれである.

ところで、打ち出の小槌の口には三重の円が描かれているが、これは如意宝珠である.

つまり、槌本体には願い事を叶える力はなく、如意宝珠と合体して初めてその力を発揮するのである.

そして、#269で示した鬼の持つ槌には、この印が描かれていない.

つまり、鬼が持っている槌は、普通の槌なのである.

2021.1/9

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#272

摩訶迦羅大黒天神経(大黒経)」に「此菩薩往昔成等号大摩尼珠如来今以自在業力故来娑婆世界顕大黒天神」とある.

娑婆世界、つまり現世に顕われる前の大黒天は、大摩尼珠如来と呼ばれていたというのである.

そして、この摩尼珠とは如意宝珠のことである.

如意宝珠はサンスクリットでチンターマニと呼ばれ、摩尼はチンターマニのマニの音訳だからである.

もっとも、マニは珠の意味だから、摩尼珠は重言である.

また、「有諸貧窮人聞此、陀羅尼名者、当知是人降大摩尼、宝珠湧出無料珍宝」ともある.

貧しい人がこの(大黒天に関する)陀羅尼(真言)を唱えると、宝珠を使って珍しい宝を出してくれるのである.

もっとも、この経典は日本でできた偽経であるが、広く知られていたようである.

三面六臂大黒天の弁財天の如意宝珠に起因するものではないかと思うが、大黒天も如意宝珠を持っており、願いを叶えてくれる存在であると認識されていたということになる.

2021.1/10

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#273

日本に入ってきたばかりの大黒天は憤怒相で、大宰府の観世音寺に残る像は、財福の象徴として金嚢を持っていた.

これが、袋を持っていた大国主と習合し柔和な表情になっていく.

習合した理由は、大黒と大国がともに「だいこく」と読めるという単純なものだが、大殻も同じ読み方をできるからと指摘する人もいる.

ただし、大黒天が打ち出の小槌を持っているのを確認できるのは、「隠れ里」とか、「恵比須大黒合戦」と呼ばれる御伽草子である.

この中に、三面の大黒天が打ち出の小槌を使う描写がある.

これは、「一寸法師」の収められた「御伽草子(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537587)」に先行するものだが、だとすれば、五条天神に大巳貴が祭られているのと関係するものかもしれない.

大国主とは、大巳貴の別名だからである.

2021.1/11

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#274

清水寺の聖観音も槌を持っていないが、同寺塔頭の善光寺堂(旧地蔵堂)の如意輪観音は、その名の通り宝珠と法輪を持っている.

この観音像は鎌倉末期のものであるので、「小男の草子」の時代にもあったものと推定される.

また、観音は、如意輪観音の他に、馬頭、千手、准胝、十一面観音等があるが、これは別々のものではなく、聖観音を基本として、あまねく人々を救うための化身であるとされる.

したがって、聖観音が如意宝珠で女性の願いを叶えて小男を大きくしたというのは分かる.

しかし、観音の33ある化身の中でも、槌を持っているというのは寡聞にして聞かない.

槌、特に、打ち出の小槌は大黒天の持物である.

清水寺にも大黒天は祭られているが、多分、戦後のものである.

したがって、五条天神の大巳貴(大国主)と一緒にしたのではないかと思っているが、なぜ、大黒天は槌を持っているのだろうか.

2021.1/12

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#275

この件については、槌が土に繋がるからとか、拳を握った手の形を槌握りというからとか書かれている.

もっとも、前者については、単なる語呂合わせに過ぎないし、後者の槌握りという言葉を検索にかけても、大黒が槌を持っている説明の中でしか出てこない.

辞書にも出てこない.

したがって、大黒天が打ち出の小槌を持っている理由としては、積極的には首肯しがたいし、他の説も牽強付会と思えるものばかりである.

Wikipediaには、東洋史家の宮崎市定が、中国で使われていた柱斧と呼ばれるものに由来するのではと書いているとある.

柱斧は小型ので、これで柱を叩くと、呼ばれた従者が命令に従っていろいろな物を運んでくるからというのである.

もっとも、私はこの説をきちんと読んでいない.

ネット上には全文が掲載されたものがないし、コロナ禍の影響で図書館へも行けないからである.

ただ、#270に書いたように、大黒天は台所の柱に祭られたから、これは魅力的な説である.

