Down
Naka. 那珂.
IJN Kuma / Sendai class light cruiser Naka 1944.
Illustrated by Iyapopo.
当サイト別館の1万人目のお客様である
たま、様に
2005.12/27.
[地名]那珂川.
栃木県東部から茨城県北部へ南東に流れる川.
水源は栃木、福島県境の那須岳の主峰茶臼岳(1917m)西斜面にあり、蛇尾Sabi川、箒Hoki川等と合流しながら八溝Yamizo山地西方を南流、栃木県黒磯市(2005合併により那須塩原市)、那須郡、芳賀Haga郡を経て荒川と合流後南東に流れを変えて茨城県に入り、関東平野北東部の東茨城郡、那珂郡、水戸市を経てひたちなか市(1994勝田、那珂湊市の合併により成立)、東茨城郡大洗町境の那珂湊で太平洋に注ぐ関東第3の大河.
中流の那須郡烏山町(2005南那須町と合併し那須烏山市)から芳賀郡茂木Motegi町にかけての渓谷30kuは1967.3/10那珂川県立自然公園に指定された景勝地.
かつて流域一帯は仲国Nakanokuniと称されたが645大化改新時の好字2字化令により那珂郡と改称.
古来、白河、下野方面からの水運に利用されており、「万葉集」巻9では中川、「常陸国風土記」では粟河Awagawaと表記される.
全長126km.
流域面積3269ku.
UpDown
軍艦那珂
日本@ 改球磨/川内級巡洋艦(3/3)
IJN Kuma / Sendai class light cruiser Naka at Keeling,
1931-2.
88艦隊計画による1920計画中型(二等)巡洋艦
21.3/19軍艦那珂と命名
横浜船渠で22.6/10起工
23.9/1発生した関東大震災による火災により船台の盤木を焼失して倒壊したため建造中止となり解体
24.5/24姉妹艦川内の図面を元に再起工
25.3/24進水4/15艤装員長井上肇治(兵33)中佐6/1艤装員(砲術長)神保勉一(兵39)少佐7/1艤装員(水雷長)佐藤俊美(兵41)大尉、(-28.12/1分隊長)田原邦三(機24)機関大尉(27.12/1機関少佐)8/10艤装員(副長)雪下勝美(兵36)中佐/20艤装員(軍医長-26.12/1)桜井得一(千葉医専)軍医大尉10/20艤装員(通信長)野村留吉(兵46)大尉
11/30井上中佐(12/1大佐)の指揮下に竣工、航海長高木伴治郎(兵39)少佐、機関長山崎雅雄(機17)機関少佐、分隊長南暉吉(兵43)大尉、仙頭勝(機27)機関大尉、児玉義清(兵48)中尉、三品武夫(機28)機関中尉、主計長龍宝英夫(経7)主計大尉、乗員伊藤利吉(兵49)中尉、白石長義(兵49)中尉、岡部三四二(兵50)少尉、吉武二郎(機32)機関少尉、山田鉄蔵(機32)機関少尉
12/1(-27.12/1)分隊長新木秀二(機30)機関中尉(26.12/1機関大尉)
26.1/15(-12/1)副長竹下志計理(兵35)中佐11/1(-28.12/10)航海長渡辺清七(兵42)大尉(12/1少佐)12/1艦長中村亀三郎(兵33)大佐、砲術長清水巌(兵39)少佐、(-27.5/20)水雷長山崎助一(兵39)少佐、通信長柳沢蔵之助(兵46)大尉、(-27.12/1)分隊長今泉英三(機25)機関大尉
27.4/5艦長三戸基介(兵32)大佐8/24姉妹艦神通と第5戦隊を編成して美保ヶ関沖の日本海で夜間演習中、駆逐艦蕨に衝突した軽巡洋艦神通を避けて右に転舵した際に駆逐艦葦の艦尾に衝突、艦首を大破し葦の艦尾を切断(美保ヶ関事件)後舞鶴に曳航され舞鶴工作部で修復工事に着手5/20水雷長伏見宮博義(兵45)大尉11/1艦長毛内効(兵33)大佐/15(-28.10/25)砲術長阿部孝壮(兵40)少佐12/1(-28.12/10)水雷長有賀幸作(兵45)大尉、通信長本田甚次郎(兵46)大尉、分隊長中杉清治(兵50)大尉
