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Asagao. 朝顔(朝顏).あさがお.
朝顔丸 (日本郵船) 駆逐艦朝顔 ①
港内艇あさがお (1) 警備船>警備艇>練習船あさがお ②
左から2007年9月17日三重県津市安濃町、2011年11月6日三重県松阪市2012年7月22日滋賀県草津市2020年7月10日三重県津市にて.
[植物]アサガオ Pharbitis
nil .
ヒルガオ(昼顔)科 Convolvulus アサガオ属 Pharbitisor or サツマイモ(薩摩芋)属 Ipomoea の1年草.
茎は3mに達する左巻きの蔓 になって物に絡み付き、葉は3裂しているものが多く、長い柄を持ち、毛を有する.
花は喇叭状で、白、紫、藍、茶、紅等の色があり、7-8月の朝に咲いて午前中にしぼむが、この花の色はアントアシアニンanthocyaninという色素によるもので、酸性では赤紫、アルカリ性では青色を示すため、青色の花がしぼむと赤色になる.
和名はこの朝にのみ咲くという特性に由来する.
中国南部or東南アジア原産といわれ、観賞用として多く栽培されるが、中国では、南朝の斉、次いで梁に仕えた道士陶弘景Tao
Hongjing、456-536が5世紀末に著した「神農本草経集注」で種を「牽牛子Kengoshi」として紹介したのを最初として薬用植物として珍重された.
これはファルビチンPharbitinと呼ばれる成分を利用するもので、現在でも下剤や利尿剤として漢方で使用されている.
奈良時代末に薬草園で栽培されていたように、日本にも薬用植物として渡来したが905成立の「古今和歌集、物名」に矢田部名実Yatabe
Nazaneが「けにごし」と題して「うちつけにこし とや花の色をみむをく白露 のそむるばかりを」と読み込んでおり、早くに観賞の対象となっていたことが分かる.
「万葉集」に5首詠まれている「あさかほ」は別の花といわれており、ムクゲ(槿)、ヒルガオ(昼顔) の他に紀伊半島 等に僅かに自生する亜熱帯産のノアサガオを指すとの説等があるが、山上憶良の有名な「萩 の花」で始まる歌に秋の7草 の1つとして詠まれていること、昌泰年間(892-900)に成立した日本最古の漢和字書「新撰字鏡」の「桔梗 」の欄に「阿佐加保」とあることから、キキョウ(桔梗) のこととするのが定説である.
しかし、その直後の延喜年間(901-23)に成立した「本草和名」の「牽牛子」の項に「和名阿佐加保」、「枕草子」の「草の花」の段に「をみなえし、桔梗 、あさがお、かるかや 、菊 」と記述され、「源氏物語」第20帖「朝顔巻」等から、平安時代には現在と同じ用法に変化したといわれる.
当時のアサガオは原種に近い小型の青色の花が咲くものと推定されるが、江戸時代初期に白花が出現、蔓の伸びない矮性種の登場、次いで紫、赤、さらに茶、灰等の色の花が登場して流行、観賞用に栽培されるようになり、さらに花や葉の変化を楽しむ変化アサガオの登場により、文化、文政年間(1804-30)にピークを迎え、一旦沈静化したが、嘉永、安政年間(1848-60)に再流行した.
この変化アサガオは、多数の鉢の中から、変わった姿のものを選んで育てていくもので、その後、オーストリアの修道士メンデルGregor
Johann Mendel、1822-84が1865発見した遺伝法則そのものであったが、牡丹 咲きのように雄蕊や雌蕊まで花弁化させた変化アサガオは種が採れないことから子孫が残せず、手間のかかることから明治になって開発の進んだ大輪アサガオに次第に駆逐された.
その後、明治中期には例年7/6から3日間開かれる東京都台東区入谷Iriyaの鬼子母神の朝顔市も始められたが、この市はWW2による中断を経て現在も続いており7/9-10夜に開かれる浅草寺の鬼灯市とともに東京 の夏の風物詩として有名である.
花は酸に弱くpH5程度の酸性雨で白い斑点を生じる.
ヨーロッパ では、日本種とは異なってハート状の葉を持つ同属で熱帯アメリカ 原産のマルバアサガオ(丸葉朝顔) Pharbitis purpurea が一般的で、英語のmorning
glory、ドイツ語のTrichterwinde、フランス語のvolubilis des jardinsは同種を指すが、英語の場合はアサガオ、ヒルガオ両属を含む総称としても使用される.
英名は「朝の栄光」、ドイツ名は「漏斗状のユウガオ 」、フランス名は「庭のユウガオ 」、漢名番藷は「長大な根茎」を、学名のnilはアラビア語で「アサガオ」を、Pharbitisは「色とりどりの」を意味しドイツ語で「色」を意味するFarbeからの造語.
漢字の「蕣」はアサガオのこととされるが、中国ではムクゲ(木槿)を指し、現代中国では牽牛花と呼ばれる.