もっとも、柱斧水晶でできた小さなであり、槌とはかなり形状が異なる.

また、従者が持ってくる程度のものと、打ち出の小槌のようにすべての願いを叶えるものと同一視するかという問題がある.

2021.1/13

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#276

槌は、日本では武具である.

「古事記」の景行天皇12年12月の条に、豊後の土蜘蛛討伐の際、「則採海石榴樹、作椎爲兵.因簡猛卒、授兵椎」とあるからである.

海石榴(ツバキ)の木で椎(槌)を作らせ、それを勇猛な兵士に与えたというのである.

その兵は、それで山を穿ち、草を払って土蜘蛛達を追い出し、全員を殺した結果、踝まで血が流れたとある.

椿が選ばれたのは、卯杖にこの木が選ばれているように、呪力があると考えられていたからであろう.

また、日本産の木材の中では、特に重く、堅いからであろう.

北欧神話にも、トールのハンマーとして知られるミョルニルが登場し、ウォーハンマー等の名で呼ばれるものも西洋史には登場するが、地に潜る者、重厚な鎧をつけた相手には、刀より効果があったのである.

実際、室町時代に土佐光信が描いたとされる「百鬼夜行絵巻」に登場する物の怪は、大槌を持って他の妖怪を叩き潰そうとしている.

また、これは「義経記」の記述にはないが、江戸時代になると、弁慶の七つ道具にも槌が入っている.

けして、大工道具だけではなかったのである.

ところで、#269で示した鬼は、民俗学者の小松和彦の説によると物の怪だそうだが、そういう者達は槌を持っていた.

言うまでもなく、人に病や死を与えるためである.

2021.1/14

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#277

大黒経」には七母女天が大黒の眷属であると記されている.

七母女天というのは、サプタ・マートリカーと呼ばれるインドの有力神の配偶神である.

配偶神であるため、赤子を抱いた姿で表されるが、疫病の神である.

このため、この神を祭れば疫病除けになるという信仰もあるが、本来は疫病を広める神である.

そして、七母女天は、「仏説却温黄神呪経」に登場する七鬼神と習合した形跡がある.

というのは、七という数字の暗合もさることながら、七鬼神も疫病を撒き散らす者とあるからである.

そして、七鬼神は、その名を呼び、立ち去れと命令すれば、疫病はなくなると記されている.

これが、七母女天を祭ればという信仰に重なったとも思うが、七鬼神は、夢多難鬼等のように鬼で終わる名を持っている.

それだけに、七母女天も鬼と考えられたのではないだろうか.

だとすれば、鬼は槌を持つと考えられただけに、これらも槌を持つ者と考えられたのではないか.

そして、七母女天が眷属であるのなら、大黒天はその大将である.

したがって、破壊神、戦闘神である大黒天が槌を持っていても不思議はないと考えられた可能性がある.

ただ、大黒天は材福の神となったので、その過程の中で、槌もその性格を変えたのではないかと思う.

*

なお、七母女天が槌を使って人の頭に針を打ち込んで殺してしまうとするHPはあったが、七母女天を七鬼神に換えても経典等の裏付けがなかったので、錯誤があるものと思われる.

また、中国では雷公が鑿と槌を持っているが、関連性を見いだせなかった.

2021.1/15

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#278

鬼の持つ槌は、#271で書いたように、本来、打ち出の小槌などではないはずである.

にもかかわらず、#268で紹介した「平家物語」は、鬼がそれを持っていると考えられていたことを示している.

ただし、それは、「宝物集」の記述に従えば、鐘の声とともに消え去るものである.

この鐘は、を告げる鐘である.

平安時代、陰陽寮の役人が1時間ごとに鐘を撞き、30分ごとに太鼓を鳴らしていた.

江戸時代には、これが寺の役割になっているが、室町時代あたりから不定時法に変わっている.

つまり、卯の刻が日の出に、酉の刻が日没に固定されるわけだが、平安時代は、現代と同じ定時法である.

そして、もう一つ、大きく違うのはの定義である.

平安時代は、夜を3等分して、、夜中、としている.

小林賢章著「暁の謎を解く-平安人の時間表現」によれば、の始まりは午前2時半である.

昔の表記で言えば丑四刻である.

したがって、草木も眠る丑三刻というのは午前2時、夜中との境である.