28.9/10(-12/10)軍医長長置盛保(長崎医専)軍医大尉12/10艦長伴次郎(兵33)大佐、副長前沢弼治(兵37)中佐
29.5/1兼阿武隈軍医長松尾正道(慈恵医専)軍医大尉11/1(-30.11/1)砲術長秋山門造(兵42)少佐/30第13、15、16、27駆逐隊と第1艦隊隷下に第1水雷戦隊(後藤章少将)を編制し旗艦、艦長南雲忠一(兵36)大佐、軍医長伊藤雋吉(愛知医専)軍医少佐
30.6/26(-12/1)軍医長黒木武一(岡山医専)軍医少佐8/4(-31.4/20)主計長清藤勝次(経6)主計少佐12/1第1水雷戦隊旗艦を姉妹艦川内に継承して第3戦隊に編入、艦長山田定男(兵36)大佐、(-31.5/1)副長金沢正夫(兵39)中佐、(-31.12/1)砲術長高田俐(兵44)少佐
31.11/14(-32.12/1)機関長時任茂樹(機23)機関少佐(12/1機関中佐)12/1第3戦隊司令官堀悌吉少将の旗艦を継承、艦長山本弘毅(兵36)大佐、砲術長川井巌(兵47)少佐、(-32.12/1)軍医長大田川肇(慈恵医専)軍医少佐
32.2/2上海事件により第3戦隊は第3艦隊に臨時編入され長江警備に従事3/20帰投と同時に第1艦隊に復帰12/1艦長男爵園田滋(兵37)大佐、予備艦
33.11/15第2水雷戦隊司令官阿武清少将の旗艦を継承、艦長後藤英次(兵37)大佐、副長江戸兵太郎(兵40)中佐*、(-34.11/15)機関長勝俣清三(機25)機関中佐
34.6/29衝突事故により船体を両断されて沈没した駆逐艦深雪の船体前部を佐世保に曳航中、放棄8/1(-11/6)副長佐藤波蔵(兵39)中佐11/15艦長阿部嘉輔(兵39)大佐、砲術学校練習艦
IJN Kuma / Sendai class light cruiser Naka.
35.5/25艦長侯爵醍醐忠重(兵40)大佐11/15第2艦隊第2水雷戦隊を編制、艦長五島存知(兵38)大佐
36.12/1艦長阿部孝壮(兵40)大佐
37.8/2艦長中邑元司(兵39)大佐12/1艦長河野千万城(兵42)大佐、(-38.12/15)機関長武林忠二(機27)機関中佐
38.11/15兼夕張艦長宮里秀徳(兵40)大佐12/15艦長高間完(兵41)大佐、(-40.11/15)砲術長樋口貞治(兵51)少佐
39.11/15第6(響、雷、電、暁)、第7(曙、朧、潮)駆逐隊と第2艦隊隷下に第4水雷戦隊を編制、艦長秋山輝男(兵41)大佐、(-40.10/15)副長松田尊睦(兵45)中佐
40.10/15艦長伊集院松治(兵43)大佐11/15第2、第9、第24駆逐隊で第2艦隊隷下に第4水雷戦隊を編制
41.8/11艦長田原吉興(兵43)大佐/20水雷長大熊安之助(兵60)大尉9/1戦時編成により第2(村雨、五月雨、夕立、春雨)、第4(嵐、萩風、野分、舞風)、第9(山雲、夏雲、朝雲、峯雲)、第24駆逐隊(海風、江風、山風、涼風)と第2艦隊隷下に第4水雷戦隊(司令官西村祥治少将)を編制し旗艦11/5第4水雷戦隊は南方部隊比島部隊に部署/26第4水雷戦隊を率いて寺島水道出港/28-12/7馬公寄港後フィリピン南部攻略に向かう船団を護送/10ルソン島ビガンViganでアメリカ陸軍航空隊B17爆撃機による攻撃を受けて乗員2名が死亡、7名が負傷/12.2200ビガン出港/14-8馬公寄港後船団を護送/22リンガエン湾上陸作戦に参加/24馬公入港/29高雄出港
42.1/2-7ダバオ寄港後船団を護送して/10タラカン到着/11揚陸開始/21タラカン出港後船団を護送/23バリクパパンに部隊を揚陸/24オランダ潜水艦KXVIIIが雷撃(命中せず).0330駆逐艦(DD225)ポープ等からなるアメリカ第59駆逐隊が泊地に侵入後部隊を揚陸/30バリクパパン出港2/19ジョロ出港後船団護衛/25機動部隊とともにスターリング湾出港/27スラバヤ沖海戦に参加しオランダ軽巡洋艦デ・ロイテル、ジャワを撃沈3/2-8ジャワ島クラガンで哨戒任務に従事/12-26マカッサル寄港/29バンタム湾出港後/31クリスマス島攻略作戦に第4水雷戦隊第9駆逐隊(朝雲、山雲、夏雲)を率いて軽巡洋艦名取等とともに参加し搭載機が名取機等とともに同島を偵察後北東端の町を砲撃、占領
