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Satsuma.  薩摩.さつま.

薩摩丸(共同運輸) 薩摩丸(exPeik) 薩摩級戦艦 軍艦薩摩@ 改薩摩/安芸級戦艦 薩摩丸(宇都宮回漕店>日の丸汽船) 

巡視船さつま(1) 巡視船さつま(2) 輸送艦さつまA 巡視船さつま(3) 巡視船さつま(4) 

このページを素晴らしい写真の数々を提供して下さったのマスター、もりえだ様に贈ります.

2004年2月9日.


軍艦薩摩進水記念葉書(1906年11月15日).

画像提供山本留吉様.

Special Thanks !

4 July 2010.

(1)

[地名]薩摩国.

現在の鹿児島県西部にあった西海道に属する国.

702日向国から分離した唱更Hayahito国を改名して成立.

鎌倉時代から島津氏の支配下にあり幕末には公武合体派の中心となったが1863薩英戦争で列強の実力を知ると密貿易で得た豊富な資産をもとに西洋化を図り、明治政府をリード、下野した西郷隆盛等の率いる薩摩兵は西南戦争で政府軍に敗れたものの、海軍に関しては強大な勢力を保ち、多くの人材を生み出す一方で、薩摩閥を構成した.

一般に薩摩(鹿児島)弁と呼ばれる薩隅方言は幕府隠密の行動を遮る目的で人工的に作られたという説がある(学問的な裏づけはない)ほど九州各地の方言と異なりWW2中には暗号の代わりに国際電話で日本=ドイツ間の連絡に使用された(これが薩隅方言であることを盗聴していたアメリカ側が最終的に解明したため、実際には無益であった).

明治時代、警察官に薩摩出身者が多く登用された結果、薩隅方言の呼びかけの言葉から「おいこら警官」とも呼ばれたが、「こら」は「こちら=あなた」から変化した言葉で、叱責する言葉ではなく、「平手打ち」を意味する「ビンタ」も薩隅方言であったが、こちらは「頭」を意味する普通名詞であった.

無賃乗車のことを「薩摩守」というのは薩摩守平忠度Taira no Tadanori、1144-84の名を「只乗り」に引っ掛けた洒落であるが、この人物は木曽義仲の軍勢により平家一門が都落ちした際に、歌の師である藤原俊成の邸に戻り作品を託した後に一ノ谷の戦いで戦死し、俊成も彼の「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらかな」を「千載集」に読み人知らずとして収めたという話が「平家物語」にあり、よく知られていた.

薩摩芋Ipomoea batatas鹿児島では戦前まで琉球芋と呼ばれ、沖縄九州各地では唐芋と呼ばれるが、これは南アメリカ原産のヒルガオ科Convolvulaceaeサツモイモ属のこの植物が中国から九州を経て日本各地に広まったことに由来する.

サツマイモ属には朝顔ヨルガオ、ルコウソウ等が属する.

薩摩揚げは魚肉のすり身を成型後に油で揚げた揚げ蒲鉾であるが、関東大震災により故郷に戻ってきた職人が広めるまで、関西では天麩羅と呼ばれており、鹿児島ではつけ揚げと呼ばれる.

一宮は枚聞Hirakiki神社とされる.

薩州.

(2)

[地名]薩摩半島.

鹿児島県南西部にある半島.

鹿児島湾(錦江湾)を隔てて大隈半島に対峙する形で南方に伸び、東岸に鹿児島市、西端に野間岬、南東端に開聞岳が位置する.

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薩摩丸

共同運輸貨客船

ネイピアNapier Shanks & Bell/グラスゴー造船所で27番船として1884.5/27進水

85.10/1合併により日本郵船に移籍

1908.4/27鉄道省が用船し関釜航路に就航

11.3/31傭船解除5/27原田商行に売却

22中国、Leetung SS Coに売却されLeetungと改名41日本が拿捕後利通公司の所有となり利通号と改名45戦没.

1866T pp81.15x10.80x8.69m R(連成)x1/1 1440ihp 13.5knt.

船舶番号887.

信号符字HFSN.

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薩摩丸

Nylands/Kristiania造船所で84番船として1892.8/13竣工したノルウェー、A.Jacobsen貨物船Peikを

96K.Otsuboが購入し薩摩丸と改名

1919.8/25澎湖諸島で座礁沈没.

