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Prinz Eugen.Eugenio di Savoia.

プリンツ・オイゲン.

エウジェニオ・ディ・サヴォイア.

[人名]サヴォイア公子オイゲンEugen Prinz von Savoien(Eugene of Savoy).

1663-1736.

イタリア、サヴォイ公家の傍系ソワソン伯爵ウージェヌ・モーリス1635-73と宰相マザランの姪(枢機卿の姪と言う言葉は当時の使用法から考えて、実際はマザランの庶子であったと思われる)でフランス王ルイ14世の愛妾でもあったオランプ・マンシーニ1640?-1708との第5子としてパリに生まれ1683オーストリア軍に身を投じウィーンを包囲していたトルコ軍との戦いに従事し龍騎兵連隊長85少将87中将93元帥94イタリア方面軍司令官97対トルコ皇帝軍総司令官として9/11ハンガリーに進攻したオスマン・トルコ軍をツェンタの戦いで撃破1701キアリでフランス軍を撃破03軍事委員会総裁04バイエルン、ブレニム(ヘヒシュテット)でイギリス、マールボロ公ジョン・チャーチルとともにフランス・バイエルン軍を撃破06トリノでフランス軍を撃破07帝国大元帥となり軍務総監08オウデナルデ09マルプラケンでマールボロ公とともにフランス軍を撃破16.8/5ドナウ河畔ペーターヴァルダインでトルコ軍を撃破後テメシバル(ティミショアラ)を占領しネーデルランド総督17.8/21ベオグラードを攻略24イタリア総督33ライン方面軍司令官.

エウジェニオ・ディ・サヴォイア.

Captain of fortune, he fought with success under Leopold I of Austria against France and the Turks.

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オーストリア・ハンガリー@ カイザー・マックス級二等装甲フリゲート(2/3)

STT造船所Stabilimento Tecnico, Triesteで1861.10起工62.6/14進水63.3竣工

73.11ポーラ工廠にカイザー・マックス級中央砲郭艦への改造を発注74.10起工77.9/7進水78.11竣工

1904.12/30除籍され工作艦フルカンと改名19イタリアに賠償艦として譲渡20ユーゴ・スラヴィアに引渡の予定であったが20-1頃解体.

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オーストリア・ハンガリーA ヴィリブス・ウニーティス級戦艦(3/4)

1911計画戦艦としてSTT造船所Stabilimento Tecnico, Triesteで12.1/16起工11/30進水14.7/17竣工

18除籍後ユーゴ・スラヴィアに譲渡

19賠償艦としてフランスに接収されツーロンに曳航され水中爆発と爆撃実験に使用

22.6/28ツーロン沖でフランス戦艦ブルターニュジャン・バールパリフランスの実艦標的として撃沈処分.

Photos.

Line(1914).

Prinz Eugen, 1916.

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ドイツ プリンツ・オイゲン級重巡洋艦→改アドミラル・ヒッパー/プリンツ・オイゲン級重巡洋艦.

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ドイツ@ 改アドミラル・ヒッパー/プリンツ・オイゲン級重巡洋艦(3/3+2)

1936計画重巡洋艦としてゲルマニア/キール造船所で4/23起工38.8/22進水40.8/1竣工

41.5/18ゴーテンハーフェン出港/19リューゲン島アルコナ岬沖で戦艦ビスマルクと合流/24デンマーク海峡で巡洋戦艦フッド、戦艦プリンス・オヴ・ウェールズと交戦

42.2/23トロンハイム沖でイギリス潜水艦(N52)トライデントの発射した魚雷を受けて艦尾を喪失

43.4訓練艦

44.6装甲艦リュッツオーとともにフィンランド戦支援の目的でオーランド諸島ウト島付近を行動

.8リガ湾沿岸のタクウムに主砲弾265発を発射

9/13-7ボスニア湾フォグランド島への逆上陸作戦タンネ・オストを支援/20-5フィンランド撤退作戦を支援

10/10-5メーメルに主砲弾1196発を発射/15ヘラ半島北方で軽巡洋艦ライプチッヒの左舷中央部に衝突し艦首を大破しゴーテンハーフェンに回航

11/13ドイチェ・ヴェルケ造船所で修理完了/20-8同地で主砲弾871発を発射

45.3/10-4/4ダンツィヒ湾からの撤退作戦に従事し同地で主砲弾2025発を発射

4/10ゴーテンハーフェン出港/20コペンハーゲン入港

5/7同地で連合軍に接収され武装解除/26イギリス重巡洋艦(C39)デヴォンシャー、防空巡洋艦(37)ダイドーの護衛下に軽巡洋艦ニュールンベルクとともにコペンハーゲン出港/28-12/14ヴィルヘルムスハーウェン寄港後ブレーメルハーフェンで賠償艦としてアメリカに譲渡

46.1/5雑役艦(IX300)プリンツ・オイゲン/13ブレーメルハーフェン出港/22スピットヘッド経由でボストン入港

2/1フィラデルフィアに回航され公開後フィラデルフィア工廠で武装の一部を撤去/24ドイツ人乗員276名が帰国

3/11フィラデルフィア出港/17パナマ運河経由でバルボアに到着し聴音機の試験を実施し潜水艦4隻から発射された訓練用魚雷34本全てを回避/22サン・ディエゴに到着

4/9ドイツ人乗員164名が帰国

5/1最後のドイツ人乗員134名が帰国/10サン・ディエゴ出港後真珠湾に回航

7/1ビキニ原爆実験に使用/25ビキニ原爆実験に使用

12/21エニブジ島沖180mで転覆

Prinz Eugen, 1946.

同艦から撤去されたソナーを1948中期に駆逐艦(DD848)ワイテクに50アメリカ特務潜水艦(AGSS229)フライング・フィッシュに設置

78左舷スクリューがドイツに返還されブレーメルハーウェンで記念碑として保存.

本艦はドイツが1938.3併合したオーストリア海軍艦艇として建造されたため、同国で使用されていた軍艦名からテゲトフと言う艦名が選定されたが39.5/23イタリアとの同盟が成立しイタリア艦隊をリッサ沖海戦で撃破したテゲトフの名は相応しくないと言う理由で、同一人物を指すエウジェニオ・ディ・サヴォイアと言う艦名がイタリアで採用されていたにも関わらず、この艦名が使用されたと言う.

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Eugenio di Savoia.エウジェニオ・ディ・サヴォイア.

[人名]サヴォイア公エウジェニオ.

オイゲン公のイタリア名.

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イタリア エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級(コンドティエリ4型)軽巡洋艦(2/2)

1931-3計画軽巡洋艦としてジオ・アンサルド/ジェノヴァ造船所で32.1建造開始33.7/6起工35.3/16進水36.1/16竣工

40.12/18駆逐艦(RI)アウグスト・リボティ等とコルフ海峡北方のルコヴァを砲撃

42.3/7-9トリポリ補給作戦V5を駆逐艦(AV)アヴィエーレ等とともに支援

50.7賠償艦としてギリシャに譲渡されエリ級巡洋艦(1/1、C94)エリと改名されタラント工廠で整備51.6/30再就役64除籍.

Italian Emanuele Filiberto Duca d'Aosta class light cruisr Eugenio Di Savoia.


Since 15 Mar. 2002.

Last up-dated, 8 July 2009.

The Encyclopedia of World ,Modern Warships.

Eugenio di Savoia.Prinz Eugen.

Ver.1.09a.

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