Down
Mutsuki.Mudzuki.
睦月.むつき.むづき.
駆逐艦睦月@ 睦月級駆逐艦 睦月丸(日本製鉄) むつき級巡視艇 巡視艇むつき(1) 巡視艇むつき(2)
掃海艇むづき@
[暦]旧暦1月の異称.
正月.
立春(2/4頃)前後の朔(新月)の日を1日とする月.
古代中国の年初は冬至であったが、前漢の時代に立春を年初とするように改められ、日本でもこれが使用された.
したがって、本来の五月雨が梅雨を意味するように、現在、使用されているユリウス暦とは1ヶ月以上ずれており、本来の睦月もユリウス暦では概ね2月に相当する.
元日は1/1のことであるが、この日が年初に選ばれた天文学的な意味はない.
古代ローマの暦は現在の3月に始まり、12月に終わっていた.
これは冬の間は意味がないと考えられていたからのようだがBC713ヌマ王の時代にJanuariusとFebruariusが加えられて、1年は12ヶ月になったが、3月が年初であることは一緒であった.
BC153ヒスパニアの叛乱により、年初に行われる執行官の選出を2ヶ月間早めたことによりJanuariusが年初となった.
これが1月が年初になった理由だが、運用が杜撰であったためにシーザーの時代には90日ものずれが生じておりBC45ユリウス暦を導入して、冬至付近の新月の日を1/1に定めた.
その後、325ニケーア宗教会議で3/21が春分と定められたことにより、ほぼ現在と同じ頃になったが、1年を365.25日(実際は365.2422日)としていたため、誤差が生じて1582グレゴリオ暦導入の際に10/4の翌日を10/15とし、現在の年初が確定した.
他に、フランス共和暦のように、秋分の日を、イラン暦等のように春分を年初とするものもある.
1872(明治5).12/9(旧暦では11/9)明治政府は当年12/3(旧暦)をユリウス暦にあわせて翌年1/1とすると布告、同時に1日を12辰刻制から24時間制に改めるとした.
これは、翌明治6年は閏月があるため1年が13ヶ月であり、財政危機にあった政府にとって官吏の給与を低く抑えたいという欲求があったことに由来し、その上、この年の12月は2日しかないので、支払う必要がないという計算に基づくものであった.
江戸時代、一日の始まりは、午前0時ではなく、日の出(寅刻)であったので、その最初を元旦(最初の日の出)と呼ぶ.
最初の子の日に若菜を摘み、小松を引いて無病息災を願う行事があった.
旧暦は陰暦とも呼ばれるように、現在の太陽暦とは異なる太陰(太陽)暦であり、月の運行を中心に定められている.
睦月を年初とし、以下、如月、弥生(花月)、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月(菊月)、神無月、霜月、師走の12の月が順番で推移する.
各月は、月の平均周期が29.53日であることから、29or30日の大小月に分かれる太陰太陽暦で、大小をどの月に当てはめるかと、季節のずれを調整する閏月(これは現在の閏月と異なり1ヶ月をまるまる挿入するものであった)をどこにいれるかは、中気を含まない月とされたが、実際には幕府の決定事項であった.
日については月の形を見れば充分であるとして、その月が大の月か小の月かを見分けるだけの判じ物のような暦が江戸時代に多数作られており、これが歳暮代わりに配られたことから日本での木版印刷の技術が非常に向上し、ひいては浮世絵に代表される版画の盛隆に繋がるとともに、海外に陶器の詰物として使用されたことから広く知られるようになった.
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駆逐艦睦月
IJN
Mutsuki class destroyer
Mutsuki.
