Down

HMS Iron Duke._____________ __________Illustrated by Tensho-Kantai.

Iron Duke.   アイアン・デューク.

HMS Iron Duke.

[人名]初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーArthur Wellesley、1st Duke of Wellington、1769-1852.

19世紀イギリスの陸軍軍人、政治家.

艦名は「鉄の公爵」を意味し、その愛称.

初代モーニントン伯爵ガレット・ウェズリーGarret Wesley、1st Earl of Mornington、1735-81(ウェルズリーは改姓したもの)の5男としてダブリンで出生1781イートン校入学後父の死亡により84母とともにブリュッセルに移住86フランス西部のアンジェのピニロール陸軍士官学校に入学87歩兵少尉としてイギリス第73連隊に入隊90アイルランド議員に選出93中佐に進級しフランス革命戦争中の94-5初めて実戦に参加、後衛部隊の指揮を執ったが作戦全般の失敗から多大の損害を出し95アイルランド政府の文官職に転じたが96軍人に戻り、大佐として連隊を率いてインドに渡りベンガル地方の治安警備を担当98ベンガル総督となった外交官で、政治家であった長兄ウェルズリー侯爵Richard Colley、1st Marquis Wellesley、1760-1842の下でマイソール、マラータ戦争に活躍99カルナータカ州シュリーランガパトナSrirangapatna知事1802少将03.9アーメドヌガー城攻略戦で勝利を収め.12イギリスに有利な講和を結ばせた功績により本国議会から感謝状を贈られ04.9ナイトの爵位を得た05.9帰国.12ハノーヴァー遠征に旅団長として参加06.4下院議員に選出されラングフォード卿の娘キャサリン・パクナムと結婚07.1再選.3ポートランド内閣のアイルランド事務相に就任後コペンハーゲン遠征に軍司令官として参加しナポレオンと結合したデンマーク軍を撃破08.4中将.7兵員約9千を率いてポルトガルに遠征(半島戦争Peninsula War[1808-14])8/21リスボン付近でジュノーの率いる約2.8万人のフランス軍を撃破したがダーリムプル総司令官の命令により追撃を許されなかったことから帰国09ナポレオンの直率するフランス軍によりイギリス軍が撃退されたことから.4議員を辞職してリスボンで残存イギリス部隊の司令官に就任後増援を得てフランス軍をポルトガルから撃退.7マドリードの南西116kmのタラヴェラ・ラ・レイナで優勢なフランス軍の攻撃に耐えたことから.9子爵に叙せられたが兵力差からポルトガルに退却10.10リスボン北方のトレス・ヴェドラスでマッセナの率いる優勢なフランス軍と対峙11.3これを退却させ12.2伯爵.8マドリードに進攻.10制圧13元帥.5ピレネー山脈への進軍を開始.6ビトリアでフランス軍を制圧後国境を越えてフランスに達した14.5/30第1次パリ講和条約締結後ジョージ3世によりウェリントン連合王国公爵.6帰国.7フランス駐在イギリス大使15.2政務で帰国したカッスルリー外相に代わってウィーン会議の首席全権大使を代行中、ナポレオンのエルヴァ島脱出によりイギリス、ハノーヴァー軍司令官となり6/18ワーテルローでイギリス、オランダ、ベルギー、ドイツ連合軍10.6万人を率いてブリュッヘルの率いるプロイセン軍11.7万人とともに13万人のナポレオン軍を撃破.7フランス占領軍最高司令官に推され、穏健な占領政策により撤兵を2年短縮して3年で終了18アーヘン会議イギリス代表となり.12軍需長官として入閣22ヴェロナ会議にイギリス代表として出席後ロシアにギリシャ問題解決の目的で赴く等外交に従事27.1ヨーク公の死去により陸軍総司令官を兼任したが.4カニングの首相任命に激怒して辞職(トーリー党の分裂の原因)28.1イギリス最後の公爵位を持つ首相となりトーリー党の首領として保守政治を指示29カソリック解放令を制定

30.11選挙法改正に抗して辞任34-5外相

41-6無任所相としてピールSir Robert Peel、1788-1850を支持42以降、名誉職の陸軍総司令官48.4チャーティスト運動に対処してロンドン警備軍を編成してこれを武力弾圧

52.9/14ケント州ウォールマー城で死去.

