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Oi.
大井.おおい.
横山かなり様へ
日本海軍の人事や編制等について非常に有益な情報を満載した
の一万安打達成を祝ってこのページを贈呈します.
2003年11月11日
IJN Kuma class light cruiser Oi 1942.
Illustrated by Iyapopo.
[地名]大井川.
静岡県を流れる川.
赤石山脈塩見岳付近の間ノ岳(3189m)南斜面に発し、静岡県中部を南流して島田市東部で駿河湾に注ぐ川.
徳川幕府はこの川への架橋、渡船を許さなかったので東海道の難所として知られ、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と馬子歌にも歌われた.
この川に橋がなかったのは、東海道の要衝として軍事的・政治的理由があるとするのが一般的であるが、「大井川に橋がなかった理由」(松村博著、2000.12/20創元社刊)によると非常な急流河川であり、河床変動が激しく砂礫が多く堆積していて強固な地盤まで杭を打つのが当時の技術では不可能であったことから橋の建設が技術的に困難である、流量の変動が激しく年間50日程度を除くと水深1m以下であり、川瀬が複数あって舟運が困難である、江戸時代後期の有料通行者数が年間8万人と推定され、架橋費用と維持補修費に見合う効果が少ない、幕末には約1300人もの河川従事者がおり、推定で年間1万両にも及ぶ多大な現金収入があるため地元の反対が強かった、以上の理由により架橋しなかったのではなく、架橋できなかったのであるとする結論を土木工学の立場から論じている.
1871(明治4)渡船開始76仮橋設置83本格的木橋を設置したが89東海道本線の開通により道路使用者が減少したこと96洪水により大破したことにより1928国道1号線に鉄橋である大井川橋が架橋されるまでは渡船が主たる渡川手段であった.
このことにより失業した多数の河川従事者は開拓農民となり、その一部が生産した茶が今日の静岡茶の基礎となった.
全長180km.
流域面積1280ku.
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日本@ 球磨級軽巡洋艦(4/5)
1917計画第4中型(二等)巡洋艦18.1/24軍艦大井と命名され川崎造船所艦船工場(神戸)で19.11/24同造船所で12竣工した防護巡洋艦平戸以来7年振りに建造される巡洋艦として起工20.7/15進水9/1艤装員長丸尾剛(兵28)大佐.11第1回試運転でタービン翼が欠落21.8/24紀伊水道で実施された運転公試で34.233(#441)or36.223knt/90214shp/5423.23tを発揮10/3丸尾艦長の指揮下に竣工し呉鎮守府籍
/5第2艦隊第4戦隊に編入12/1第1艦隊第3戦隊に編入
22.4/3馬公出港後香港方面で行動/12横浜入港6/19佐世保出港後青島方面で行動7/4鎮海入港8/31舞鶴出港後シベリア方面で行動9/10小樽入港11/10艦長浜野英次郎(兵32)大佐
23.1舞鶴で巡航タービンの修理を終え第1艦隊に編入.3中旬、艦隊編成より除去7/3後期艦隊訓練で戦闘訓練中、タービンの不調により呉に帰投、整備8/25横須賀出港後中国沿岸を行動9/5大阪帰投12/1馬公要港部付属、艦長橋本才輔(兵30)大佐
24.5/10艦長松下薫(兵32)大佐6/22-6東南アジア巡航中にサイゴンに寄港12/1第1艦隊第3戦隊に編入12/1艦長枝原百合一(兵31)大佐
25.11/20艦長秋山虎六(兵33)中佐(12/1大佐)12/1予備艦
26.12/1馬公要港部付属
27.11/15艦長日比野正治(兵34)大佐、副長佐藤康逸(兵35)中佐