1923新補充計画一等駆逐艦として佐世保工廠で26.3/25竣工し佐世保鎮守府籍4/1第30駆逐隊(第19、21、23、25号駆逐艦)に編入された日本、第19号級駆逐艦(1/12)第19号駆逐艦を
28.8/1睦月級駆逐艦(1/12)駆逐艦睦月(ムツキ)@と改名
12/10予備艦、艦長石橋三郎(兵36)中佐>兼如月艦長金桝義夫(兵40)少佐
29.4/23兼如月艦長小野寺丑蔵(兵40)少佐11/1艦長佐藤慶蔵(兵38)少佐、(-30.12/1)航海長池田暎(兵50)大尉
30.12/1艦長高次貫一(兵44)少佐、乗員竹内一(兵52)中尉転任
31.12/1第30駆逐隊(睦月、如月、弥生、卯月)は第1水雷戦隊に編入、水雷長鵜沢聡衛(兵51)大尉、砲術長(-34.11/15)野田知行(兵52)大尉
32.1/26佐世保出港/28第1次上海事件により上海入港2/2第1第1水雷戦隊は第3艦隊に臨時編入/6艦長古木百蔵(兵41)少佐/8呉淞上陸を支援射撃3/20第1第1水雷戦隊は第1艦隊に復帰、上海出港/22寺島水道帰投5/20艦長井原美岐雄(兵40)少佐
34.11/5第30駆逐隊は佐世保警備戦隊に編入/15兼如月艦長前川新一郎(兵50)少佐
35.4-6船体補強工事を実施9/26第4艦隊所属として演習中、三陸沖で暴風と激浪により艦橋が圧壊し航海長坂井倉一(兵56)大尉が死亡(第4艦隊事件)11/1艦長吉田英三(兵50)少佐/15第30駆逐隊は第1水雷戦隊に編入、水雷長松枝司蔵(兵51)大尉>(-37.12/1)小野四郎(兵54)大尉、兼如月機関長宇野重三郎(機32)機関大尉転任
36.11/16兼如月艦長白浜政七(兵49)少佐12/1艦長新谷喜一(兵50)少佐
37.7/7盧溝橋事件により第30駆逐隊は第1航空戦隊に編入され空母鳳翔、龍驤の直衛として中国方面に出動12/1艦長岡三知夫(兵50)少佐水雷長古要桂次(兵57)大尉、航海長志摩岑(兵52)大尉>末松虎夫(兵59)大尉
38.6武漢攻略作戦時にV作戦部隊根拠地警戒隊へ弥生、如月を派遣/1砲術長吾郷繁重(兵60)中尉転任8/1艦長有馬高泰(兵52)少佐/2艦長杉岡孝七(兵49)少佐11/15支那方面艦隊第5艦隊第5水雷戦隊第23駆逐隊に編入され南支部隊南支監視部隊に部署
39.4/1第23駆逐隊は佐世保鎮守府部隊に編入6/24予備艦、兼望月艦長菅間良吉(兵50)少佐11/1艦長太田良直治(兵51)少佐/15第30駆逐隊に編入
40.5/1艦長作間英邇(兵50)少佐10/15機関長大前勝三(機43)機関大尉転任、砲術長小林敬四郎(兵58)大尉>内田謹一(兵63)中尉(11/15大尉-41.9/10欠員)11/15第30駆逐隊は軽巡洋艦夕張、第29駆逐隊とともに第4艦隊隷下に第6水雷戦隊を新編、艦長森幸吉(兵57)少佐、航海長高柳親光(兵64)中尉>藤川進(兵66)中尉
41.8/9第30駆逐隊司令駆逐艦を如月に継承9/12艦長畑野健二(兵57)少佐/20乗員武藤晴男(兵67)少尉(10/15中尉、砲術長)10/1第30駆逐隊司令安武史郎(兵47)大佐の司令駆逐艦を如月から継承11/21第30駆逐隊は南洋部隊ウェーキ島攻略部隊に部署され第6水雷戦隊司令官指揮下/29.1600トラック出港12/3-8.1345ルオット寄港後船団護衛/10ウェーク到着/11第1次ウェーク攻略作戦に参加中、反撃を受けて撤退/13-21ルオット寄港/22-7第2次ウェーク攻略に参加/29-31ルオット寄港
42.1/3トラック入港/5南洋部隊R攻略部隊本隊に部署/10出港/13-4グアム寄港後船団護衛/22ラバウル方面攻略作戦を支援.2ラエ、サラモア攻略作戦に.3ブーゲンヴィル攻略作戦に参加/25(-9/10)航海長小杉敬三(兵68)中尉.4ポート・モレスビー攻略作戦に参加6/16-25トラック寄港
7/10第30駆逐隊は第2海上護衛隊に編入/14第30駆逐隊は重巡洋艦鳥海等と第8艦隊を新編/16佐世保入港後入渠修理/31砲術長(-9/10)山本吉重(兵68)中尉
8/14佐世保出港後ラバウルに進出/24.0700駆逐艦弥生、磯風、江風とともにショートランド出港.2200ルンガ進入後駆逐艦陽炎等とともにガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を約10分間砲撃/25.0827サンタ・イザベラSanta
Isabel島沖(07゚47'N/160゚13'E)で損傷した特設巡洋艦金龍丸を救助する目的で停止中、アメリカ陸軍航空隊B17爆撃機3機の投下した不発爆弾1発が機械室中央部に命中し41名が死亡11名が負傷.0853金龍丸を雷撃により撃沈処分.0940弥生が安武司令、畑野艦長、山本砲術長、小杉航海長等を救助後魚雷2本により撃沈処分10/1除籍.