4/1クリスマス島泊地に停泊中、アメリカ潜水艦(SS197)シーウルフの発射した魚雷2本中、1本が右舷中央部の第1缶室に命中、爆発し長さ6.1m、最大幅6mの破孔を生じて第1、2缶室、前部燃料タンク、前部諸倉庫、第5兵員室等に浸水し前部が3.5m沈下、左舷TT以外の全方位盤、主砲、通信、航海機能を喪失し名取に曳航されて/3バンタム湾入港後排水作業、左舷主錨鎖等の重量物の後部移動等を実施/6バンタム湾出港/10夏雲、峯雲に護衛されてシンガポール、セレターに自力で入港後上部重量物を撤去し後部上甲板に固定バラスト(屑鉄)79t、後部防水区画と一部燃料タンクに海水バラスト335tを搭載しトリムを1.52m(前部吃水7.3、後部吃水5.78m)に調整/29シンガポール、ケッペル入港5/3工作艦朝日の支援を受けて入渠後キール交換、挫屈個所の補修と補強、破孔外側への仮外板、木製整流板の設置、一部燃料タンクのクラック補修等からなる応急修理に着手6/2出渠/3シンガポール出港/8-9馬公寄港/12横須賀入港/15特別予備艦/21舞鶴入港/26舞鶴工廠で第5主砲塔を89式127mmAAIIx1に、全TTを533mmTTIVx2に換装し96式25mmMGIIIx2、同IIx2、21号対空レーダー、22号対水上レーダー、94式2号3座水上偵察機x1、爆雷投射機、投下軌条、上陸作戦用に小発動機艇(35人乗り)x4を増備し舷窓を廃止する近代化改装に着手
7/6出渠/7艦長中里隆治(兵39)大佐
10/1艦長高木伴治郎(兵39)大佐
IJN Kuma / Sendai class light cruiser Naka, 1943.
Illustrated
by SUDO.
43.3/25艦長今和泉喜次郎(兵44)大佐4/1姉妹艦五十鈴(浅野船渠で修理中6/21トラックで合流)と第4艦隊隷下に第14戦隊を新編/2舞鶴で第14戦隊司令官伊藤賢三(兵41)少将の旗艦を継承/5修理完了し舞鶴出港/6-20柱島寄港/22横須賀入港/25.1030横須賀出港後空母雲鷹、冲鷹を護送/30.1150トラック入港後搭載機は第901航空隊司令の指揮下に在泊中は対潜哨戒に従事5/15.0630トラック出港/18-6/15ヤルート島寄港/18トラック入港/21戦艦金剛よりナウル島に送られる横須賀第2特別陸戦隊412名、軍需品約100t、重油150tを受領/22五十鈴、駆逐艦谷風、浜風を率いてトラック出港/25ナウル寄港/28.0800トラック帰投7/10副長五十嵐康彦(兵50)中佐/17トラック出港後駆逐艦朝凪と航行中、燃料に海水が混入し缶x4が使用不能となり残る缶x2の至急点火により航行を続行/19クェゼリン入港/20マーシャル諸島ミレ島に寄港し同島に配備される第66警備隊兵員303名、物件170tを揚陸/21朝、B24爆撃機1機による空襲を回避、ウォッゼ入港/24トラック帰投8/20五十鈴を第31戦隊に編入/25第14戦隊旗艦として重巡洋艦高雄、第24駆逐隊(駆逐艦海風、涼風)を率いてトラック出港/27ラバウルに寄港し便乗者を揚陸/29トラック入港9/3五十鈴、駆逐艦漣を率いてトラック出港後日枝丸、富士山丸を護送/7-8クェゼリンに寄港し兵員を揚陸/9マロエラップ環礁タロアに寄港し兵員を揚陸/10クェゼリン入港/12.0400ミレ、ウォッゼに物資輸送の目的でクェゼリン出港/13クェゼリン西方約150nmでアメリカ潜水艦(SS178)パーミットの発射した魚雷を受けて損傷した特務艦知床救助の目的で反転し兵員230名を日枝丸に移乗.0830再出港.1513知床を視認し警戒中、潜水艦の発射した魚雷2本を回避/13.1350応援船により曳航開始/15-9クェゼリン寄港/20-1ミレ島