28.1-3フィリピン(1/17マニラ寄港)、ボルネオ、シンガポール、サイゴン方面を兵要調査を兼ねて巡航12/10兵学校練習艦となり艦長糟谷宗一(兵35)大佐
29.4/1艦長片桐英吉(兵34)大佐11/30艦長塚原二四三(兵36)大佐
30.12/1呉鎮守府部隊に編入され兵学校、潜水学校練習艦として使用、艦長岡田x一(兵35)大佐
31.4/1艦長新見政一(兵36)大佐10/15艦長太田泰治(兵37)大佐
32.1/21上海事変により陸戦隊1ヶ大隊1000名を乗せ、駆逐艦蔦、藤、薄、萩、水上機母艦能登呂とともに呉出港/24上海に入港し長江で警備に従事2/2第3艦隊を新編し艦隊付属3/23呉帰投9/15予備艦/20川崎重工業神戸造船所で特定修理に着手12/1艦長山内大蔵(兵36)大佐
33.3/15修理完了11/15呉鎮守府部隊に編入され兵学校練習艦
33-5近代化改装
34.6/1艦長平岡粂一(兵39)大佐11/15兵学校練習艦
35.9/26演習に参加中、台風により損傷(第4艦隊事件)11/15艦長山口儀三郎(兵40)大佐
36.12/1艦長志摩清英(兵39)大佐
37.7/28連合艦隊付属8/20日中戦争により多度津出港後華中方面で作戦/27佐世保帰投11/15副長深谷惣吉(兵46)中佐12/1呉鎮守府部隊に編入され兵学校練習艦、艦長安場保雄(兵42)大佐
39.1/11艦長武田勇(兵43)大佐11/15予備艦となり艦長殿村千三郎(兵40)大佐
40.11/15艦長金桝義夫(兵40)大佐
41.1-9舞鶴工廠で後部主砲塔x3を撤去して92式3型533mmTTIVx(5+5)=40(93式魚雷x40)を装備
8/25呉鎮守府部隊に編入され潜水学校練習艦
9/1艦長森下信衛(兵45)大佐
11/20同様に重雷装艦に改造された姉妹艦北上とともに第1艦隊隷下に第9戦隊を新編
42.1/21六連出港後台湾向け船団を護送/26-
2/1馬公寄港/4柱島入港後呉回航
4/10艦長成田茂一(兵43)大佐/13第9戦隊(岸福治[兵40]少将)旗艦を継承/23-
5/9呉工廠で入渠し訓令工事を実施/29柱島出港
.6ミッドウェー作戦に従事/17-22横須賀寄港/24柱島入港
9/9呉出港/10-2横須賀寄港後トラックに配備される舞鶴第4特別陸戦隊を輸送/17トラック入港
10/3艦長長井武夫(兵47)大佐/29トラック出港/31ラバウル寄港
11/1ブイン寄港/3トラック入港後訓練に従事/21トラック出港/26-7マニラ寄港後陸軍部隊を輸送
12/3-4ラバウル寄港/24呉に帰投し艦長相馬信四郎(兵42)大佐/28-31入渠
42-3高速輸送艦に改造
43.1/4呉出港/5鎮海入港/7-9釜山寄港後陸軍部隊を輸送/14-6パラオ寄港/19ウエワクに寄港し人員を揚陸/22-5パラオ寄港/31-
2/4青島寄港/10-7パラオ寄港/20-1ウエワクに寄港し輸送物件を揚陸/24-8パラオ寄港
3/3-11トラック寄港/15第9戦隊の解隊により連合艦隊付属に編入/17-9バリクパパン寄港/20-
4/3スラバヤ寄港後北上と/7ニュー・ギニア西部のカイマナに入港し第5師団を揚陸後スラバヤ=カイマナ間で同様の輸送を2回実施
5/16マカッサル/19ザンボアンガ寄港後人員輸送/24-
6/11スラバヤに寄港し人員を揚陸し訓練、整備に従事/12マカッサル入港/23.1115-1348同地でダーウィンより飛来したアメリカ第5航空軍第90爆撃団所属のコンソリデーテッドB24リベレータ-重爆撃機16機による空襲に遭遇し機銃掃射により機関長が死亡、2名が負傷/23出港/23バリクパパン入港/28タラカン、バリクパパンからドラム缶入り泥油1500本を輸送してマカッサル入港/30バリクパパン入港
7/1姉妹艦球磨、鬼怒からなる南西方面艦隊第16戦隊に北上とともに編入/2球磨等とともに出港/4セレベス島カウ泊地入港し協同訓練に従事後タラカン、バリクパパン経由で/22スラバヤ入港/23艦長川井繁蔵(兵46)大佐/30球磨等とともに出港