927T pp61.1x9.2m R(3連成)/1.

船舶番号1557.

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日本 薩摩級戦艦

19372n19700ft

oa146.9wl146x25.4x8.4m

R(垂直3連成)x2/2 缶x20 17300ihp 重油377+石炭2860t 18.25knt

305/45mmIIx1+1=4 254/45mmIIx(3+3)=12 120/49mmx12 80/40mmx4 80/28mmx4 450mmTTx(5)

水線帯100-230バーベット180-240主砲塔180-230司令塔150甲板50mm

乗員887

同型艦(1+1/1910)

薩摩. (安芸).

Illustrated by A-140.

設計近藤基樹造船中将.

日本が国産した最初の戦艦.

IJN Satsuma class battleship Satsuma.

「通俗教育 海軍写真帖」(1913刊)より.

准弩級戦艦.

安芸が1904計画甲号、薩摩が乙号戦艦であることから分かるように、安芸が1番艦であったが、計画中に主機をRからTに変更した関係で、起工も完成も薩摩のほうが早かったため、本稿では薩摩級戦艦として扱い、安芸は設計変更により同型艦として見なしがたいため改薩摩/安芸級戦艦とする.

2檣2本煙突(第1煙突は円形、第2煙突は長円形).

基本計画番号A9(改薩摩/安芸級戦艦はA14).

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軍艦薩摩

日本@ 薩摩級戦艦(1/1+1)

IJN Satsuma class battleship Satsuma. Illustrated by A-140.

1904計画乙号戦艦

横須賀工廠に臨時軍事費により04発注

05.5/15(日本海海戦の2週間前)起工6/11部内限りで軍艦薩摩と命名

06.11/15明治天皇の臨席下に進水

08.11/20横須賀工廠艤装員(09.1/15兼艦長)上泉徳弥(兵12)大佐

09.1/15横須賀工廠艤装員兼機関長山田英之助(機旧4)機関大佐、水雷長兼横須賀工廠艤装員篠崎真介(兵20)少佐、分隊長兼横須賀工廠艤装員(4/2-7/30兼満洲分隊長-10/15)伊地知清弘(兵30)大尉、乗員兼横須賀工廠艤装員(-10/11)吉武純蔵(兵32)中尉3/25世界最大の戦艦として竣工

4/1横須賀工廠艤装員(/19兼機関長10.4/1機関長)村田愛吉(機旧4)機関大佐、分隊長兼横須賀工廠艤装員(-12/1)松崎直(兵31)大尉、乗員(-11.5/1)和田専三(兵34)中尉、会田常次(仙台医専)少軍医(10/11中軍医-11.8/12)5/25分隊長兼横須賀工廠艤装員小浜方彦(機11)機関大尉>関口精一(機10)機関大尉6/3副長中嶋資朋(兵19)中佐、乗員(10/1分隊長心得)兼横須賀工廠艤装員片山登(兵32)中尉(10.3/19大尉、分隊長-5/23)10/11砲術長兼横須賀工廠艤装員蜂須賀虎麿(兵19)中佐/15分隊長兼横須賀工廠艤装員(-12/1)松下薫(兵32)大尉11/16乗員(-11.1/16)山下兼満(兵33)中尉/20軍医長兼横須賀工廠艤装員服部清一軍医少監12/1艦長(/8兼横須賀工廠艤装員-10.3/1)荘司義基(兵11)大佐、(/8-10.4/1兼横須賀工廠艤装員)砲術長正木義太(兵21)中佐、分隊長(-10.3/1)池田他人(兵30)大尉/8兼横須賀工廠艤装員(<副長)土屋芳樹(兵16)中佐、(<航海長)真田権太郎(兵18)中佐、

