[人名]Armand Jean du Plessis, cardinal
et duc de Richelieu、1585-1642.
宮内裁判所長官で軍人であったポワトゥーの下級貴族の3男に生まれ1607司教09リュソン司教14全国三部会に聖職者代表として出席して頭角を現し16国務卿22枢機卿24ルイ13世の宰相となり王の絶大の信頼下、「仮借なきリシュリュー、恐るべき枢機卿は人を支配するというより粉砕した」と言われたほど王弟オルレアン公ガストンGaston
Jean Baptiste de France、1608-60、母后マリー・デ・メディシスMarie de Medicis、1575-1642を中心とする勢力と断固として戦い29煙草税を導入35フランス語の純粋性を維持する目的でフランス学士院Academie
francaise(翰林院)を設立し同国の新聞の始まりであるラ・ガゼツトLa Gazette(1631Theophraste
Renaudotが創刊)の保護等を行ったフランスの政治家.
1834発表された小説「ポンペイ最後の日The
Last Days of Pompeii」の著者で、リットン調査団で有名なリットン卿Victor Alexander George
Robert Bulwer-Lytton, 2nd Earl of Lytton、1876-1947の祖父でもあるイギリスの作家リットン
Edward George Earle Lytton Bulwer-Lytton, 1st Baron Lytton of
Knebworth、1803-73が1839発表した戯曲に「リシュリューRichelieu; Or the Conspiracy」があり、「ペンは剣よりも強しThe
pen is mightier than the sword」という言葉で知られる.