IJN
Mutsuki class destroyer.
Illustrated
by Iyapopo.
信号符字JXWA.
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日本 睦月級駆逐艦
IJN
Mutsuki class destroyer.
Illustrated by SUDO.
1315st
oa102.7x9.2x3.0m
T(艦本式歯車減速装置付)*x2/2
ロ号艦本式水管型重油専焼缶x4 38500shp 37.25knt 重油422t 4000nm/14knt
3年式120/45mmIx1+1+2=4 7.7mmMGIx2=2
12年式610mmTTIIIx1+1=6(8年式2号Tx12) 機雷(1号式)x16
乗員154
同型艦(12/1925-7)
睦月(ex第19号駆逐艦).如月(ex第21号駆逐艦).弥生(ex第23号駆逐艦).卯月(ex第25号駆逐艦).皐月(ex第27号駆逐艦).
水無月(ex第28号駆逐艦).文月(ex第29号駆逐艦).長月(ex第30号駆逐艦).菊月(ex第31号駆逐艦).三日月(ex第32号駆逐艦).
望月(ex第33号駆逐艦).夕月(ex第34号駆逐艦).
IJN
Mutsuki class destroyer.
Illustrated by Iyapopo.
建造所のライセンスの関係等により、弥生のみMV(メトロポリタン・ヴィッカーズ)、ラトー式全歯車減速式タービンを、長月のみ石川島ツェリー式全歯車減速式タービンを採用.

IJN
Mutsuki class destroyer
Yayoi
& Mochidzuki.
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1922締結されたワシントン海軍軍縮条約により日本の主力艦保有量はイギリス、アメリカの60%に抑えられた結果、戦略の見直しを迫られた日本は、来襲する敵艦隊を洋上で駆逐艦、潜水艦、航空機等の補助兵力により迎撃して兵力を減少させた後、主力艦同士の艦隊決戦により撃滅しようという漸減Zengen作戦を策定したが、元来が日本近海での迎撃を目標に整備された艦隊を洋上作戦用に転換するのは非常に困難であった.さらに、仮想敵とされたアメリカとの決戦海域は太平洋上であり、同海域に進出し作戦しうる艦艇の整備が急務となったため、日本は主力艦とされた戦艦の近代化改装を急ぐとともに、航続力、凌波性に優れ、強力な攻撃力を持った補助艦艇の整備に努力することになる.
同条約で制限が加えられなかった補助艦艇のうち、駆逐艦は艦隊の前方に進出して敵艦隊を雷撃により撃滅する役割が与えられ、このため、従来のように大型(一等)、中型(二等)駆逐艦を並行建造する必要はないとされ、ワシントン海軍軍縮条約締結後の最初の艦隊整備計画である23新補充計画では23隻の建造が予定されていた2号級(二等)駆逐艦(後の若竹級)は1918計画の8隻のみで打ち切られ、大型駆逐艦のみが建造されることになった.さらに、22隻(全体では27隻)が建造される予定だった第1級級(一等)駆逐艦(後の神風級)は4隻に減らされ、その改良型である19号級駆逐艦12隻が、建造されることになる.
この19号級駆逐艦は、従来の峯風級駆逐艦系列に1910海軍軍令部が新たに採用した610mmTTを搭載して打撃力を向上させ、日本近海から太平洋上に作戦海域が変更されたことを受けて、艦首形状をダブル・カーヴ型に変更するとともにフレアを拡大して凌波性を向上させたものであった.
しかし、波浪の強い太平洋上で艦隊とともに行動するには、峯風級系列では不十分とされ、同じ23計画で抜本的に艦型を改め、兵装を飛躍的に向上させた吹雪級(特型)駆逐艦5隻を建造した.
この結果、本級は峯風、野風、神風級と続いてきた峯風級の最終発展型となったが、基本的にはこれら各級と同様で、比較的影の薄い存在となったものの、610mmTTの採用は列強海軍を圧倒する攻撃力であった.