浜昼顔 .
2023年5月17日三重県津市阿漕海岸 にて.
名前の似ているヒルガオ Calystegia
japonica は同じヒルガオ科の植物だが、一般的にユウガオ(夕顔) と呼ばれるヨルガオ(夜顔) Lagenaria leucantha はウリ科の、チョウセンアサガオ(朝鮮朝顔) Datura mete l はナス科チョウセンアサガオ属の植物である.
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朝顔丸
日本郵船貨客船
サー・ジェームズ・レイング/サンダーランド 造船所Laing/Deptford
Yardで328番船として1888.12/3進水
89.1竣工
94.12/5乗員時任為樹 大主計転任
04.5/3旅順 口で第3回閉塞船として自沈処分され指揮官向菊太郎 (兵19 )大尉、指揮官付糸山貞次 (兵27 )中尉、機関長清水雄兎 (機6 )機関少監等が死亡.
2461T pp93.9x11.9x(7.12)m Rx1/1
194ihp 10knt.
船舶番号1137.
信号符字HGTF.
日本初の鋼製船.
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駆逐艦朝顔
88艦隊計画による1918計画21計画(二等)駆逐艦として杜若 と命名される予定の所21.2/17第10駆逐艦 と仮称10/12第10駆逐艦 と命名され東京石川島造船所で22.3/14起工11/4進水23.5/10竣工9/20第16駆逐隊 に編入24.4/24第10号駆逐艦 と改名27.12/1第1水雷戦隊 (-30.12/1)第16駆逐隊 に編入された日本、第2駆逐艦級駆逐艦 (5/8+5)第10駆逐艦 を
28.6/1(8/1施行)若竹級駆逐艦 (5/8+5)駆逐艦朝顔①と改名
12/10艦長難波祐之 (兵39 )少佐>中沢佑 (兵43 )少佐、乗員大河原肇 (兵50 )中尉>(-29.11/30)杉藤馬 (兵50 )大尉
29.11/30艦長荒木伝 (兵45 )少佐、乗員磯貝常二 (兵51 )大尉
30.12/1乗員愛甲文雄 (兵51 )大尉
31.7/12姉妹艦若竹 等と第16駆逐隊 を編制11/12(-32.3)第16駆逐隊 は第2遣外艦隊司令官津田静枝少将の指揮下に旅順の警備に従事
32.4/1(33.11/15兼芙蓉 34.1/11-2/1兼刈萱 )艦長中津成基 (兵44 )少佐11/15乗員坂元常男 (兵52 )大尉>(-33.11/1)二反田三郎 (兵52 )大尉12/1乗員山下正倫 (兵53 )中尉転任
34.5/15艦長勢経雄 (兵48 )少佐8/20艦長渡邉保正 (兵49 )少佐11/1(-35.11/15)乗員高橋仁四郎 (兵52 )大尉/15第16駆逐隊 (朝顔、芙蓉 、刈萱 )は軽巡洋艦夕張 等と第3艦隊 隷下に第5水雷戦隊 を新編(-38.12/15)
35.11/15艦長吉井五郎 (兵50 )大尉
36.2/24艦長青木久治 (兵50 )大尉(12/1少佐)12/1第16駆逐隊 (朝顔、芙蓉 、刈萱 )は夕張 等と第3艦隊 隷下に第5水雷戦隊 を編制、乗員伊勢貞一 (機38 )機関大尉>林崎武雄 (機39 )機関大尉、山本茂 (兵59 )中尉転任
37.7/7日中戦争勃発時、第3艦隊 は台湾方面で演習中であったが、中国沿岸の警備に復帰11/15艦長中村昇 (兵52 )大尉(12/1少佐)12/1乗員平佐田休 (兵57 )大尉>田中知生 (兵57 )大尉
39.11/15舞鶴鎮守府への移籍により第16駆逐隊 を第32駆逐隊 と改称
40.1/20兼太刀風 艦長(-2/15欠員)吉田正一 (兵52 )少佐/25第32駆逐隊 の解隊により第4予備駆逐艦10/15芙蓉 と第32駆逐隊 を再編し特別役務、艦長肝付正明 (兵56 )大尉
41.4/10艦長杉原与四郎 (兵57 )大尉(10/15少佐)5/6-11、7/9-10司令駆逐艦を芙蓉 に一時継承7/25or11/20第32駆逐隊 は鎮海警備府に編入
42.1/21.1000六連 出港後第32駆逐隊 は軽巡洋艦大井 とともに台湾向け船団を護送
4/1乗員宮崎凱夫 (兵68 )中尉転任/6(-43.3/7)乗員福山鉄弥 (兵68 )中尉/10第32駆逐隊 は南西方面艦隊第1海上護衛隊に編入され第32駆逐隊 (朝顔 、刈萱 )、華山丸、長寿山丸、でりい丸、唐山丸、第22駆逐隊(皐月)で第2護衛部隊を編成/25艦長大西勇治 (兵57 )少佐
8/22第32駆逐隊 司令駆逐艦を継承
12/1第2護衛部隊は西護衛隊と改称/10第32駆逐隊 解隊/29乗員檜垣邦夫 (兵70 )少尉転任
