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Bataan.  バターン.

[歴史]バターン攻防戦.

WW2時の1942マニラ放棄後アメリカ軍はバターン半島Bataan Peninsulaを防衛拠点として立籠もり長期にわたって交戦したが陥落後コレヒドール要塞に後退した.

この時の日本軍の捕虜の扱いが「バターン死の行進」と呼ばれて非難された.

バターン半島はフィリピンルソン島南西部、マニラ湾の西壁をなす半島で、南と西は南シナ海に臨み、北西端の半島基部にスービック湾が位置する.

東部は平野部が広がるが、大部分はバターン火山、ナティブ火山等のある山岳地帯で、北方のサンバレスZambales山脈に繋がるジャングル地帯である.

全域がバターン州に属し、半島東岸に州都バランガBalangaが位置し、南端部にマニラ湾口を抑えるマリベレスMariveres港がある.

北部はバターン国立公園となっている.

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ニュー・ヨーク/キャムデン造船所に1942.3発注されたアメリカ、クリーヴランド級軽巡洋艦(/27+2+9+3、CL99)バッファロー

6/2インディペンディンス級空母(8/9、CV29)バターンとして再発注

8/31起工43.7/15軽空母(CVL29)8/1進水11/17シェーファー艦長の指揮下に竣工し太平洋艦隊に編入

45.4/7坊ノ岬沖海戦に参加/17-8沖縄近海で搭載のアヴェンジャー雷撃機2機が駆逐艦(DD532)ヒーアマン、(534)マッコード、(687)ウールマン、(691)マーツ、(730)コレットとともに伊44を撃沈10/17ニュー・ヨーク帰投後復員輸送に従事

46.1/10フィラデルフィア入港後係留

47.2/11予備役編入後飛行甲板、射出器の強化と電子機器の更新を実施

50.5/13フィラデルフィアで非公式にCVL(K)と呼ばれる対潜軽空母として復役.7-11/16サン・ディエゴに寄港し空軍の物資と人員を東京湾に輸送12/15韓国近海に到着し地上支援攻撃を実施

51.6/2出港7/9サン・ディエゴ出港後ピュージェット・サウンド/ブレマートン工廠で整備11/20-

52.1/27サン・ディエゴ寄港後横須賀経由で中城湾に回航4/29沖縄沖での訓練を完了し朝鮮半島近海に展開8/11作戦終了後サン・ディエゴで整備10/27-

53.5/10朝鮮半島沖で作戦後サン・ディエゴで整備7/31出港後真珠湾神戸経由で横須賀に回航8/26帰国

54.4/9サン・フランシスコで予備役編入

59.5/15カウペンズ級航空機運搬艦(4/5、AVT4)9/1除籍

61.5売却解体.

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コッカツー/シドニー工廠に1939.5発注42.2/18起工されたオーストラリア、アランタ級(イギリス、改トライバル型)駆逐艦(3/3+3、I91)カーネイ

44マッカーサーを顕彰してバターン@と改名

1/15進水45.5/25竣工後アメリカ太平洋艦隊に編入(艦番号D9を使用)

54.10/18除籍

57売却

58解体.

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シカゴ橋梁鉄工所セネカ工場で1944.1/28竣工55.7/1カッド・パリッシュと付名されたアメリカ、LST511級戦車揚陸艦(5/600+42)LST515

69.11/26フィリピンに引渡され戦車揚陸艦(/、LT85or96)バターンと改名後

マキンダナオと改名?

79.9/15アメリカ海軍籍から除籍

80.3/5売却

89除籍.

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フィリピン 海洋観測兼救難艇(/)SAR77

ヴォスパー・ソニークラフト/シンガポール造船所で1975.12進水

88在籍.

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アメリカA ワスプ級汎用強襲揚陸艦(5/6+2+4)LHD5

汎用強襲揚陸艦としてリットン・インガルス/パスカゴーラ造船所に1991.12/20発注94.6/22起工96.3/15進水97.9/20竣工し大西洋艦隊第2揚陸群に編入されノーフォークに配備

2013在籍.


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Last up-dated 28 Aug. 2013.

The Encyclopedia of World ,Modern Warships.

Bataan.

Ver.1.13a.

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