イギリスの作家セシル・スコット・フォレスターの創作したホレイショ・ホーンブロワー提督の2度目の妻は公の妹という設定であった.

1865.5頃、長崎のグラヴァー邸で有名なイギリスの貿易商グラヴァーThomas Blake Glover、1838-1911が長崎大浦海岸(現在の長崎市民病院=松ケ枝橋間)に400mの軌道を敷設し上海から輸入した蒸気機関車アイアン・デュークを使用して乗客を乗せた客車3-4両を走らせており、これが本邦最初の鉄道であるという.

ウェリントン.デューク・オヴ・ウェリントン.ロード・ウェリントン.

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 イギリス@ オーダシャス級中央砲郭艦(4/4+1)

1867計画二等戦艦として9/26船体をペンブローク工廠に機関をレーヴンヒルRavenhill & Coに発注68.8/23起工70.3/1進水13knt/4830ihpを公試で発揮71.1/12竣工4/1デヴォンポートで就役

8/31中国艦隊旗艦となりスエズ運河をイギリス主力艦中、最初に通過

71頃、帆走設備をバルク・リグに換装後姉妹艦オーダシャスと任務を交代して予備役編入

75.4復役し沿岸防備任務に従事9/1キシュ・バンクKish Bank沖のダブリン湾を霧中航行中、キシュ灯台船近くのアイリッシュ海(53゚12'46''N/05゚46'15''W)で姉妹艦ヴァンガードに衝突し同艦の衝角が船体に突き刺さったヴァンガードは59分後に浸水により沈没

77.7までキングストンで警備任務に従事

78主甲板に356mm魚雷投射機x4を増備7/5デヴォンポートで再就役8/4出港

79中国艦隊に編入され旗艦を継承7/26有栖川宮威仁親王が少尉候補生として乗艦

80.7/17函館入港後奥尻島南端の青苗岬(42゚03'20"N/139゚27'08"E)沖で濃霧により座礁(徳洋記念碑)

83.1本国帰投後ボイラー換装と152mm砲の127mmBLx4換装を含む近代化改装を実施

85.4/16デヴォンポートで復役後ホーンビーHornby提督の率いる特別戦隊に編入.8海峡戦隊に編入

90.5デヴォンポートで復役後クィーンズフェリーQueensferry警備任務に従事

93.5/2予備役編入

1900石炭用ハルクに転用されKyle of Buteに係留

06.5/15グラスゴーのGalbraithに£15000で売却後解体.

RN Audacious class battleship HMS Iron Duke.

同級中、唯一バランス舵を持たなかった艦.

当初、艦名はデュークであったが、他の木造艦と区別する意味でアイアン・デュークと呼ばれた.

萩原延壽著「遠い崖」に1868.3/20勝海舟とパークス駐日公使との会談により、戊辰戦争で敗れた際には将軍徳川慶喜Tokugawa Yoshinobuをイギリスに脱出させるため、キップル艦長の指揮下に横浜で待機していた3774tの軍艦がアイアン・デュークとなっている.

この頃、この艦名の艦は存在せず、これはイギリス極東艦隊旗艦ロドニーと海舟が艦名を勘違いしたものと思われ、キップル艦長はキューパー司令長官のことと思われる.

