Down

Tsukuba.  筑波.つくば.

for Mr. Hisashi Idenuma.

He was the 200005th vistor.

13th Dec. 2006.

筑波艦 筑波級装甲巡洋艦 軍艦筑波 筑波丸 筑波丸 筑波丸 巡視船つくば(1) つくば(2) つくば(3) 

Mt. Tsukuba.

[地名]筑波山.

茨城県つくば市北端、県中央部の関東平野の北東部に聳える山で、かつては関東平野のほとんどの所から遠望できた.

古来、常陸国の歌枕として知られる.

福島県白河市を北端とする八溝Yamizo山地の南端部に半島状に突き出た筑波山塊の主峰で、西側の男体山(871m)と東側の女体山(877m)の2峰からなり、中腹にある筑波山神社が男体山に伊邪那岐命、女体山に伊邪那美命(1922までは筑波男神、女神)を祭ることから男女和合の地とされており、「万葉集、常陸国風土記」では歌を掛け合って恋人を求める古代の習俗である歌垣Kagaiの地であった.

このため「百人一首」に採られた陽成院の筑波嶺Tsukubaneの峰より落つる男女Minano川恋ぞ積りて淵となりける(後撰和歌集)」のように、筑波といえば恋の歌枕となったが、これより先の平安時代から中世にかけては「古今集」の歌に「筑波嶺のこのもかのもに蔭はあれど君が御蔭に増す蔭はなし」を本歌とする天皇賛美の歌が多かった.

「日本書紀、古事記」によれば、日本武尊が常陸から甲斐に向かう途中、「新治Niihari筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と片歌を詠んだところ、火焼Hitakiの翁が「日日Kakaなへて夜には九夜Kokonoyo日には十日」と応じたとあり、これを連歌Rengaの最初とするが、関白太政大臣二条良基Nijo Yoshimoto、1320-88は連歌学書「筑波問答」の中で歌道を「敷島の道」、「八雲の道」と称するのに対して、この話から連歌を「筑波の道」と呼び1356准勅撰連歌集として「菟玖波集」を編纂し和歌の余技として扱われていた連歌の地位向上に努めた.

連歌は和歌を575と77の長句と短句に分けて歌い繋ぐ詩歌の形式で、平安時代から鎌倉時代にかけて始まり、室町から戦国時代にかけて隆盛し、俳諧連歌を経て江戸時代には発句Hokkuのみを詠む俳諧に発展したが、連歌や俳諧を筑波と関連するものとして捉える傾向は続き、室町時代の連歌師飯尾宗祇Iio Sogi、1421-1502の「新撰菟玖波集」をはじめとして、山崎宗鑑Yamazaki Sokan、1465?-1553?の「犬筑波集」、松永貞徳Matsunaga Teitoku、1571-1654の「新増犬筑波集(1643)」、北村季吟Kitamura Kigin、1625-1705の「新続犬筑波集(1660)」等、筑波の名を冠した連歌集が多数出された.

1902山階宮菊麿王大佐が男体山山頂付近に日本初の山岳気象観測所である山階宮筑波山測候所を設置09国に寄贈され中央気象台附属筑波山測候所となり筑波山地域気象観測所をへて2001廃止後筑波大学に移管され筑波山気象観測ステーションとなった(同王の第3王子藤麿王は親戚降下し筑波姓となった).

1920筑波郡小野川村舘野Tateno(現つくば市)に創設された高層気象台初代所長に就任した大石和三郎Oishi Wasaburo、1874-1950は富士山付近からの気球観測中の24.12/2高度8815mで72m/sにも達する強風を観測26.10「高層気象台報告第1号」にエスペラントで発表95気象庁のマイクロ・フィルムから発掘されるまで埋もれたままで39ドイツの気象学者Heinrich Seilkopf、1895-1968がドイツ語でStrahlstrom(ジェット気流Jet stream)と命名したが、これも一般には知られず44日本本土爆撃の目的で高度9000mを飛行中のアメリカ陸軍航空隊のB29爆撃機が100m/sにも達する強風に遭遇し、ようやく存在が知られることになり、日本陸軍は風船爆弾によるアメリカ本土爆撃に利用した.

1964随筆家深田久弥Fukada Kyuya、1903-71が発表した日本百名山に選ばれた中ではもっとも低く、1000m以下の山は他に開聞岳(924m)だけしかなかった.