同級は三日月、望月、夕月が月の様々な形状、残る9隻が旧暦各月の名称から命名されており1-7番艦については旧暦の1-7月に対応した命名がされているが、旧暦9月である長月が8番艦の艦名となり、同じく旧暦9月の異称である菊月が9番艦の艦名として採用されている.
ほとんどが明治時代の駆逐艦名を踏襲した2代目であるが、睦月は明治時代には採用されていないが、これは明治天皇の諱Iminaが睦仁であったことから忌避されたものと考えられる.
このような忌避は646(大化2).8の孝徳天皇の詔中で天皇の名を使用すべきでないとされたのが初見で、一条天皇の時には、天皇の諱が懐仁Kanehitoであったことから時の年号寛仁は寛弘と改めたと藤原行成の日記「権記」に記載されており1868(明治1).10/9の太政官布告で明治政府は仁孝、孝明、明治天皇の諱惠仁Ayahito、統仁Osahito、睦仁Mutsuhhitoの頭字である惠、統、睦の3字を一般の人名に付けることを禁じ、印刷する際には最後の1画を省略(闕画Kekkaku)するものと定めたが72闕画規定を削除73.3/28の布告で天皇と同一の名前でなければ文字の使用には制限を加えないと定め直されている.
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睦月丸
日本製鉄貨物船
2E型戦時標準貨物船として三菱重工業若松造船所で1番船として1944進水.
875T pp60.44x9.50x(5.45)m 焼玉x1/1
400hp 7knt.
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海上保安庁 むつき級巡視艇
69T
Dx2/2 1000bhp 14.9knt 420nm
同型艇(1/1951)
PC25 むつき.
木造.
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巡視艇むつき
海上保安庁(1) むつき級巡視艇(1/1)PC25
南国造船所で1951.12/11竣工し第3管区海上保安部横浜海上保安部に配属
56.3/10清水海上保安部に配属
71.10/9清水海上保安部に配属された横浜海上保安部巡視艇(PC31)はたぐもと交代して/5第4管区海上保安部鳥羽海上保安部に配属
72.12/4鳥羽海上保安部に配属された名古屋海上保安部巡視艇(PC30)しののめと交代して/2解役.
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巡視艇むつき
海上保安庁(2) しきなみ級巡視艇(6/17)PC59
1972計画23m型巡視艇
日立造船神奈川工場で7/12起工11/15進水12/18竣工し第3管区海上保安部横須賀海上保安部に配属
76.2/21竣工し横須賀海上保安部に配属された巡視艇(PC75)はたぐもと交代して/3解役された巡視艇(PC32)まきぐもの代艇として/5第9管区海上保安部新潟海上保安部直江津海上保安署に配属
97.1/23竣工し直江津海上保安署に配属された巡視艇(PC104)なおづきと交代して/6解役.
姉妹艇(PC59)もちづきと同時建造.
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Mudzuki.むづき.
[地名]睦月島.
愛媛県松山市(2005.1/1までは風早郡中島町)にある島.
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掃海艇むづき
海上自衛隊@ たかみ級(後期型)掃海艇(12/19)MSC641
JMSDF Takami class minesweeper (MSC641) Mudzuki.
第4次防衛力整備計画による1972計画掃海艇341号艇
日立造船神奈川工場で73.6/7起工
74.4/5進水8/28竣工し同時に竣工した姉妹艇(MSC640)たかね、第41掃海隊所属の姉妹艇(MSC634)あわじで第1掃海隊群隷下に第45掃海隊を新編し呉に配備
78.3/28あわじを第48掃海隊に編入
86.3/27第45掃海隊を呉地方隊阪神基地隊に編入
90.11/28第45掃海隊の解隊によりたかねとともにたかみ級特務船(11/17、YAS92)となり装備実験隊に編入され横須賀に配備
97.2/27除籍.
姉妹艇(MSC640)たかねとともに居住区の冷房追加、主発電機の強化を実施した後期型の2番艇.
Since 1 Jan.
2002.
Last up-dated,
2 Jan. 2019.




The Encyclopedia of World ,Modern Warships.
#62.
IJN Mutsuki
& JMSDF Mudzuki.
Ver.1.19a.
Copyright
(c)
hush ,2001-19. Allrights Reserved.
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