表紙の写真

2005年2月

hush's photo part 2

奈良県磯城郡田原本町唐子・鍵遺跡に残る高射砲陣地跡.

同遺跡の東方に位置していた旧日本海軍大和航空隊柳本飛行場の防衛を目的として建設されたと思われる高射砲の台座跡.

直径約3m程の八角形で、中央に四角い穴がある.

遠景の楼閣は弥生時代の土器に描かれたものを模して建てられたもの.

なお、この遺跡から発掘された土器には船首尾がゴンドラ状にせり上がった丸木舟が描かれており、注目される.

2005年1月30日撮影

掩体壕

三重県鈴鹿市三畑町

掩体壕(えんたいごう)は航空機を空襲から守る目的で設置された一種の格納庫です.

この掩体壕は旧日本陸軍北伊勢飛行場の誘導路付近に設置された幾つかの内の一つで、御覧の様に民家の納屋として使用されています.

写真は南側から撮影したもので、蒲鉾状に開いている入口の様なものは、資料によると内径の幅が7.5m、高さが2.2m、外径の幅が9.1m、高さが2.9mだそうですので、アーチ部分のコンクリート厚は30cmと言う事になります.

そして、その上と左右に広がっている丘状の建築物が掩体壕本体です.

同資料によると上空から俯瞰した形状は変形6角形で、幅が29.6m、奥行きが23.1mと言う巨大なものです.

反対側からも拝見させて戴きましたが、幅23m、高さ2.8mのほぼ長方形(正確には縁の部分が斜めにカットされた6角形)の開口部の中には車2台と農機具が点在しており、非常に広い空間でありました.

北伊勢飛行場は隣接する三重県亀山市能褒野(のぼの)町に1943年4月1日に開所した明野飛行学校(現在の陸上自衛隊明野航空学校)北伊勢分教所の専用飛行場として開設されたもので、滑走路等は戦後の開墾と工場(古河電工亀山工場)建設により大半が姿を消していますが、正門、格納庫、兵舎の跡が一部残されています.

この掩体壕もその数少ない遺構の一つとなるわけですが、資料によるとほとんど土に埋まっていたそうで、使用されるに至らなかったのではと推測されています.

なお、この掩体壕は非常に分かりにくい場所にあり、近くに行くまでそれとはほとんど分かりません.

2005年1月22日撮影

長崎電報

 独逸皇帝御名代ハインリッヒ親王殿下には今朝八時半幕僚を随えて独艦エムデン号に乗御僚艦イロチス号を率い港外福田沖にて二艦の検閲を行わせられ旗艦シヤルンホルスト号及ライプチツヒ号よりは端艇を下して帆走練習を為したるが殿下には正午御帰港。

接伴員井上大使等及び佐世保鎮守府司令長官代理加藤(定吉佐世保工廠長?)少将は今朝長崎に下車して直ちに独逸(?)旗艦に殿下を訪問し午后上陸殿下を始め一同豊明館の晩餐会に臨みたり。

殿下には明朝茂木御見物の後同朝夕膠州湾に向って御出発の予定なり。

 1912(大正元)年9月22日付伊勢新聞

三重県立図書館のマイクロ・フィルムから

(写真に写っている格子はマイクロ・フィルム・リーダーのスクリーン・グリッドです)

この部分の確認をして戴いた大瀬千早様に感謝致します.

2005年1月25日

夜の工場

(2005年1月16日三重県四日市市)

双樹.

津市柳山にて

(2005年1月5日撮影)

津の町にも氷が張りました…2005.1/3

(2005年1月2日撮影)

hushの本棚…2005.1/2

初日の出を撮影するつもりが、その時だけ雨でしたので…2005.1/1


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hush's photo part 2.

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