1969.2/1水郷国定公園に加えられ筑波水郷国定公園と改称された.

1973新治郡桜村(現つくば市)に東京教育大学を前進とする筑波大学を設置.

1987.11/30筑波郡谷田部Yatabe、大穂Ooho、豊里町と筑波大学の所在地で、当時、人口41682人と日本最大の村であった新治郡桜村が合併してつくば市となり88.1/31筑波郡筑波町を2002.11/1稲敷郡茎崎町を編入07.4/1特例市.

日米開戦日を通知する日本海軍の暗号命令はニヒタカヤマノボレ1208であるが、日米交渉がまとまって作戦中止となった場合はツクバヤマハレと発信されることになっていた.

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筑波艦>軍艦筑波

モーラミャインMawlamyaing(旧イギリス領ビルマ、ムールメンMoulmein)で1853.4/9進水54チャタム工廠で機関を換装69.6売却71.7/21日本が購入したイギリス、スパータン級木造スクリュー・コルヴェット(5/6)マラッカ

8/19木造コルヴェット筑波艦@と改名

9/15(10/28-72.3/3)艦長代相浦紀道大尉(11/20少佐-72.1/14)

72.1艦掛三浦功少尉(11/27中尉74.6/12乗員75.10/24大尉-76.9/15)5/1艦掛新井有貫中尉/18龍驤等で編制された中艦隊に編入/19(6/24)艦長本山漸中佐7/20艦隊編制より除去8/12(9/14)艦長伊藤雋吉中佐10/18中艦隊に編入/27編制より除去

73.3/2中艦隊に編入

74.10/12乗員尾形惟善中尉(77.12/15大尉)

75.11/6兵学校2-4期実習生42名を乗せて伊藤艦長、副長福村周義少佐の指揮下に品川出港12/14サン・フランシスコ入港

76.1/5メーア・アイランド(ヴァレーホ)入港/20サン・フランシスコ出港(入港中4名が病死)2/11ホノルル入港/25カラカウア国王来艦3/1出港4/14横浜帰着(日本海軍初の練習航海)9/5横浜に新設された東海鎮守府に配属/12艦長本山漸中佐

77.1/17兵学校長(2/20艦長)松村淳蔵大佐の指揮下に兵学校5期実習生43名を乗せて横浜出港後ブリスベーンシドニーを経て6/13品川帰着(第2回練習航海)2/22(-10/13)乗員柴山矢八大尉8/23(-11/1)艦長本山漸中佐12/1艦長松村淳蔵大佐

78.3/3or5海兵6期実習生17名を乗せて横浜出港後シンガポールマラッカペナン香港厦門を経て6/23(7/29)品川帰着(第3回練習航海、日本海軍艦艇が赤道を越した嚆矢)12/26副長尾形惟善大尉(80.2/16少佐)

79.2/19(-7/4)乗員田中綱常大尉8/19艦長相浦紀道少佐(81.1/26大佐-6/17)

80.2/25副長新井有貫少佐4/29海兵7期実習生30名を乗せて品川出港後エスカイモルトサン・フランシスコホノルルを経て9/29横浜帰着(第4回練習航海)

81.7/7艦長伊東祐亨中佐12/27艦長笠間広盾中佐

82.3/4海兵9期実習生18名を乗せて品川出港後香港シンガポールバタヴィアメルボルンタスマニアホバートオークランドを経て9/29品川帰着(第7回練習航海)11/29乗員(84.12/4分隊士)岩崎達人(兵6)少尉(85.6/20中尉7/7分隊長86.7/13大尉)12/23艦長有地品之允大佐

84.1/11乗員(12/4-85.8/6分隊長)向山慎吉(兵5)中尉2/3海兵11期実習生26名を乗せて品川出港後オークランドバルパライソ、コキンボ(チリ)、ホノルルを経て11/16品川帰着(第9回練習航海、前年の龍驤による第8次練習航海の際に乗員の大多数が脚気となり大きな支障を来たしたことを踏まえて麦飯による改良兵食を使用して同一航路を航行した結果、乗員334名中事故死1病死1名で脚気患者は皆無に近かった)12/4砲術長(-/17)有馬新一(兵2)大尉、分隊長(-85.9/15)植村永孚(兵2)大尉、(-85.1/15)機関長吉田貞一大機関士/17(-85.6/22)艦長心得新井有貫少佐

