Down

De Ruyter.  デ・ロイテル.

[人名]Michael Adriaenzoon de Ruyer、1607-76.

オランダの提督.

ゼーラント州フラッシングに醸造職人の子として生まれ11歳で見習水夫となりフランスの私掠船の捕虜となったが脱走に成功後累進して船長1641ネーデルランド連邦海軍少将に任じられスペインに派遣45退役52第1次英蘭戦争の勃発により海軍に復帰後ゼーラント州艦隊司令官としてトロンプの麾下に8/16のプリマス海戦で船団を護送してアイスキューSir George Ayscue隷下のイギリス艦隊と交戦する等活躍し副司令長官に昇進64西アフリカに派遣されイギリスから失地回復に成功65.6/3第2次英蘭戦争中のロストフト海戦でのファン・ワッセナール、コルテノール戦死の後を受けてオランダ艦隊の実質的な司令長官としてC・トロンプ(トロンプの次男)、エヴェルトセンを副将として66.6/1-4の4日間海戦でモンクの率いるイギリス艦隊を北海で撃破7/25-6艦隊を整備してテームズ河口に進攻しセント・ジェームス・デイ海戦でモンクに破れたが67.6テームズ川を遡航してロンドンを脅かし国務長官デ・ウィッテとともにオランダにやや有利なブレダの和約をイギリスとの間に結ばせた72-4の第3次英蘭戦争では72.5/28ソールベイ海戦73.5/28第1次6/4第2次スクーネヴェルト海戦でヨーク公、ルパート王子の率いるイギリス、デストレの率いるフランス連合艦隊と交戦8/11テキセル海戦で遂にこれを撃破しイギリスを単独講和の道に追込んだ後もスペイン支援の目的で地中海に派遣され76.1/8ストロンボリ海戦でデュケーヌの指揮するフランス艦隊と交戦したが4/22アウグスタ海戦デュケーヌのフランス艦隊から受けた重傷が原因で/29シチリア島シラクサで死亡し艦隊も1ヶ月半後にパレルモ沖で全滅した.

イギリスのネルソン、日本の東郷平八郎(、韓国の李舜臣)とともに、世界3(or4)大提督と呼ばれる.

UpDown

オランダ@

1778進水.

UpDown

オランダB 74門戦列艦(/)

フラッシングで1831起工

50フリゲート(Gx54)に改造され53進水

60スクリュー艦に改造63舷側砲門艦に改造

74解体.

UpDown

オランダ アチェ級鉄製巡洋艦(3/6)

コーニンギン・エマ・デル・ネーデルランデンと改名されアムステルダムで1879進水.

UpDown

オランダC アチェ級鉄製巡洋艦(4/6)

アムステルダムで1880進水

99除籍.

Maritieme Historie Koninklijke Marine.

UpDown

オランダD ケーニンゲン・レゲンテス級海防戦艦(2/3)

ウィルトン・フィエンノルド/シェーダム造船所で1900起工01.2/20進水

23除籍.

Maritieme Historie Koninklijke Marine.

UpDown

オランダE エフェルトツェン級駆逐艦(2/8)DR

1925.8/21起工26.10/23進水28.5/31竣工

35ファン・ヘントと改名42座礁沈没.

Maritieme Historie Koninklijke Marine.

UpDown

オランダ デ・ロイテル級軽巡洋艦

6442s7548ft

oa17.92x15.70x5.11m

T(パーソンズ歯車式)x2/2 ボイラー(ヤーロー水管式)x6 66000shp 33knt 燃料1300t 6800nm/12knt

舷側装甲帯30-50その他30mm

150/50mmIIx1、Ix1+IIx2=7 ボフォース40mmMGIIx5=10 12.7mmMGIIx4=8

カタパルトx1 航空機(フォッカーC11W型水上偵察機)x2

パラヴェーン2基

乗員435

同型艦(1/1936)

デ・ロイテル.

De Ruyter in 1932.