そして、鬼の活動できるのは夜中までとなっていたようで、暁刻、鶏の声を聞いて、鬼があわてて逃げ出すと、多くの話にある.

しかし、鶏が鳴くのなら、夜明けではないかと思われそうだが、中国で暁刻に鳴くようにしたものがあり、日本にも輸入されていたのである.

もっとも、この品種は日本では途絶えてしまい、も夜明けを指す言葉になったので、鬼をはじめとする物の怪は、夜の間中、出歩くことになってしまったのである.

そして、このことを如実に表すのは「百鬼夜行絵巻」である.

#276で紹介した室町時代のものは最後に日の出が描かれているだけであるが、江戸時代に描かれた絵巻では、物の怪達は太陽に焼かれて逃げ惑っているのである.

したがって、この鐘はを報す鐘である.

2021.1/16

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#279

夜中だけしか効力を発しないのなら、鬼が打ち出の小槌を持っていてもよいと思う.

それで、人を脅かすこともできるからである.

しかしながら、鬼の本分は、姿が見えない点にある.

「和名類聚抄」に「鬼物隠而不欲顕形故俗呼日隠也(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544216?tocOpened=1の31コマ)」とある.

鬼は物に隠れて姿を現さないので隠、昔の日本語ではンという発音がなかったので、母音をつけてオニ、と呼んだとあるからである.

鬼や天狗、あるいは物の怪のような異形の者が、常に姿を現しているようでは、怖くなくなる.

実は、「平家物語」に登場する打ち出の小槌も、闇の中で出遭った法師の持ち物を見誤ったものである.

幽霊の正体見たり枯れ尾花であるが、鬼は姿を現さないからそういうものでも怖くなる.

まさしく、疑心暗鬼なのである.

したがって、鬼が隠蓑れや隠れ笠を持つとされるのは、分かる.

しかし、「一寸法師」に登場する打ち出の小槌は、人の背を伸ばし、「いかにもうまさうなる飯」を出し、「を打ち出」す魔法の槌である.

また、鐘の声を聞いても消え去るものではなかったのは、「十日ばかり」後に参内を命じられ、後には中納言にまで任じられていることからも分かる.

鐘が鳴れば消え去るものなら、まだ、人を怖がらせることもできようが、そのようなもので、鬼は何をするというのであろうか.

もちろん、それで豪奢な生活をしていてもいいのだが、それならば、たまに人間界に現れて人を襲うのはなぜかとなる.

そういうものを食べたいのなら、人間を打ち出の小槌で出せばいいだけの話である.

もちろん、鬼の世界にも階級があって、持っている鬼と、そうでないものがいると考えることもできる.

しかし、それならば、一寸法師を食おうとした鬼は、なぜ、打ち出の小槌を持っていたのだろうかと思う.

彼等が落としていったのが「杖しもつ」だからである.

2021.1/17

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#280

鬼が杖を持っていたのは足腰が弱っていたからではない.

しもつ、つまり、鞭も持っているからである.

この鞭は、人を打つためのものである.

当然、この杖は杖刑に使うもの、刑罰として人を打つためのものである.

そこから思いつくのは獄卒である.

地獄で亡者を責める鬼達である.

しかし、鬼達は「地獄に乱こそいできたれ」、地獄で叛乱が起きたに違いないと言っているのだから、それは違う.

しかも、「極楽浄土のいぬゐ(乾)の」暗い方へ逃げて行ったと書いてあるのだから、鬼は、極楽浄土、もしくはその近辺にいたということになる.

しかし、「一寸法師」に描かれているのは人影もない「きよう(興)がる島」、風変わりな島である.

ただし、どこが風変わりなのかは書いてないし、極楽浄土を想起させるような表現もない.

しかも、せっかく極楽浄土に来たのなら、姫君も一寸法師も見学ぐらいしていけばいいのに、その様子もない.

背が大きくなった後は、食事を出し、を出すと、どのようにしてか京へ上っている.

そのせいか、極楽浄土のある乾(北西)の方角へと訳してあるものが多いようであるが、極楽浄土にいたとしてはいけないのだろうか.

2021.1/18

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#281

というのは、極楽浄土のある方向が、なぜ、「いかにも暗」いのかが気にかかるからである.

本来、極楽浄土は清らかな明るい世界である.