寄港後ウォッゼへ航行中、アメリカ機動部隊のギルバート諸島方面への攻撃により/23ウォッゼ出港/24-5クェゼリン寄港後日枝丸、富士山丸を護送/26-9ヤルート島イミエジ寄港後日枝丸、富士山丸、粟田丸を護送10/3トラック帰投/8.1000アメリカ機動部隊のウェーク島空襲により駆逐艦朝凪、特設運送艦粟田丸を率いて緊急出港後作戦中止/8夕刻、トラック入港/11五十鈴を率いてトラック出港後丁2号輸送作戦に従事中/12給糧艦間宮の救助に五十鈴を分離/17長江河口に仮泊/18上海入港/20陸軍部隊485名、軍需品を搭載/21上海出港後五十鈴と丁4号作戦に第2輸送隊としてラバウルに航行中/22.0213東シナ海(28゚40'N/124゚10'E)でアメリカ潜水艦(SS235)シャドの発射した魚雷1本が艦橋右水線下2mに命中したが不発/28トラックに入港し揚陸11/1トラック出港/3ニュー・アイルランド島カヴィエン北方(02゚00'S/151゚30'E)でアメリカ陸軍航空隊B24爆撃機1機の爆撃を回避中、銃撃により第14戦隊先任参謀藤田勇中佐以下5or6(日本軽巡洋艦史)名が死亡、7名が重傷、11名が軽傷/4.0530-1615カヴィエン寄港/5ラバウル入港後対空戦闘/6.0430ラバウル出港/9.0030-21.0630トラック寄港/22.0930ポナペ入港後陸軍部隊594名、軍需品130tを搭載/23.1320ポナペ出港/25.0600ルオットに寄港し燃料370tを補給.1100クェゼリン入港/30.2100陸軍部隊416名、軍需品130tを搭載してクェゼリン出港12/1.1540ミレ入港後物資を揚陸.2225出港/2.1600-3.1900クェゼリン寄港/5.0430マーシャル諸島西端のクサイ島入港後物資を揚陸/6.1000駆逐艦雷とともにポナペ入港後陸軍部隊595名、軍需品130tを搭載/7出港/8.0520-1500クサイに寄港し揚陸/10.1345トラック入港/19出港
44.1/1雷撃を受けた清澄丸救援の目的で出動/7艦長末沢慶政(兵48)大佐/8清澄丸を曳航してトラック入港2/16雷撃を受けた軽巡洋艦阿賀野救援の目的で出動中/17トラック西方35nm(07゚15'N/151゚15'E)でアメリカ第58任務部隊によるトラック空襲に遭遇し空母(CV17)バンカー・ヒル、軽空母(CVL25)カウペンズ搭載機の投下した魚雷1本と爆弾1発を艦橋付近に受けて前部を切断された後に前方から沈没し砲術長浦野三郎少佐以下乗員440名が死亡3/31除籍.
IJN Kuma / Sendai class light cruiser Naka, 1935.
信号符字JLRA.
横浜船渠で建造された唯一の巡洋艦.
関東大震災により竣工が遅れた結果、同級中、新造時から新型(S字状)艦首をもっていた唯一の艦.
艦内神社は茨城県東茨城群大洗町の大洗磯前神社の分霊で83同艦の忠魂碑が建設された.
御教示を戴きましたのF4U理事長に感謝申し上げます.
2009年4月10日.
UpDown
那珂川丸
東洋海運貨物船
2AT型戦時標準船として三井玉野造船所で363番船として1944進水5/28竣工
45.5/6木浦沖(34゚32'N/127゚56'E)で爆撃を受けて沈没し船員7名が死亡.
6886(11200)T oa137.3pp129.9x18.2m
T/1.
船舶番号50744.
Since 29 June
2002.
Last up-dated,
12 Jun. 2016.
The Encyclopedia of World ,Modern Warships.
Naka.
IJN
Kuma / Sendai class light cruiser Naka 1944.Illustrated by Iyapopo.
Ver.1.16a.
Copyright
(c)
hush ,2001-16. Allrights Reserved.
Up
動画