43.10/20艦長森栄 (兵63 )大尉(44.5/1少佐)/22サイゴン 出港/23第331船団と合流/25第520船団と合流/27サン・ジャック 寄港11/3サイゴン 出港/3-4サン・ジャック 寄港後第439船団を護送/11高雄 入港/15第1海上護衛隊は海上護衛総司令部に編入/20高雄 出港後第220船団を護送/21-2高雄 寄港/23-4基隆 寄港後鴨緑丸 を護送/27門司 寄港/29舞鶴入港/30-12/18入渠整備(TTを撤去し爆雷を増備)/24公試完了/27舞鶴出港/28-9門司 寄港後第125船団を護送
44.1/4-6高雄 寄港後第351船団を護送/11サン・ジャック 寄港/12-7サイゴン 寄港後/16マニラ の西南西340nm(14゚40'N/113゚50'E)で被雷し艦首を喪失した駆逐艦天津風 救援に急行/18現場に到着後捜索(発見できず)/21.1800-23.2000カムラン湾 寄港/24.1420頃、第19駆潜艇 とともに天津風 に合流/24-2/25間に姉妹艦呉竹 等とともに北護衛隊に編入/29.2230サン・ジャック 入港/30.1630サイゴン 入港2/5サイゴン 出港/6.1000サン・ジャック 出港後サタ02船団を護送3/7高雄 出港後呉山丸 等からなる西松1号、タパ04船団を水雷艇鷺 、駆逐艦浜波 とともに護送/14パラオ 入港
5/3.0445門司 出港後空母大鷹 等とともに建川丸等からなるヒ61船団を海防艦佐渡等とともに護送/9マニラ 入港/17.2100シンガポール 入港6/11.1530門司 出港後松浦丸 等からなるミ07船団を海防艦屋代 等と護送/15-6奄美大島 大島海峡に仮泊/17松浦丸 等を護送して船団と分離/18.1730基隆 入港
7/9海南島三亜港で台風により座礁
10/15離礁11/30門司出港後第66号海防艦等とミ29船団を護送12/5第61 、63 、207号海防艦 と第31海防隊 を新編/25海防艦沖縄 と交代して第31海防隊 より除去
45.1/10高雄 港内で艦橋に直撃弾を受けて操縦不能になった屋代 が衝突2/15駆逐艦汐風 とともに駆逐艦野風 等からなる第1駆逐隊 に編入
5/20艦長石榑信敏 (兵68 )大尉6/1乗員新田吉太郎 (兵72 )大尉
7/28備讃瀬戸 の西方でアメリカ第38任務部隊空母搭載機の攻撃を受けて損傷8/15敗戦時、呉で残存/22六連 灯台2゚6.4km沖の関門海峡西口で触雷し大破着底後放棄/26第1駆逐隊 解隊
11/30除籍
47.9帝国サルベージが浮揚に着手
48.6/10解体完了.
IJN Wakatake class destroyer . Illustrated by A-140 .
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港内艇あさがお
海上保安庁(1) ききょう級港内艇 (2/4)CS71
1950計画6m型搭載艇
土屋造船で51.2/8姉妹艇(CS70)ききょう とともに竣工し第5管区海上保安部 神戸海上保安部 に配属
52.4/1解役.
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警備船>警備艇>練習船あさがお
ジョージ・ローリー/ネポンセット(マサチューセッツ )造船所で1944.9/6竣工49.2/28LSSL1級大型上陸支援艇 (9/130)LSSL9 と改名50-5フランスに貸与されアルバレト級上陸支援艇 (3/9、L9023)アルバルド と改名55.6返還されたアメリカ、LCS(L)(3)1級上陸支援艇 (9/130)LCS(L)(3)9 が
56.5/7日米船舶貸借or相互防衛援助協定により姉妹艇なでしこ (exLSSL80 )、ひなげし (exLSSL10 )とともに同級中、最後に日本に供与され海上自衛隊 、ゆり級警備艇 (51/53)あさがお②と改名され教育実習艇として使用
6/28練習雑船第1号(YTE01)と改名され呉地方隊 に配属
59.6/16警備船あさがおと改名
63.1/1練習船
65.4/28ひなげし とともに除籍返還され横須賀で整備
9/15南ヴェト=ナムに引渡されノ・タン級上陸支援艇 (4/7、HQ228)ドアン・ンゴック・タン と改名75フィリピンに引渡され(LF50)ラ・ウニオン と改名後80年代まで使用.
Since 17 Dec.2001.
Last up-dated,
18 May 2023.
The Encyclopedia of World ,Modern Warships .
#49.
Asagao.
Ver.1.23a.
Copyright (c) hush ,2001-23. Allrights
Reserved.
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