だからこそ、なぜ鬼がいるのだとなるのか、極楽浄土のある方角と書いてあるだけだという反論はあると思うが、「いかにも暗き」はおかしい.

第一、極楽浄土のある方角なら、西方浄土という言葉が端的に示すように、西である.

もちろん、乾は北西だから、西方に近いのは確かだが、それなら真西になぜしないのかと思う.

北西の方角は、宝のある方角だと書いたものも見るが、極楽浄土のある北西の方角という訳だと、鬼は極楽浄土の中に逃げ込むことになる.

しかし、この鬼を極楽浄土の門番であると考えると、話はすっきりする.

門番だと考えると、獄卒でもないのに「杖しもつ」を持っている理由も分かるし、極楽浄土であるのに、鬼がおり、他の神仏が登場しない理由も分かる.

それでも、極楽浄土に、神仏ならともかく、鬼がいるのはおかしいと思う人もおられるとは思う.

では、なぜ神社には狛犬がいるのだと思う.

2021.1/19

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#282

「徒然草」に、子供のいたずらとも知らずに、狛犬が背を向き合っているのを奇貨として、感涙にむせぶ上人の話があったが、狛犬は入口を見張るものである.

寺でも、仁王像が入口を睨んでいる.

これは、中国の門神の影響があるのではと思っているが、東京上野の天台宗寛永寺には鬼が門番をしているという考えがある.

というのは、元三大師の名で知られる天台座主良源は夜叉の姿に扮して疫病神を追い払ったという伝説があるからである.

夜叉は、本来、インドの鬼神であるが、日本では鬼と重なって考えられた.

たとえば、世阿弥の幼名が鬼夜叉であるのは、その一例である.

このためだろうと思うが、江戸城の鬼門を防ぐ目的で造られた寛永寺は、鬼が鬼門の門番として護っていると考えるのである.

したがって、鬼が極楽浄土を護る門番になっていても不思議ではない.

つまり、一寸法師と姫君は、吹き流されて極楽浄土の縁へ行ったのである.

そこを見回っていた鬼は、一寸法師と姫君を見つけたが、恐怖を感じて、極楽浄土でも一等暗い北西の方角へ逃げていったのである.

2021.1/20

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#283

鬼が逃げていったのが、なぜ、北東、つまり、鬼門ではないのかと思われる方もおられると思う.

鬼門は、鬼の出入りする方角であり、したがって鬼は牛の角を生やし、のパンツを履いている.

また、丑寅は木気であるので、それを倒す金気の猿、鳥、犬を従えて桃太郎は鬼を倒しに出かけ、金気の象徴である白く丸い吉備団子を持ち、同じ意味を持つから生まれている.

比叡山延暦寺が、宮城の鬼門を護るものとされたのも、前回に書いた寛永寺と同様に、都の北東に位置するからであると言われる.

しかし、鬼が鬼門の方角から出入りするというのは、日本独自の考えである.

しかも、そのように考えられたのは、かなり時代が下り、もしかすると江戸時代ではないかと思っている.

では、それ以前はどうであったかというと、管見の限りではこのことと「一寸法師」を関連づけて指摘したものが見つからないのだが、その本文にあるように、乾、北西の方角であった.

中国では、この方角を天門と呼び、魑魅魍魎の類いが出入りすると考えられており、日本でも陰陽道にその考えが取り入れられていたからである.

2021.1/21

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#284

では、中国には鬼門という言葉がなかったのかというと、実は、ある.

中国伝来の言葉だからである.

もちろん、日本と同じく、東北を指す言葉である.

そして、反対の南西は人門、天門の反対の南東は地門である.

にもかかわらず、鬼門が恐れられたということは、中国にはない.

鬼がいないからである.

もちろん、鬼門があるのだから、鬼(キ)という言葉はあるのだが、中国では、これは死者の霊である.

天門、地門が、天地と対になっているように、人門の反対が鬼門となる.

人の生き死にを司る方角である.

人は南西の方角に生まれ、北東の方角に死ぬのである.

台湾では、旧暦7月に鬼門が開き、死者が帰ってくるとされるのは、まさしく、この考えによる.

そして、すべての死者が好兄弟と呼ばれ、供養されるのである.

道教の教えに基づくものではあるが、仏教の盂蘭盆会に近いものと考えてよい.