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イギリス アイアン・デューク級戦艦

25000n26100l29560s30380f31400dt

oa190.12or189.8wl187.22pp176.8x27.46x9.98(deep)m

T(パーソンズ)x2/4 ボイラー(バブコック&ウィルコックスorヤーロー重油石炭混焼式*)x18 29000shp 21.25knt

石炭3250重油1050t 7780nm/10knt

MkV、343/45mmIIx2+1+2=10 MkVII、152/45mmBLIx(5+1)x2=12 MkI、76/20mmAAIx2=2 3pdr(47mm)Ix4=4 533mmTTx(4)

水線305-102甲板64-25バーベット254-76砲塔前楯279ケースメート152(内部隔壁102)司令塔279mm

乗員925or995(戦時1022)

同型艦(4/1914)

94>76>14 アイアン・デューク.66 マールボロ*.51 ベンボウ.16 エンペラー・オヴ・インディア(exデリー)*.

1911計画改キング・ジョージ5世級戦艦としてワッツの設計により建造時から本格的ケースメート装備の152mm副砲と高角砲を搭載した最初のイギリス戦艦で、同国最後の343mm砲搭載艦で、WW1開戦時、イギリスの最新鋭戦艦.

ワシントン海軍軍縮条約で保有が認められた最年長艦.

1930.4/22調印された第1次ロンドン海軍軍縮条約により練習戦艦に改造されたアイアン・デュークを除き31全艦廃棄.

RN Iron Duke class battleship Iron Duke.

HMS Iron Duke 1914.

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 イギリスA アイアン・デューク級戦艦(1/4)

RN Iron Duke class battleship. Illustrated by zono.

HMS Iron Duke,1.2.3.4.5.6.7.8.

1911計画戦艦としてポーツマス工廠に船体を、レアード/バーケンヘッド造船所に機関を発注12.1/12起工10/12進水21.6knt/30040shpを公試で発揮14.3竣工し本国艦隊(キャラハンSir George Callaghan大将)に編入され戦艦ネプチューンより旗艦を継承(94)

8/4グランド・フリート(ジェリコー大将)を新編し第2戦艦戦隊に編入され戦隊兼艦隊旗艦.0830第1-4戦艦戦隊、軽巡洋艦サザンプトンバーミンガム、偵察巡洋艦ボーディシアブロンド、第4水雷戦隊を率いてスカパ・フロー出港ロサイスを出港した装甲巡洋艦シャノンナタールロックスバロー、軽巡洋艦ノッティンガムファルマスリヴァプール、第2水雷戦隊と(58゚40'N/01゚30'E)で合流し北海で哨戒任務に従事中、第2水雷戦隊をロサイスでの.2030第3戦艦戦隊をスカパ・フローでの載炭のため分離.2400開戦/5軽巡洋艦4隻と第4水雷戦隊をインヴァーゴードンでの載炭のため分離/7-8スカパ・フロー寄港後フェーヤ島南東沖を哨戒中、戦艦モナークが潜水艦から発射された魚雷を受けたとの報告に接して反転後潜望鏡を認めて衝撃に向かったが失敗/10-1スカパ・フロー寄港/26スカパ・フロー帰投

(15-6前部上構に152mmx2を後部砲塔群両舷から移設)

15.1/23インヴァーゴードンにて修理完了

16弾火薬庫の上部甲板に25-51mmの装甲板を追加装着

1/12夜、スカパ・フロー在泊中に暴風に遭遇し給油船プルデンシャーが艦首に圧流されて衝突後沈没

5/31-6/1ジュットランド沖海戦に参加し主砲弾90発を発射

18.1(76).4(14)

11/28巡洋戦艦艦隊司令長官ビーティー中将のグランド・フリート司令長官就任とともに旗艦を戦艦クィーン・エリザベスに継承し第2戦艦戦隊に編入

19.3地中海艦隊(Sir John de Robeck)に編入され旗艦を継承19-

20黒海に展開

6/24姉妹艦マールボロベンボウ、駆逐艦スチュアートモントローズシャークスポーティヴスピーディーを率いてマルマラ海南部のトルコ沿岸で作戦

26春、大西洋艦隊に編入され主として訓練任務に従事

29予備役編入

30.4/22調印された第1次ロンドン海軍軍縮条約により日本の巡洋戦艦比叡、アメリカの戦艦(BB32)ワイオミングとともに練習戦艦となり第2、5主砲塔、TT、ボイラーの一部、全水線装甲帯と司令塔の撤去と120mmAAx2の後甲板への装備、重油専焼ボイラーへの換装を実施