85.6/23(-8/25)副長尾形惟善少佐9/15(-86.11/22)分隊長鹿野勇之進(兵5)大尉/18航海長(-/24兼兵学校教授)井上敏夫(兵5)中尉(86.6/17大尉-11/22)、分隊長(-/24兼兵学校監事)中尾雄(兵5)中尉(86.6/17大尉-10/22)10/23(-86.12/28)艦長福島敬典大佐

86.2/9海兵12期実習生19名を乗せて品川出港後ニューカースルシドニーウェリントンフィジー、アピア、パンゴパンゴ、ホノルルを経て9/11品川帰着(第10回練習航海、この航海に自費で同行した志賀重昂Shiga Shigetaka、1863-1927は87知見をもとに「南洋時事」を出版した)11/22副長平山藤次郎(兵1)少佐>矢部興功(兵2)少佐、航海長森川植大尉、分隊長飯田信臣大尉

87.4/25(-89.1/24)艦長野村貞大佐、分隊長(-88.11/15)太田盛実大尉、(-88.11/24)分隊長酒井忠利大尉6/11副長平山藤次郎(兵1)少佐、分隊長宮岡直記(兵6)大尉7/16航海長森川植大尉>(-88.11/15)松本和(兵7)大尉/30分隊長(-88.9/3)加藤友三郎(兵7)大尉9/4兵学校14期卒業の少尉候補生44名を乗せて品川出港後サン・フランシスコサン・ディエゴ、アカプルコ、パナマタヒチパペーテホノルルを経て

88.7/6品川帰着(第1回少尉候補生遠洋航海)9/21軍艦筑波11/15副長心得梨羽時起大尉(88.11/22少佐/24-91.1/19副長)

89.5/15艦長柴山矢八大佐、分隊長(-90.1/16教官-/20)毛利一兵衛(兵8)大尉9/7教官(90.1/16-91.7/23分隊長)荘司義基(兵11)大尉

90.1/20(-91.4/13)分隊長山田彦八(兵5)大尉3/22(91.1/19-3/3、4/13兼分隊長-7/23)砲術長西山保吉(兵10)大尉、(-91.1/19)分隊長名和又八郎(兵10)大尉5/13(-91.3/3)分隊長築山清智(兵11)大尉6/16兵学校16期卒業の少尉候補生29名を乗せて品川出港後上海芝罘旅順大連釜山ウラジオストックホノルルを経て12/24品川帰着(第3回遠洋航海)

91.2/6(-11/20欠員)艦長黒岡帯刀大佐/18副長植村永孚(兵2)少佐3/3分隊長(-8/6)伊地知季珍(兵7)大尉、分隊長心得(-8/8)東郷静之介(兵13)少尉6/11副長天野才蔵(兵4)少佐、航海長前田浄一大尉>航海長心得石井義太郎(兵12)少尉(92.12/21大尉、航海長)7/23砲術長(-11/20)兼分隊長本山丈三大尉、(-11/20)分隊長心得矢島純吉(兵12)少尉8/6砲術長和田賢助(兵8)大尉

92.6/29(-12/21)分隊長心得矢島純吉(兵12)少尉8/6艦長黒岡帯刀大佐12/21分隊長(-94.6/23)田中盛秀(兵13)大尉

93.4/11分隊長心得水町元(兵14)少尉(12/13大尉、分隊長-94.6/8)

94.4/23航海長荒尾富三郎(兵14)大尉、主計長成尾武二大主計>(-8/14)桜孝太郎大主計

95.9/18(-/24兼兵学校教授)航海長井上敏夫(兵5)中尉(86.6/17大尉)12/27艦長細谷資氏(兵5)大佐

96.4/1(-5/19)艦長石井猪太郎(兵4)大佐、(-7/28)主計長相良澄大主計5/2分隊長狭間光太(兵16)大尉転任/11乗員南里団一(兵17)中尉(6/5大尉、分隊長-7/7)/19分隊長(7/18航海長)志摩猛(兵15)大尉7/7分隊長心得田所広海(兵17)少尉(10/24大尉、分隊長12/11航海長)