いや、むしろ、仏教は輪廻転生から解脱するための宗教であり、本来、祖先崇拝という考えはないので、こちらが原型であるのかもしれない.

2021.1/22

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#285

もう一度書くが、鬼は日本独自のものである.

このため、当てはまる漢字がなかったので、本来、霊の意味であった鬼を転用した.

したがって、中国軍が鬼将軍と呼んだ旧日本陸軍の将官がいて、本人は御満悦だったそうだが、幽霊将軍の意味だと知っていたら、そうはならなかったと思う.

ただ、「日本書紀」には微妙な表現がある.

伊弉諾(イザナギ)が、伊弉冉(イザナミ)の願いを無視してその死後の姿を見る場面である.

「一書曰」、別本によるととして、イザナミの体に8種のがいたので驚いて逃げたところ、が追いかけてきたので、大きなの木の陰からの実をぶつけて撃退した.

そして、「此用避鬼之縁也(此、を用いて鬼を避う縁なり)」、を使って鬼を避けたのであると続く.

神という漢字は、旁の申が電光を表し、和語の「かみなり」が神鳴りから来ていることから分かるように、は神である.

と同時に、死んだイザナミの体にいたのだから、霊とも考えられる.

もっとも、その後で、これらのが神であるとして名を挙げられているのだから、神であるのだが、鬼を霊として捉える側面があったとも考えられる.

もっとも、「日本書紀」の天孫降臨の場面では、高皇産霊(タカミムスビ)が「欲令撥平葦原中国之邪鬼」、葦原中国の邪鬼を追い払って平定したいと言っている.

この邪鬼は、その前に「多有火之光神及声邪神」、(葦原中国には)のように光ったり、のようにうるさい邪神がいたりするとされたのだから、邪鬼は邪神と同義である.

論語」にも、敬遠の由来として知られる「敬鬼神而遠之(鬼神を敬して之を遠ざく)」が載っている.

鬼神を敬うが深入りはしないというわけだが、この鬼神は霊魂の意味である.

したがって、日本では、当初から中国での意味とは乖離していた可能性が高い.

2021.1/23

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#286

その鬼の入ってくる方角として、天門ではなく、鬼門が選ばれるというのは、日本の鬼の位置づけから考えて、仕方のないことであったのであろう.

ただし、鬼門ではなく、天門こそが問題であるとするのならば、遷都を行った桓武天皇が何の対策も講じないというわけはない.

わずか10年間で長岡京を捨てて遷都したのは、怨霊対策が大きいと言われるからである.

また、桓武は、呪術にかなりの関心を持っていた天皇だからである.

実際、大内裏、これは現在の京都御所ではなく、遷都時のそれであるが、その北西角に将軍堂を建てている.

これは陰陽道の方位神である大将軍を祭るもので、現在の大将軍八神社であるが、その創設は平安京造営と同じ794年である.

もっとも、京都市内には他にも大将軍を祭る神社が複数あり、天門とは限らないという考えもできるが、大内裏に隣接しているのはここだけである.

しかし、天門を護るために造られたのはここだけではない.

平野神社北野天満宮が内裏の北西に位置するからである.

特に、平野神社は、桓武の母方である百済王家に関連すると思われる今木神を祭っており、遷都と同時に造営されている.

もっとも、最初の所在地は衣笠山の麓であったそうだが、北西に位置することには間違いはない.

しかも、この神社は、日本で唯一、皇太子が奉幣を行う神社であった.

皇太子の守護の目的で造営されたものであろう.

2021.1/25

*その後、明治になるまで、天皇は神社に行かないものだと知った.

神階を授ける者が行くのはおかしいというような理由だそうだが、だとすれば、平野神社に皇太子が奉幣するのは、天皇の代理という意味なのであろう.

2022.2/22補筆.

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#287

しかしながら、平安前期において最大の怨霊とされた菅原道真を祭る北野天満宮が、内裏の北西に位置するというのは変ではないかという意見もあろうと思う.

しかし、それだけの怨霊であるのなら、内裏の近くで鄭重に祭るのが筋というものであろう.

その場合、天門が怨霊を含む魑魅魍魎の入ってくる方位であるということが意識されたからこそ、この場所が選ばれたのである.

つまり、平安時代において警戒すべきは天門であって、鬼門ではなかったのである.