31.11アイアン・デューク級砲術練習戦艦(1/1)

32.10/4工事完了

33再就役

37.5/20スピットヘッドで行なわれたたジョージ6世戴冠記念観艦式にイギリス戦艦ネルソン等とともに参列

39.8/26スカパ・フローに回航され基地船として使用中

10/17スカパ・フロー、ホイ、サウス・ウェールズ両島間に停泊中、ドイツ空軍第1航空艦隊第30航空団所属のユンカースJu88爆撃機4機の空襲を受け、至近弾により水線下を損傷し浅海に曳航されて擱座したことにより主・副砲を海岸砲台用に撤去後浮砲台兼補助艦艇用母艦として使用

40.3/16スカパ・フローを空襲したドイツ空軍第10航空艦隊第30航空団所属のユンカースJu88爆撃機18機、第26航空団所属のハインケルHe111爆撃機16機、計34機の爆撃により重巡洋艦ノーフォークとともに損傷

45除籍

46.3or8/2売却

48グラスゴーで解体.

RN Iron Duke class battleship Iron Duke.

魚雷防御網を持たない状態で完成した最初のイギリス戦艦.

建造費約£194万5824.

参考

Iron Duke Class Battleship - HMS Iron Duke, Benbow, Marlborough, Emperor of India.

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 イギリス アイアン・デューク級砲術練習戦艦

21250st

pp176.8x27.4x9.8m

T 18knt

MkV、343/45mmIIx1+1+1=6 MkVII、152/45mmBLIx12=12

該当艦(1/1932改造)

アイアン・デューク.

ロンドン海軍軍縮条約によりアイアン・デューク級戦艦を改造.

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アレクサンダー・スティーヴン&ソンズ/グラスゴー造船所で1899.7/11進水したイギリス、カナディアン・パシフィック・ライン貨物船モンテズマ

1914.11/2海軍が徴用し木とキャンバスで偽砲塔を作成して戦艦アイアン・デュークのダミー・シップに改造

15.7/7RFAが購入しタンカー、アバドールに改造17オークリーフと改名17戦没.

7345T 147.8x18.0m.

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アイアン・デュークII

オーストラリア、ブロッケン・ヒル管理会社Broken Hill Pty Co.Ltd.Whyalla鉱石運搬船(メルボルン)

ブロッケン・ヒル管理会社(BHP)ワイヤラ造船所で1943.3/28竣工

46アイアン・デュークと改名

70パナマ船籍

71.9解体.

4937T 127.71x17.12x7.24m R(4連成)x1/1 2800ihp 10.5knt.

船舶番号151(or9)583.

信号符字VLQY.

参考ShipsI.

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 イギリスB ノーフォーク級(デューク型)フリゲート(5/16)F234

23型フリゲートとしてヤーロー/スコッツタウン(グラスゴー)造船所に1988.7/11発注12/12or18起工91.3/2or28ウェリントン公爵夫妻の臨席下にMrs.Jane King防衛次官夫人の命名により進水92.7/23竣工(将来的には姉妹艦[F233]マールボロ等と第4フリゲート戦隊所属としてポーツマスに配備予定)

99.3/24-6/11NATO地中海部隊所属としてコソヴォ紛争を支援

2000.9/11出港後南大西洋を巡航

01.3ポーツマス帰投予定.12艦長Phil Warwick中佐

13在籍.

RN Norfolk class frigate (F234) Iron Duke.

Royal Navy.

建造費£194万5824.

甲板表示IR.

HMS Iron Duke.1.2.3.

参考HMS Iron Duke.from The Royal Navy Website.


Since 28 Oct. 2001.

Last up-dated 19 Oct. 2013.

The Encyclopedia of World ,Modern Warships.

#15

Iron Duke.

Ver.1.13a.

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