10.1/27水雷長阿部三平(兵27)少佐3/1艦長(-4/1兼横須賀工廠艤装員)江口麟六(兵12)大佐、分隊長小西信道(兵30)大尉/29軍医長(-4/12)吉河為久蔵軍医中監、乗員(-11.2/13)竹居光績大軍医4/1分隊長(-12/1)四竈孝輔(兵25)少佐、(-11.1/23)米内光政(兵29)大尉、(-5/23)瀬崎仁平(兵32)大尉、乗員和田専三(兵34)中尉/20分隊長片岡廉(兵30)大尉転任5/28機関長(-11.12/1)鈴木富三(兵16)機関大佐6/3分隊長橘春精(兵31)大尉>(-11.12/1)松下元(兵31)大尉7/16乗員(-12/1)豊田貞次郎(兵33)中尉12/1戦艦肥前鹿島朝日、巡洋艦筑波伊吹とともに第1艦隊を編制し第1艦隊司令長官上村彦之丞(兵4)中将の旗艦に指定、砲術長心得(-11.4/1)大石正吉(兵24)少佐、水雷長南郷次郎(兵26)少佐、分隊長(-11.7/15)森電三(兵28)少佐、(-11.12/1)松下薫(兵32)大尉、北川保橘(兵32)大尉

11.1/18分隊長(-4/1)在塚喜友(機14)機関大尉、乗員(-12/1)杉坂悌二郎(兵33)中尉/31艦長上村経吉(兵14)大佐3/11准姉妹艦安芸を第1戦隊に編入4/1乗員(-12/1)三井清三郎(兵34)中尉、(-8/24)横見補一(京大法)大主計5/22水雷長松下芳蔵(兵27)少佐/23分隊長山口権平(兵30)大尉>中村英彦(兵31)大尉、(-12.4/1)瀬崎仁平(兵32)大尉、(-12.10/19)白浜清(兵32)大尉7/15分隊長含川清治(兵28)大尉8/26軍医長(-12/1)中川平八軍医中監11/20(13.3/7兼磐手)艦長山口九十郎(兵13)大佐12/1機関長上野辰之助(兵19)機関中佐、水雷長柳原継雄(兵27)少佐、航海長真田権太郎(兵18)中佐>航海長心得名古屋為毅(兵26)少佐、分隊長木田盛徳(機9)機関大尉>甘木穆貞(機15)機関大尉

12.2/22分隊長柳瀬新作(兵31)大尉>森下亀楠(兵31)大尉4/1分隊長(-12/1)鈴木重友(機14)機関大尉/24乗員(-12/1)安藤隆(兵34)中尉6/20軍医長(-12/1)雨宮量七郎(東大医)軍医中監9/19.0715三重県四日市港沖で119mm砲用外部砲を修理中に暴発し1名が死亡12/1砲術長心得匝瑳胤次(兵26)少佐、水雷長松下惣吉(兵27)少佐、分隊長溝部洋六(兵29)少佐、山本典夫(兵33)大尉

13.2/4航海長心得福村篤男(兵27)少佐>冨岡金太郎(兵27)少佐4/1乗員(-14.12/1)丹下薫二(兵36)中尉5/24(-8/30兼磐手)艦長上村経吉(兵14)大佐、分隊長竹垣純信(機12)機関大尉>藤田六郎(機11)機関大尉、近沢末太郎(機16)機関大尉12/1巡洋戦艦金剛等と第1艦隊を編制、艦長吉嶋重太郎(兵14)大佐、副長伊集院兼誠(兵18)中佐>東条明次(兵21)中佐、砲術長平真雄心得(兵27)少佐>一条実孝(兵28)少佐、分隊長荒木三郎(兵30)大尉>梅津政太郎(兵29)少佐、福岡吾太夫(兵32)大尉>山本吉徳(兵32)大尉、粒良粂蔵(兵33)大尉>永野廉三(兵32)大尉、高松公春(兵32)大尉>(-15.6/30)久原福松(兵34)大尉、(-14.12/1)佐藤脩(兵35)大尉、乗員(-15.3/17)栗田健男(兵38)中尉、黒岩賢三軍医少監

14.3/23水雷長岸井孝一(兵28)少佐4/18機関長(-8/18)斎藤恒四郎(機2)機関中佐5/27乗員(-12/25)菅実(仙台医専)大軍医7/10水雷長(-15.12/13)副島村八(兵28)少佐8/18戦時編制への移行により戦艦摂津等と第1艦隊隷下に第1戦隊を再編後WW1への参戦により膠州湾封鎖作戦に従事9/26巡洋艦矢矧平戸、幸寿丸と第2南遣枝隊を新編し司令官松村龍雄(兵14)少将の旗艦に指定(12/28解隊)12/1副長植村信男(兵26)中佐12/1乗員(-15.12/15)芋川千秋(東北大医専)中軍医