道真の後、最強の怨霊である崇徳天皇の霊は1184年に保元の乱の古戦場である春日河原の崇徳院廟(後の粟田宮)に祭られたが、天文年間に平野社に統合されている.

平野が怨霊の進入を防ぐものであるという意識があったと同時に、同社が都の北西にあったからであろう.

それが正しいのなら、天文年間、つまり、戦国時代末期においても天門は重視されていたことになる.

また、孝明天皇は讃岐の配流先にあった崇徳の霊を京都に迎えるために白峯神宮を造立させたが、その場所は、現在の京都御所の近傍である上に、まさしく北東なのである.

孝明天皇は造立中に死亡したが、明治天皇は遺志を受け継いで完成させ、さらに淡路廃帝と呼ばれた淳仁天皇の霊も祭っている.

つまり、両帝は自らの居住先の近傍に怨霊を鎮める神社を建てたのである.

したがって、江戸時代には鬼門がもっとも忌むべき方位とされたが、宮中においては、天門こそが重要であるという意識があったということになる.

2021.1/26

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#288

天門が忌むべき方位であると考えると、の北西に位置する愛宕山はどうなのだろうとなる.

一応、天門守護の地であると書かれたものはいくつかあるのだが、その根拠について書かれたものは知らない.

ただ、山頂に白雲寺が建立されたのは遷都の直前だが、この寺に勝軍地蔵が祭られているのは、#286で述べた大将軍との関係を疑わせるものである.

また、同山が天狗の聖地とされるのは、鬼に対抗しうる唯一の存在であったからとも考えられる.

さらに、火の神を祭っているのも、同様である.

しかし、愛宕山より明確に天門忌避の影響を感じるのは、大江山である.

の北西に位置するこの山は、酒呑童子として知られる鬼の住む山とされたからである.

一般に、この大江山は丹後半島の付け根にある大江山とされる.

しかし、京都、亀岡市境、つまり、山城丹波の国境に位置する大枝山がそれであるという説もある.

この大枝山は、「万葉集」には大江山、「日本後紀」には大井山として登場するが、山陰道の大江関であり、大江坂が転じて老の坂と呼ばれるようになった.

そして、都から駆逐された盗賊の住みかとして知られるようになったのが、酒呑童子の原型であるともいわれるが、都の天門に位置する山であることが、その由来ではないかと思われる.

また、「百人一首」にも収められた小式部内侍の「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」から考えると、大江山、生野を通って天橋立に到達すると解せられる.

つまり、この大江山は生野よりよりでないとおかしい.

しかるに、生野は、現在の福知山市内にあり、大江山はその北郊にあって、からは生野より遠い.

したがって、この大江山は大枝山と解すべきであり、平安時代にはこの山が大江山とされていたことになるからである.

もっとも、どちらの山も京都の北西に位置することに違いはないのだが.

2021.1/27

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#289

「一寸法師」の鬼が乾の方角に逃げたというのは、この話の古さを語っている.

しかし、門番をするような鬼まで打ち出の小槌を持っているとするのなら、鬼のヒエラルキーというものなど考える必要がない.

当時の人々は、そのような鬼でも持つものとして打ち出の小槌を考えていたのであろうが、すべての鬼が持っているというのは、やはり変である.

狂言の「鬼槌」のように酒を飲んで呑気に構えていればよいのであって、門番などという仕事をしなければならないというのは考えにくい.

おそらくは、鬼は打ち出の小槌を持っていたのだが、それは鐘の声を聞くと消え失せるような代物であったのだろう.

それが、七母女天、七鬼神を通じて大黒天の持物になると、弁財天の如意宝珠と重なって、万能の道具となった.

その一方で、鬼の小槌は、人に病や死を与えるものでもあったが、「一寸法師」では、大黒天の持物と重なったのだろう.

と同時に、本来は神であった蛇が、退治される存在になったように、鬼の地位というものも大きく下落していった.

「日本書紀」斉明天皇7年、天皇の死を宮殿の上の山から大笠を被って見ていたというのが鬼の初出だが、その頃には、ほとんど神のような存在であった.

ところが、「霊異記」で閻魔王の使いとされた辺りから卑小化し、「一寸法師」では徒手空拳、もしくは、針の刀で逃げ去る存在となり、ついには、幼児が豆をぶつけるだけで逃亡する存在に成り果てた.