97.2/18艦長柏原長繁大佐10/8(-98.9/1)主計長佐野雄治大主計

98.2/22航海長平岡貞一(兵16)大尉3/1艦長友野雄介(兵3)中佐/21三等海防艦4/5機関長(-5/19)外波辰三郎(兵19)大機関士/29航海長平田得三郎(兵16)大尉、分隊長嘉村秀一郎(兵15)大尉10/1艦長加藤重成大佐

99.6/3(-7/25)艦長高桑勇(兵6)中佐9/19兵学校監事長兼艦長宮岡直記(兵6)中佐(/29大佐)、兵学校運用術教官兼副長茶山豊也(兵12)少佐、兵学校水雷術教官兼監事兼分隊長(-12/25)西尾雄次郎(兵17)大尉、兵学校教官兼監事兼分隊長竹内重利(兵20)大尉12/8兵学校監事兼副長山本竹三郎(兵13)少佐/25兵学校砲術教官兼監事兼分隊長(-00.12/22)秋沢芳馬(兵18)大尉

1900.1/12兵学校監事兼副長山本竹次郎(兵13)少佐>有森元吉(兵13)少佐/19(機関長兼兵学校機関術教官>)兵学校機関術教官兼機関長上野辰之助(兵19)大機関士/31主計長斎藤宗三郎大主計>大塚杉治大主計2/12兵学校運用術教官兼監事兼分隊長(-12/22)白石直介(兵17)大尉6/7兵学校監事兼副長石井義太郎(兵12)少佐、兼兵学校水雷術教官兼監事(-12/6)菅野勇七(兵17)大尉9/25(-01.12/17)兵学校監事兼副長東郷静之介(兵13)少佐11/6兵学校監事長(02.5/24兼兵学校教頭)兼艦長今井兼昌(兵7)大佐12/22兵学校航海術教官兼監事兼航海長関郁郎(兵18)大尉>永島粂蔵(兵19)大尉、兵学校砲術教官兼監事兼分隊長(-01.11/28)三村錦三郎(兵18)大尉、兵学校運用術教官兼監事兼分隊長(-02.5/26)土師勘四郎(兵20)大尉

01.10/21兵学校運用術教官兼監事兼分隊長(-02.3/26)山内四郎(兵21)大尉12/12(-02.6/28)兵学校運用術教官兼監事兼分隊長小林研蔵(兵19)大尉/17兵学校監事兼副長中村虎之助(兵14)少佐

02.3/26兵学校砲術教官兼監事兼分隊長(-6/28)中里重次(兵20)大尉6/28艦長松井銓太郎(兵8)中佐、副長山口九十郎(兵13)少佐、航海長森本義寛(兵22)大尉10/6(-03.1/23)副長内田良隆(兵14)少佐12/1分隊長心得(03.1/23航海長心得>分隊長心得-6/22)吉武貞輔(兵26)中尉

03.1/23航海長磯貝正吉(兵23)大尉転任4/20艦長黒水公三郎(兵8)中佐5/14(-6/22)艦長中川重光(兵10)中佐6/22副長磯部謙(兵14)少佐転任、(航海長>)兼分隊長東島乙吉郎(兵22)大尉、分隊長桂頼三(兵25)大尉転任

05.6/10除籍

07.1/18廃船売却訓令8/17売却報告.

IJN Tsukuba.

1878t 59.1x11.0x5.49m R 526hp 8knt クルップ160mm前装砲x8 4pdrx3 MGx2.

世界初のスコッチ式円型缶採用艦といわれる.

主として遠洋航海練習艦として使用.

UpDown

日本 筑波級装甲巡洋艦

13750n154500ft

pp134.1oa137.1x23.0(生駒22.8)x7.8-8.0m

R(3連成4筒)x2/2 20500ihp 缶x20 20.5knt 石炭2000(生駒重油160石炭1911)t

水線100-180バーベット180砲塔180司令塔200甲板75mm

アームストロング1904型305/45mmIIx1+1=4 アームストロング1913型152/45mmx12 120/40mmx12 76/40mmx4

450mmTTx(2+1、計画段階ではx5であったが主砲弾増載、弾薬庫防備強化の見地から後部両舷のx2を廃止)

乗員879

同型艦(2/1907-8)

筑波.生駒.

IJN Tsukuba class battlecruiser Ikoma.

1904計画子、丑号(一等)装甲巡洋艦として日露戦争時に喪失した戦艦初瀬八島の代艦として臨時軍事費により建造された日本初の国産主力艦で、巡洋戦艦の先駆的存在.