15.2/1航海長心得加藤勁次郎(兵28)少佐/5摂津等と第1艦隊隷下に第1戦隊を再編し司令官東郷吉太郎(兵13)少将の旗艦に指定/26副長鈴木豊吉(兵25)中佐6/24乗員(-12/13)田村英(兵39)中尉10/1艦長布目満造(兵15)大佐12/13艦長堀輝房(兵16)大佐、副長横地錠二(兵27)中佐、分隊長藤沢宅雄(兵33)大尉>(-16.4/7)尼子晴兄(兵33)大尉、湯田有義(兵33)大尉、(-16.6/1)山田満(兵37)大尉、岩崎大助(兵37)大尉

16.4/1航海長心得池田幸作(兵28)少佐>河村捷二(兵29)少佐8/1乗員杉本修(機22)機関少尉(12/1機関中尉-17.2/7)12/1第1艦隊隷下に第1戦隊を編制、艦長飯田久恒(兵19)大佐、砲術長(-17.12/1)成富保治(兵30)少佐、航海長砥川三郎(兵30)少佐、水雷長猿渡真直(兵30)少佐>鈴木又蔵(兵30)少佐、分隊長志村実(兵30)少佐>加藤哲平(兵30)少佐、栗田了三(兵34)大尉>坂本伊久太(兵36)大尉、太田泰治(兵37)大尉、主計長(-17.12/1)吉村梅吉(京大法)主計少監

17.2/7分隊長横山茂(兵37)大尉3/19艦長竹内重利(兵20)大佐6/1分隊長本橋政光(兵35)大尉転任、乗員渡辺佐助(経2)中主計9/15分隊長藤岡晴次(兵33)大尉>山本雅一(兵34)大尉、(-12/1)鈴木嘉助(兵36)大尉12/1艦長島内桓太(兵20)大佐、副長天野六郎(兵27)中佐>吉富新八(兵28)中佐、(分隊長>)航海長兼航海長心得岡部亀蔵(兵32)大尉、分隊長兼砲術長多ヶ谷勝美(兵31)少佐、分隊長山脇信顕(兵33)大尉>河田群喜(兵33)大尉、(-18.8/3)藤堂功(兵35)大尉、永田良三(兵36)大尉、堀江吉正(兵37)大尉、倉員仁一郎(兵38)大尉、(-19.3/6)貴志与(機13)機関少佐

18.4/1副長(-11/12欠員)池田幸作(兵28)中佐/9艦長(6/1兼筑摩艦長)飯田延太郎(兵24)大佐6/1機関長吉沢作造(機10)機関中佐7/5(-9/25兼筑摩)艦長大内田盛繁(兵21)大佐9/25(-11/10兼春日)機関長杉山善治郎(機10)機関中佐12/1副長松本匠(兵29)中佐、機関長太田十三男(機11)機関中佐、水雷長(19.4/1兼通信長)今村久茂(兵32)少佐、砲術長辺見辰彦(兵32)少佐、航海長(19.4/1兼分隊長)佐藤英夫(兵33)少佐、分隊長(-19.4/1)松永寿雄(兵37)大尉、(-19.9/15)大野一郎(兵38)大尉

19.3/6分隊長甲正市機関大尉4/1(分隊長>)運用長江頭貞三(兵34)少佐9/15分隊長(-12/1)水崎正次郎(兵38)大尉10/1運用長広岡正治(兵33)少佐11/7or20艦長森本義寛(兵22)大佐/20機関長杉山善治郎(機10)機関中佐12/1戦艦安芸等と第1艦隊隷下に第2戦隊を編制、副長(-20.3/5)近藤直方(兵30)中佐、砲術長石井二郎(兵33)少佐、水雷長兼通信長坪井丈左衛門(兵33)少佐、分隊長(-20.8/23)丸山一雄(兵36)大尉、中村季雄(兵38)大尉>(-20.5/6)柴田力(兵39)大尉、丹生秀(兵39)大尉、(-20.8/12)中野勝次(兵40)大尉、山崎雅雄(機17)機関大尉転任、門脇国夫(機19)機関大尉転任、分隊長心得(-20.11/15)小豆沢成(兵42)中尉/2分隊長心得(-20.12/1)崎山釈夫(兵42)中尉