そのような存在であれば、宝を持たせるより、奪い取ればいいとなったのである.

「一寸法師」の本文では「濫妨」、つまり、掠奪とあるが、まさしくその通りの状況だったのである.

2021.1/28

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#290

「一寸法師」の挿絵に「杖しもつ」ではなく、隠れ笠、隠れ蓑が描かれ、針の刀を持っているのは、明らかに本文より新しい.

実は、この本には、失われた別の本が想定されているそうだが、挿絵を描いた人は、その本文の話ではなく、より進化した別の話が念頭にあったのである.

つまり、針の刀で鬼を退治したという、現在の一寸法師により近い話である.

もちろん、その話では、鬼が極楽浄土の門番であったなどということは忘れ去られている.

そして、鬼の宝を奪い取ったのだったら、「杖しもつ」などではなく、定番の隠れ笠、隠れ蓑だということになっているのである.

その杖や鞭が、特殊なものであるのならいざ知らず、鬼が持っていたというだけの代物に、何ら意味を見いだせなかったのである.

しかし、鳥羽から舟に乗って淀川を下っていたのが、吹き流された先が極楽浄土というのは理解しがたい.

阿弥陀経」によると、極楽浄土は西方十万億土を過ぎた所にあるというからである.

ただ、これを異界と考えれば、話は異なってくる.

2021.1/29

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#291

「日本国語大辞典」は、異界を「日常生活の場所と時間の外側にある世界」と説明している.

つまり、日常生活以外の場所はすべて異界なのである.

したがって、川であるとか、峠であるとか、そういう境界を一つ越えただけで異界に入ってしまう.

一寸法師は、物語の通りだとすれば、「風荒くして、きょうがる島へ」流された.

しかし、それは、淀川から大阪湾に押し流され、瀬戸内か、どこかの鬼の住む島に行ったという意味ではない.

日本人の考え方としては、川を越えただけで異界なのだから、淀川の向こうの「きょうがる島」も異界なのである.

そして、浦島太郎(浦島子)の連れて行かれた龍宮(「丹後国風土記逸文」では蓬莱)は異界の典型だが、そこでは別の時間が流れていた.

したがって、貰っても嬉しくない玉手箱を頂戴して帰るわけだが、「きょうがる島」もそうであったのではないかと思う.

「西方十万億土」は、人間の足ならとんでもない距離だが、別の時間が流れていく中では、吹き流されてすぐに着くのである.

ただ、そこは鬼が番人をしているくらいだから、西方浄土の辺境であったのだろう.

もっとも、そこから戻ってきたときには、人間世界ではかなりの時間が流れていたはずである.

異界にいた時間が短かったということだろうか.

2021.1/30

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#292

「一寸法師」の話も以上で終わりである.

昔、もう40年近く前に、「玉手箱と打出の小槌」という本が中公新書から出ており、この本には随分と教えられた

(この新書版は絶版だが、和泉選書の1冊として改稿版が2006年に出ている).

もう細かいところは覚えていないが、なぜ、老人になるしか能のない玉手箱を浦島は貰ったのかという指摘は面白かった.

また、打ち出の小槌は一寸法師には大きすぎるというのも興味深かった.

1寸とは約3p、指の関節1ヶ分である.

したがって、#267に書いたように、どんな短い針でも、一寸法師にとっては長槍以上のサイズである.

まして、小槌などは手に余るどころか、身に余るというのである.

「御伽草子」には、一寸法師本人が自分を打ったとあるが、これは姫のやったことでないとおかしい.

そして、その場合、姫が打ったのは、一寸法師を殺そうとしたからだとある.

しかし、グリム童話の「蛙の王様」と同じように、一寸法師は生まれ変わるのである.

つまり、一度、死んで、再生するという話が継承されているのだというのである.

その本を読んでから、昔話の裏側に興味を持つようになり、何か、自分でもまとめてみたいと思っていた.

たまたま、本屋で岩波文庫版の「御伽草子」を見つけ、読んでいるうちにその思いが強くなった.

多分、いろいろと変な部分もあるだろうが、とりあえず、若い頃の夢の一つがかなって嬉しく思う.

また、最後までつきあって読んで下さった方々には、感謝しかない.

2021.1/31


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