2檣2本煙突艦首楼型.

衝角(ラム)艦首を廃止した最初の日本艦.

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軍艦筑波

日本A 筑波級装甲巡洋艦(1/2)

IJN Tsukuba class battlecruiser Tsukuba. Illustrated by SUDO.

1904計画子号(一等)装甲巡洋艦

日露戦争時に喪失した戦艦初瀬八島代艦として臨時軍事費により呉工廠に.6発注

05.1/14起工6/11部内限で軍艦(一等)筑波と命名12/26.0900進水

06.2/24呉工廠艤装委員(8/10兼副長9/28副長)木村剛(兵15)中佐5/10呉工廠艤装委員(8/10-07.12/27艦長)竹内平太郎(兵8)大佐6/12呉海兵団分隊長兼呉工廠艤装委員(8/10-08.1/10分隊長)安東昌喬(兵28)大尉9/28機関長津久井平八機関中佐20.5knt/20736lhpを公試で発揮、水雷長(-06.9/28兼呉工廠検査官)竹村伴吾(兵18)少佐10/20乗員(07.12/18-08.4/7分隊長)植村茂夫(兵31)中尉

07.1/12分隊長(11/22-08.4/20砲術長心得)高橋節雄(兵26)大尉、(-12/18)鳥崎保三(兵27)大尉/14竹内艦長の指揮下に竣工

/18巡洋艦千歳新高笠置、通報艦龍田、戦艦壱岐とともに第2艦隊を編制し司令長官伊集院五郎(兵5相当)中将の旗艦に指定2/9分隊長佐々木高志(兵19)少佐/28千歳遣外艦隊を臨時編成し伊集院司令長官の旗艦として横浜出港後アメリカ、ジェームズタウン植民300年祭に参加後イギリスドイツオランダフランスベルギースペインイタリアポルトガルオーストラリアを歴訪中7/12-5ポーツマス寄港11/16帰投12/10副長加藤寛治(兵18)中佐

08.4/20副長向井弥一(兵15)中佐、航海長関郁郎(兵18)少佐>富士川一吾(兵19)少佐、砲術長心得志賀已之治(兵26)大尉(9/25少佐、砲術長)9/15艦長広瀬勝比古(兵10)大佐/25砲術長志賀已之治(兵26)少佐、分隊長(-11/20)田村丕顕(アナポリス)大尉、(-09.5/11)湯地秀生(兵30)大尉12/10副長加藤寛治(兵18)中佐、機関長水谷千万吉(兵19)機関中佐

09.1/1戦艦香取等とともに第1艦隊を編制4/1副長(-8/4)菅野勇七(兵17)中佐5/25水雷長中桐啓太(兵26)少佐>水雷長心得阿部三平(兵27)大尉(10/11少佐、水雷長)10/11機関長山崎義忠(機1)機関中佐

10.1/12主計長村田鏗之助主計中監>朝比奈正一主計少監3/22副長千秋恭二郎(兵17)中佐>笠島新太郎(兵16)中佐5/23分隊長畔柳三男三(兵31)大尉10/12副長飯田久恒(兵19)中佐12/1戦艦薩摩等とともに第1艦隊を編制、艦長築山清智(兵11)大佐、(-11.5/22)砲術長中村良三(兵27)少佐、航海長三原貞次郎(兵26)少佐転任、分隊長田川薫(兵32)大尉

11.4/12艦長山路一善(兵17)大佐5/22砲術長木場徳三(兵27)少佐、分隊長丹下弘男(兵31)大尉>(11/1砲術長)立野徳治郎(兵28)少佐/23分隊長(-12.4/15)嶋田繁太郎(兵32)大尉7/15分隊長成沢美水(兵29)大尉>林李樹(兵32)大尉12/1戦艦香取等とともに第1艦隊を編制、艦長橋本又吉郎(兵13)大佐、副長上村行輝(兵20)中佐、砲術長矢野馬吉(兵28)少佐、航海長心得常松憲三(兵27)少佐>小倉卯之助(兵26)少佐、分隊長(-12.4/1)寺本武治(兵33)大尉