20.5/6分隊長(-21.3/6)板垣盛(兵39)大尉11/12副長北村栄虎(兵28)中佐>三原秀太郎(兵30)中佐、砲術長清宮善高(兵33)少佐/20艦長中川寛(兵25)大佐、水雷長兼通信長白石邦夫(兵35)少佐12/1砲術長(-21.4/9)沢本頼雄(兵36)少佐、運用長井口正男(兵33)少佐、分隊長津田源助(兵38)大尉>(-22.9/20)吉田福蔵(兵37)大尉、(-21.4/20)松山光治(兵40)大尉、軍医長(-21.6/21)勝正吉(慈恵医専)軍医少佐

21.6/1分隊長心得鳥山祐蔵(機24)機関中尉(12/1機関大尉、分隊長-22.3/20)11/10通信長心得長谷部喜蔵(兵40)大尉、分隊長小沢真樹(兵41)大尉/18主計長稲津孫会主計少佐>小鷹狩丙吉主計大尉/26艦長三上良忠(兵27)大佐12/1運用長野口厚(兵32)少佐、分隊長(-22.3/20)八木秀綱(兵42)大尉、分隊長心得(-22.3/24)平尾松雄(機26)機関中尉

22.1/26艦長横地錠二(兵27)大佐2/20運用長河村辰雄(兵32)少佐3/15分隊長心得赤坂徳治(兵44)中尉転任(欠員)/20分隊長近藤憲治(兵40)大尉転任、鳥山祐蔵(機24)機関大尉転任4/1分隊長心得帖佐久(兵44)中尉転任、軍医長梶塚隆策(11sg)軍医少佐>兼安芸軍医長稲原広軍医中佐10/28航海長牧兼幸(兵34)少佐転任11/10(兼三笠)艦長(-23.6/1)田村丕顕(アナポリス)大佐、砲術長藤岡晴次(兵33)少佐転任

23.9/20ワシントン海軍軍縮条約により除籍

24.9/2(#209、日本海軍全艦艇史)or7千葉県野島崎南方or三宅島北東30nm(日本海軍全艦艇史)で戦艦日向、巡洋戦艦金剛の実艦標的として撃沈処分.

(1)

日本初の国産戦艦.

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日本 改薩摩/安芸級戦艦

19800n20100s21800ft

oa150.0pp140.2(146.9fl)x25.5x8.4m

T(カーティス式)x2/2 宮原式重油石炭混焼缶x15 25000shp 20knt 石炭3000t重油172t

305/45mmIIx1+1=4 254/45mmIIx(3+3)=12 152/45mmIx(4+4)=8 76/40mmIx12 79/28mmx4 457mmTTx(5)

舷側102-229バーベット178-234ターレット178-203司令塔152-305甲板51+25=76mm

乗員931

同型艦(1/1911)

安芸.

IJN Satsuma class battleship Aki.

薩摩級戦艦として建造予定中、日本初のタービン戦艦に設計変更(カーティス・タービンを採用した最初の日本艦).

2檣3本煙突.

基本計画番号A14.

UpDown

薩摩丸

タイン鉄工Willington Quay造船所で213番船として1918.8竣工しGibbs & Coが運航19Jackson Bros & Cory(Reindeer SS Co.Ltd)が購入しReindeerと改名24Mitchell Cotts & Co(Sun Shipping Co.Ltd)が購入しSunwoodと改名したイギリス戦時標準型貨物船ウォー・ビーチWar Beach(船舶番号142621)を

27宇都宮回漕店(高砂)が購入し薩摩Satsuma丸と改名後日の丸汽船が購入

38Satuma maruに表記を変更

42.11/1カリマタKarimata海峡で貨物船琵琶丸と衝突し琵琶丸が沈没

43.12/12.0800サイパン出港後秋葉山丸と船団を編制/20横須賀入港

44.2/11.1125新浜から高雄へ航行中、温州の東方沖(28゚00'N/121゚30'E)で中華民国空軍B25爆撃機5機による空襲で直撃弾6発を受けて損傷.1250(27゚38'N/121゚15'E)でアメリカ潜水艦(SS211)ガジョンの発射した魚雷を受けて沈没し船員4名が死亡.