8/1シンガポール入港/10-25第101工作部で入渠/30北上とともに出港
9/2-3ニコバル諸島カーニコバルに寄港し第25軍兵士300名を揚陸/7ペナン経由でシンガポール入港/11シンガポール出港後リンガ泊地に回航され訓練に従事
10/8シンガポール出港後カーニコバルへ人員輸送/29北上とシンガポール出港/31アンダマン諸島ポート・ブレアに寄港し第25軍南西第1守備隊を揚陸
11/3-12/1シンガポールに寄港し整備後ペナン、サバン交通保護に従事/25シンガポール入港後訓令工事、機関整備に従事
44.1/4シンガポール出港後リンガで北上とともに訓練に従事/21-3シンガポール寄港後重巡洋艦青葉等とともにスマトラ北方のナンコウリ島に独立混成第37旅団の歩兵1ヶ大隊を輸送/27-
2/2シンガポール寄港/3駆逐艦浦波とペナン入港後スラバヤに海軍部隊を輸送/10シンガポール入港/12艦長柴勝男(兵50)大佐/18-24第101工作部で入渠/24or27(日本軽巡戦史)重巡洋艦利根等とシンガポール出港/30鬼怒とインド洋で通商破壊に従事する利根等に燃料を補給後スンダ海峡経由でバンカ島で鬼怒と10日間待機
3/14利根等に燃料を補給/15ジャカルタ入港/25シンガポール回航
4/1シンガポール出港後ダバオへの人員輸送に2回従事
5/13パラオからソロンへ陸軍部隊を2回輸送
7/6南西方面艦隊司令部輸送任務の目的でスラバヤ出港/16-9マニラ寄港後シンガポールへ回航中/19マニラ東方の南シナ海でアメリカ潜水艦(SS249)フラッシャーの発射した魚雷を受けて沈没し151名が死亡
9/10除籍.
IJN Kuma class light cruiser Oi, 1941.
Illustrated by
SUDO.
信号符字JLHA.
同級中、唯一、川崎、ブラウン・カーティス式オール・ギアード・タービンを採用したが機関の不調により練習艦任務に多用.
艦尾の艦名表記は変体仮名で「於ほゐ」と右書きされていた.
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大井丸
日本水産トロール船
大阪鉄工所桜島工場で第1383番船として1938.8/12進水11/12竣工
41.11/23海軍が徴用/28三菱長崎造船所で艤装工事に着手12/10佐世保鎮守府所管特設運送船(給糧船乙)
41.12/10第2号大井丸と改名
/19工事完了/26佐世保出港
42.1/21バリクパパン攻略船団としてタラカン出港後護衛の駆逐艦朝雲と衝突
42.5/30マーシャル方面の生鮮食料補給の目的でヤルート島よりタロアに回航中、ラタック諸島マロエラップ環礁南水道で触雷により沈没し船員5名が死亡6/1脱出した乗員を第63警備隊哨戒艇が救助後駆逐艦太刀風に移動/3ルオット到着7/1徴用解除.
498(322)T pp50.0x8.2x(4.3)m D/1
470bhp 11knt.
船舶番号45431.
信号符字JUTM.
同型船北上丸.
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大井丸
三共海運(>三菱汽船)貨物船(大阪)
三菱下関造船所で1938.8/3第282番船として起工39.3/7進水4/22竣工
41.9/5海軍が徴用し尼崎造船所で艤装に着手/12呉鎮守府所管特設掃海艇10/10工事完了/15第31掃海隊に編入
44.5/10呉鎮守府所管特設駆潜艇となり佐伯防備隊に編入
6/10大分県佐伯市蒲江Kamae深島Fukashima灯台の南東約10kmの宮崎県北部沿岸(32゚41'N/132゚01'E)で潜水艦の発射した魚雷を受けて沈没.
397T pp43.0x7.5m D/1 11knt.
船舶番号45392.
姉妹船多摩丸.