12.1/15砲術長丸橋清一郎(兵27)少佐5/22分隊長(-13.11/5)大野寛(兵32)大尉7/9艦長竹下勇(兵15)大佐8/28巡洋戦艦9/12艦長鈴木貫太郎(兵14)大佐/27副長八戸三輪次郎(兵20)中佐12/1副長古川弘(兵22)中佐、水雷長山口毅一(兵27)少佐転任、分隊長(-13.5/24)和田信房(兵32)大尉、大宅由耿(兵34)大尉

13.5/24艦長堀内三郎(兵17)大佐、副長大角岑生(兵24)中佐、航海長心得藤村昌吉(兵27)少佐>鮫島香(兵29)少佐、分隊長桜井繁(兵33)大尉8/10水雷長鈴木辰雄(兵29)少佐>影浦喜次郎(兵29)少佐12/1巡洋戦艦金剛等とともに第1艦隊を編制、艦長加藤寛治(兵18)大佐、分隊長(-15.6/20)大西次郎(兵34)大尉

14.4/21副長松岡静雄(兵25)中佐5/6艦長竹内次郎(兵14)大佐/29機関長心得藤沢磐(機7)機関少佐(12/1機関中佐、機関長-15.2/12)8/18対ドイツ開戦により巡洋戦艦鞍馬等とともに第1艦隊隷下に第3戦隊を編制9/14鞍馬等と第1南遣枝隊を編制しドイツ領南洋諸島攻略作戦に従事

15.1/17作戦完了2/1第1南遣支隊解隊、副長(12/13兼砲術学校兼水雷学校教官)加々良乙比古(兵27)中佐、砲術長野津幹一(兵29)少佐>本多数馬(兵30)少佐、航海長心得古賀琢一(兵29)少佐>伴達也(兵30)少佐、分隊長小山与四郎(兵34)大尉>公家種次(兵33)大尉、青柳肇(兵35)大尉転任/5金剛等と第1艦隊隷下に第3戦隊を編制4/1艦長片岡栄太郎(兵15)大佐10/18海軍大演習を実施12/4横浜沖で実施された第9回観艦式(御大礼特別観艦式)で大正天皇乗艦(供奉艦常磐矢矧満洲)として戦艦扶桑以下の艦隊を観閲(戦艦10巡洋戦艦8一等巡洋艦8その他軍艦27駆逐艦52水雷艇3潜水艇6等参加隻数124隻598848t、航空機9)/13兼相模艦長関重孝(兵16)大佐、分隊長兼砲術学校教官(-16.12/1)島津忠重(兵35)大尉、分隊長古田中博(兵36)大尉、(-16.8/1)鋤柄玉造(兵37)大尉

16.1/10艦長吉岡範策(兵18)大佐4/4分隊長兼砲術学校教官峰木茂(36)大尉転任5/15(-12/1)砲術長兼砲術学校教官向田金一(兵30)少佐8/1(10/11兼水雷学校教官)水雷長武田維幸(兵32)少佐10/14-22海軍小演習を実施/25横浜沖で実施された第10回観艦式(恒例観艦式)で大正天皇乗艦(供奉艦伊吹、戦艦8一等巡洋艦5その他軍艦13駆逐艦43潜水艇6等参加艦艇84隻47225t、水上機4)12/1艦長有馬純位(兵17)大佐、副長兼砲術学校兼水雷学校教官前川直平(兵27)中佐、水雷長鳥野団一(兵32)少佐、分隊長(-17.1/20兼砲術学校教官-5/2)鈴木義一(兵32)少佐

画像提供山本留吉様.

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29 May 2010.

17.1/14.1515横須賀港木ヶ浦沖の9番浮標に砲術学校練習艦として停泊中、前部火薬庫の爆発事故により約20分間で艦橋、マストと煙突を海上に残し左舷に11゚傾いた状態で沈没し艦内に残留していた乗員約340名中、谷口ェ一(兵40)中尉以下125名が死亡27名が行方不明となり多数が負傷(出火原因は死亡した乗員の放火の疑いが濃厚)/16事故査問委員会を設置/21合同葬儀を実施9/1除籍

18.5-19.12/31浮揚解体(潜水艦母艦兼飛行機使用艦に改造する案もあったが廃案)

19.4横須賀海軍墓地(現横須賀市営馬門山墓地)に毫額東伏見宮依仁大将、題字名和又八郎大将で軍艦筑波殉難者之碑を建立.

IJN Tsukuba class battlecruiser Tsukuba.

日本が国内で建造した最初の大艦.