Up---------------------------------Down

オランダF デ・ロイテル級軽巡洋艦(1/1)

1930計画軽巡洋艦(計画中止となったスラバヤ級軽巡洋艦[3/2+1]セレベス代替分)32速力増大の必要から船体を延長し併せて主砲1門を追加してウィルトン・フイジエンノールド/シェーダム造船所に686.7万ギルダーで8/1発注33.9/13起工35.3/11進水36.4/27公試開始10/3女王臨席下にA・C・ファン・デル・サンデ・ラコステ大佐の指揮下に竣工

37.1/12デン・ヘルダー出港後リスボン、タンジール、アレクサンドリア、ボンベイを経て3/3スマトラ島サバン入港後バタビアを経てスラバヤに回航.5末、インド艦隊に編入10/25オランダ極東水域艦隊旗艦を継承

40.1スラバヤで入渠し換装したタービンを修理3/4出渠12/19オランダ東インド艦隊司令官にK・W・F・M・ドールマン少将が着任

42.2/2ドールマン少将は連合国打撃部隊司令官に任命され/4.000スラバヤ港外マズラ島バンダ泊地を軽巡洋艦トロンプ、駆逐艦4とともにアメリカ重巡洋艦(CA30)ヒューストン、軽巡洋艦(CL12)マーブルヘッド、駆逐艦4を率いて日本船団攻撃の目的で出港.0954以降、ケンダリー飛行場を発進した日本海軍第11航空艦隊所属の/12ジャワ島Prigi Bayでアメリカ駆逐艦(DD217)ホイップルと衝突/19日本軍のバリ島上陸により軽巡洋艦ジャワトロンプ、アメリカ駆逐艦(DD216)ジョン・D・エドワーズ、(218)パロット、(224)スチュワート、(225)ポープ、(227)ピルズバリー、(228)ジョン・D・フォードとオランダ駆逐艦(PH)ピート・ハインを率いて出港/20バリ島沖海戦で駆逐艦朝潮等と交戦/27重巡洋艦(68)エクセター(イギリス)、(CA30)ヒューストン(アメリカ)、軽巡洋艦(D29)パース(オーストラリア)、ジャワ等を率いてスラバヤを出港/28スラバヤ沖海戦で日本艦隊と交戦し重巡洋艦那智、羽黒の発射した魚雷を受けて沈没.

UpDown

1938計画軽巡洋艦としてウィルトン・フイジエンノールト/シェーダム造船所で1939.9/5起工されたオランダ、デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン級軽巡洋艦(1/2、C801)デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン

47デ・ロイテル級巡洋艦デ・ロイテルGと改名

53.11/18竣工

73.3/7ペルーに売却されアルミランテ・グラウ級巡洋艦(1/2、CL>CH>CLM81)アルミランテ・グラウと改名87アギーレと改名89在籍.

Up---------------------------------Down

オランダ デ・ロイテル級巡洋艦

同型艦(2/1953)

C801 デ・ロイテル(exデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン>CL>CH>CLM81 アルミランテ・グラウ>アギーレ?).802 デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン(exエンドラハト>アギーレ>アルミランテ・グラウ).

UpDown

オランダH トロンプ級ミサイル・フリゲート(2/2)F806

デ・シェルデ/フラッシング造船所で1971.12/12起工74.3/9進水76.6/3竣工

86.3/19-26フリゲート(F808)カレンブルク、(809)ファン・キンスベルヘン等と来日

2000.4ミサイル・フリゲート(F813)ウイッテ・デ・ウィス等とともに来日.

予定艦名ファン・ヘームスケルク.

Dutch Tromp class frigate (F806) De Ruyter.

Up---------------------------------Down

オランダ トロンプ級ミサイル・フリゲート(2/2、F806)代艦→デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン級ミサイル・フリゲート(2/4)トロンプ.

UpDown

オランダ デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン級ミサイル・フリゲート(3/4)F804

2004.4就役

08在籍.


Since 26 Aug. 2002.

Last up-dated, 1 Feb. 2012.

The Encyclopedia of World ,Modern Warships.

De Ruyter.

Ver.1.12a.

Copyright (c) hush ,2001-12. Allrights Reserved.

Up


動画