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大井丸
川崎造船所で1942.12竣工後まぎん丸と改名した旧日本海軍飛行機救難船公称第1541号が
50.7/10海上保安庁に移管されかわちどり級巡視船(6/7、PS60)大井丸と改名し第5管区海上保安部大阪海上保安監部串本警備救難署に配属
52.9/1高知海上保安部宿毛警備救難署に配属
53.2/16高知海上保安部に配属
4/1おきちどりと改名54(PS106)65解役.
信号符字JEMA.
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おおい
海上自衛隊A いすず級護衛艦(4/4)DE214
第1次防衛力整備計画(1次防)による1961計画乙型警備艦1214号艦として飯野重工業舞鶴工場(舞鶴重工)で62.6or7(#77)/10起工63.6/15進水64.1/22竣工(船体価格\8.89億)し第3護衛隊群直轄艦となり横須賀に配備
2/27竣工した姉妹艦(DE213)きたかみと第3護衛隊群隷下に第32護衛隊を新編し大湊に配備
68.12/16第32護衛隊は大湊地方隊に編入
70.7/12-3きたかみと防衛大学校実習航海に従事中、小樽に寄港9/9.0210肱岡茂2佐の指揮下に海上自衛隊演習に参加中、北海道松前小島北北東約20kmの津軽海峡西口で潜水艦(SS563)はるしおの艦橋部に艦尾推進軸付近が接触
72.5/17竣工した護衛艦(DE218)とかちを第32護衛隊に編入
73.8/31とかちを第35護衛隊に編入
76.5/19釧路で補給予定中、接岸申請が受理されず/27港内で立往生/29沖係で補給出港
82.8/1青森沖で体験航海中、76mm砲が暴発し民間人27名、乗員5名が軽傷
83.3/18とかちを第32護衛隊に編入
85.3/27とかちを第38護衛隊に編入
90.1/31第32護衛隊の解隊によりきたかみとともにいすず級特務艦(3/3、ASU7017)となり佐世保地方隊直轄艦、同日大湊出港後佐世保回航
92.5/9-10佐世保地方隊展示訓練に護衛艦(DDH144)くらま等とともに参加
93.2/5除籍.
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Oigawa.大井川.
[地名]大井川.
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大井川丸
摂陽商船(>関西汽船>大阪商船)貨客船
大阪鉄工所桜島工場で1897.5進水.6竣工98.1逓信省の命令により開設された上海=鎮江=蕪湖=九江=漢口(長江)航路に姉妹船天龍川丸とともに就航
1900.11以降、天龍川丸、利根川丸とともに阪神=山陽諸港=下関(山陽)航路に就航
35摂陽商船に売却
42関西汽船の設立により移籍
52.1/16売却後日本国内で解体.
570(529)or651(#242)T pp53.9x7.5m
R(3連成)/2 9knt.
船舶番号1665.
姉妹船天龍川丸、利根川丸.
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川南香焼島(長崎)造船所でストック・ボートとして1941.1/31進水した貨物船川工丸を
東洋海運が購入し大井川丸と改名
.5竣工
12/10フィリピン、ビガン上陸作戦時にアメリカ機の空襲を受け擱座
42.12/21上海出港後帝洋丸等と第6師団のガダルカナル島逆上陸を目的とする6号輸送船団を編成
43.1/11-7トラック寄港後乾坤丸、旭盛丸、ぱなま丸とB船団を編制し駆逐艦白雪等に護衛されてブーゲンヴィル島へ航行中/21乾坤丸が雷撃を受けて沈没/26ラバウル入港
3/1.0030帝洋丸等とラバウル出港後第51(基Motoi)師団揚陸(81号作戦)の目的でラエへ航行中/3.0803ダンピールDampier海峡南口付近(07゚15'S/148゚30'E)でアメリカ陸軍航空隊B25爆撃機の跳躍爆撃を受けて機関停止となり炎上.2320アメリカ魚雷艇の発射した魚雷を受けて船団中、最後に沈没し乗船者約1200名中、43名を除く全員が死亡(ビスマーク海海戦).
6493T pp130.0x15.6m R(3連成)/1 12knt.
船舶番号48220.
Since 10 Feb.
2002.
Last up-dated,
21 Aug. 2011.




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Oi.
Ver.1.11a.
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