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筑波丸

日本郵船貨客船

横浜船渠で109番船として1923.4/25起工8/2進水/31竣工し横浜=上海航路に就航

39.8/5創立された東亜海運に/12長崎丸等とともに現物出資

44.5/19香港出港後日東丸等と88船団を編制して高雄へ航行中/20アメリカ陸軍航空隊第14航空軍所属のB24爆撃機4機の爆撃を受けて損傷後砲艦橋立が曳航中/22東沙島北北東65kmの南シナ海(21゚20'N/117゚10'E)で橋立とともにアメリカ潜水艦(SS382)ピキュダの発射した魚雷を受けて沈没し便乗者12船員5名が死亡.

3161T pp96.01x14.02x(8.23)x6.3m R(3連成)x1/1 2965ihp 14.41knt.

船舶番号29441.

信号符字SNCJ>JIWA.

貨物船として建造中、姉妹船天城丸とともに貨物倉に三等旅客設備を増設した六甲丸級近海用貨客船8隻の第3船.

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筑波丸

千代田汽船貨物船

仙波造船所で1918.8建造

24北海道炭鉱汽船に売却され幌内丸と改名43沈没.

995(1550)T pp59.59x9.6x(5.49)x4.61m R(3連成)x1/1 380ihp 9.5(8)knt.

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Koch/リューベック造船所で140番船として1902.3/23進水.4竣工11Wiegand17Midget31フィリピン船となりDon Juan O.と改名41自沈したドイツ、Oldenburg-Portugiesische DG貨物船Wiegandを

42筑波丸と改名後消息不明.

495T pp44.4x7.5m R/1 8knt.

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海上保安庁 つくば級巡視船

94T

Dx2/2 1800bhp 15.4(18.4)knt

同型船(1/1962)

PS31 つくば.

1961計画(小型)巡視船.

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巡視船つくば

海上保安庁(1) つくば級巡視船(1/1)PS31

1961計画(小型)巡視船

日立造船神奈川工場で62.2/27進水3/30竣工し2/20清水海上保安部に配属された巡視艇(PS110)なみちどりの代船として第3管区海上保安部銚子海上保安部に配属

82.2/24竣工し銚子海上保安部に配属された巡視船(PS102)つくばと交代して/6解役.

特殊救難用巡視船の第1船として利根川河口の警備用に建造.

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巡視船つくば

海上保安庁(2) あかぎ級巡視船(2/7)PS102

1981計画特130T型(小型)巡視船

墨田川造船(東京)で7/7起工10/29進水

82.2/24竣工し/6解役された巡視船(PS31)つくばの代船として第3管区海上保安部銚子海上保安部に配属

2009.3/4竣工し銚子海上保安部に配属された巡視船(PS13)つくばと交代して2/6姉妹船(PS101)あかぎとともに同級中、最初に解役.

JCG Akagi class cutter (PS102) Tsukuba.

銚子海上保安部.

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巡視船つくば

海上保安庁(3) びざん(らいざん)級巡視船(9/10)PS13

2007計画180T型(小型)巡視船

三菱重工業下関(彦島)造船所で12/4姉妹船(PS14)あかぎとともに起工

08.7/8進水

09.3/4あかぎとともに竣工し2/6解役された巡視船(PS102)つくばの代船として第3管区海上保安部銚子海上保安部に配属

17在籍.

JCG Bizan (Bannna) class cutter (PS13) Tsukuba.

銚子海上保安部.

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Tsukuba-san.筑波山.

筑波山.

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筑波山丸

三井船舶貨物船

1DRS(1D-5)型戦時標準船として日本海船渠で1944.1進水.3竣工

4/25陸軍が徴用5/8門司出港6/13マニラ/16ハルマヘラ7/17マニラ8/3-9/17サンボアンガ寄港/20マニラ入港/21.0740-0950アメリカ第38任務部隊空母搭載機によるマニラ空襲に遭遇し銃爆撃を受けて大破炎上後防波堤に擱座後に沈没し機関長以下3名が死亡.

1937T 82.30x12.20x(6.20)m R(3連成) 1200ihp 12.5(10.0)knt.

The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II--1944には1944.10/19アメリカ第38任務部隊第1、第4群空母搭載機によるマニラ空襲により沈没と記されているが誤記と思われる.


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The Encyclopedia of World ,Modern Warships.

Tsukuba.

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