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 亀山の陸軍関係遺跡 

第1気象連隊

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第1気象連隊

第1気象連隊は1942年12月15日三重県鈴鹿市石薬師町に第1航空軍隷下に開設された.

第1航空軍、そして、1944年に編制された第2航空教育団の隷下に置かれたことから分かるように、気象連隊といっても、航空機の運用に必要な気象情報を得るための兵員を養成するためのものである.この頃、陸軍は更なる航空軍備の増強に努めていたが、航空機の生産、搭乗員の養成や飛行場の開設等だけですむ問題ではなく、関連する航測、航空情報、気象等の航空作戦を支援する将兵も必要であったからである.開設は開戦後となったが、ほぼ同時期に静岡県の浜松に第1航測連隊、磐田に第1航空情報連隊が新設されたのも偶然ではなく、その拡張方針に従ったものである.実際、第7航空通信連隊は中部第128、第1航空情報連隊は中部第129、第1航測連隊は中部第130、そして第1気象連隊は中部第131部隊という連番の通称号を持っている(後に第1航空軍隷下となった際、第1気象連隊は同軍の通称号から帥第581部隊となった).

これより先、1930年、陸軍は軍用気象会を設立し砲工、航空学校から短期派遣された将校が中央気象台で講習を受けており、翌31年には陸軍航空本部から気象勤務要員が中央気象台で受講するようになっていた.講義は1935年8月に砲工学校内に設立された気象部が受け持つようになり、毎年数名ずつが受講していったが38年4月気象部は陸軍気象部に発展41年7月には陸軍中央気象部が臨時編成されるに至った.

しかし、これらは将校が対象であり、人数も限られていた.また、開戦後は戦線の拡大によりより多くの人員が必要になったこともあり、各航空教育隊で実施されていた下士官、兵対象の初級気象兵養成を1ヶ所にまとめたのが気象連隊である.もっとも、第1気象連隊の場合、航空気象隊は現在の岐阜県各務原市にあったものしかなく、これが核となった.したがって、連隊とはいうものの、実際には気象兵の養成機関であった.また、戦時中でもあったために養成期間はわずか4ヶ月間に過ぎなかったが、毎回、約2000名、延べでは約3万名を送り出したといわれるが、正確な数字は不明である.

石薬師は東海道の宿場町である.ただし、伊勢に向かう旅人は日永か関の追分から南下したので、その間にある同地を利用する人は少なく、経理は苦しかったとある.土地は平坦であったが、高台にあるため水利が悪く、稲作に不向きな土地であった.また、関西鉄道(後の関西本線)加佐登駅(当初は高宮駅)が隣の高津瀬村に開業したことから、街道はさらに寂れたが、この付近の地形は軍には好適地とされた.雪が少なく、風が一定しており、乾燥した平地であるため、飛行場建設に都合がよかったのである.このため、1941年、高津瀬村に北伊勢飛行場が開設されており、42年には第1航空軍教育隊が設置されている.第1気象連隊の開設は、この流れの上にあった.

第1気象連隊の開設命令は1941年4月、そこから土地の収用が始まり、10月には兵舎が当時の鈴鹿郡石薬師村に完成、そして、冒頭に記したように12月15日に開隊となるのだが、その直前の12月1日に石薬師村は他の町村と合併している.鈴鹿海軍工廠建設に際する土地収用の不便を解消する目的で、海軍主導で成立した鈴鹿市となったのである.ただ、高津瀬村の村長は元陸軍憲兵大佐であったため、陸軍の誘致に熱心であり、鈴鹿川より北西は陸軍に優先権があったようである.実際、翌43年、同地に陸軍病院が建設された際には鈴鹿市内であるにもかかわらず、亀山陸軍病院(現在は鈴鹿病院)と命名されている.

第1気象連隊が、開設命令からわずか数ヶ月で開かれたのは、戦時中であったからである.そして、荒蕪地だった大地を開墾した開拓者の人達が多数いたからである.軍は、その人たちを役場に呼びつけ、書面に印を押すように迫った.苦労に苦労を重ねた土地を軍に譲るというものであった.有償ではあったが、話にならない金額であったそうである.しかし、軍の高圧的な姿勢に逆らえる人はいなかった.そして、手に入れた土地を平滑にして兵舎を建設したのである.その際、いろいろなものが出てきたと思われる.古代の古墳群の跡だったからであるが、何の記録も残ってはいない.

1945年8月15日の敗戦により9月1日、第1気象連隊は解隊となった.その後、一部は民間に引き渡されたが、多くは県有地として残り、農業試験場や看護学校等となった.その後、1975年に国体の馬術競技場が、78年に県立石薬師高校、消防学校が建設され、その過程の中で多くの遺構が失われ、第1気象連隊の痕跡はほとんど残っていない.ただ、隊内の道路が一般道として使用されており、そのよすがとしてが植えられ、現在では下記の写真のように立派な並木となっている.また、隊の西門のあった付近には、第1気象連隊の慰霊碑が関係者によって慰霊碑が建てられており、最近、1.5qほど離れた場所に射撃場の跡が見つかっている.

2014年4月6日、2022年4月3日.


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