3091>3112T pp101.0x14.3x(7.0)m R(3連成)x1/1 11.5knt.

船舶番号33167.

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巡視船さつま

日本鋼管鶴見造船所で1944.7/31竣工47.12/2運輸省海運総局に移管され中央気象台定点観測船鵜来丸と改名された旧日本海軍、鵜来級海防艦(1/20+2+10)鵜来

54.1/1海上保安庁に引渡されおじか級巡視船(3/5、PL104)さつま(1)と改名し第7管区海上保安部鹿児島海上保安部に配属

62.1/1新設された第10管区海上保安部鹿児島海上保安部を移管

65.11/24鹿児島海上保安部に配属された第1管区海上保安部釧路海上保安部巡視船(PL105)つがると交代して/24(海上保安庁30年史)or30(#104)解役.

(2)

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巡視船さつま

海上保安庁(2) えりも級巡視船(2/2)PL14

JCG Erimo class cutter (PL104) Satsuma.

撮影もりえだ様.

1965-6計画改900T型(大型)巡視船

日立造船向島工場で65.1/20(?)起工

66.4/5進水7/30竣工し6/3解役された巡視船(PL105)つがるの代船として第10管区海上保安部鹿児島海上保安部に配属

95.10/26竣工し鹿児島海上保安部に配属された巡視船(PL04)さつまと交代して9/22鹿児島海上保安部で解役.

JCG Erimo class cutter (PL104) Satsuma off Tokyo, 13 May 1975.

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輸送艦さつま

海上自衛隊A みうら級輸送艦(3/3)LST4153

JMSDF Miura class LST. Illustrated by 舞沙P.

1974計画輸送艦4153号艦

石川島播磨重工東京第2工場で75.5/26起工

76.5/12進水

77.2/17竣工し姉妹艦(LST4151)みうら等からなる自衛艦隊第1輸送隊に編入され横須賀に配備

80.7/5艦長松田和久1佐転任

87.11/3相模湾で実施された観艦式に護衛艦(DDH143)しらね等と第1観閲付属部隊を構成

2001.8/10姉妹艦(LST4152)おじかの除籍により自衛艦隊直轄艦

02.6/28除籍.

JMSDF Miura class LST (LST4153) Satsuma.

JMSDF.

主砲は護衛艦(DD118)むらくもから撤去された32番砲を転用.

(2)

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巡視船さつま

海上保安庁(3) おじか(えりも)級巡視船(3/7)PL04

1993計画1000T型(大型)巡視船

住友重機械工業浦賀工場で94.9/21起工

95.5/29進水10/26竣工し9/22解役された巡視船(PL14)さつまの代船として第10管区海上保安部鹿児島海上保安部に配属

99.10/29竣工し鹿児島海上保安部に配属された巡視船(PL67)さつまと交代して9/28第9管区海上保安部新潟海上保安部に配属され巡視船やひこと改名2013伏木海上保安部に配属23在籍.

JCG Ojika (Erimo) class cutter (PL04) Yahiko (ex Satsuma).

新潟海上保安部.

船舶番号IMO9138472.

信号符字JGTW.

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巡視船さつま

海上保安庁(4) おじか(えりも)級巡視船(6/7+)PL07

JCG Ojika (Erimo) class cutter (PL07) Satsuma.

撮影もりえだ様.

1997計画1000T型(大型)巡視船

川崎重工神戸工場で1493番船として98.9/1起工

99.6/3進水10/29姉妹船(PL06)でじまと同時に竣工し99.9/28第9管区海上保安部新潟海上保安部に配属されやひこと改名した巡視船(PL04)さつまの代船として第10管区海上保安部鹿児島海上保安部に配属

2023在籍.

JCG Ojika (Erimo) class cutter (PL07) Satsuma.

鹿児島海上保安部.

船舶番号136748.

信号符字JNYL.


Since 9 Feb. 2002.

Last up-dated, 26 Jun. 2023.

The Encyclopedia of World ,Modern Warships.

Satsuma.

Ver.1.23a.

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