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Yahagi.  矢矧.やはぎ.

このページをの就航記念としてシルバー様に贈呈いたします.

30 Sep. 2003.

IJN Agano class light cruiser.

Illustrated by Iyapopo.

矢作川(愛知県豊田市小原地区).

写真提供けーくん様.

矢作川(愛知県岡崎市)

[地名]矢作川.

長野県下伊那郡平谷Hiraya村、木曽山脈南端の大川入Okawairi山(1908m)に発して岐阜、愛知県境から愛知県豊田、岡崎、安城Anjo各市を経て西尾、碧南Hekinan市境で三河湾支湾の知多Chita湾に注ぐ川.

岡崎市内、旧東海道である国道1号線と交差する場所に架かる矢作橋は、そのやや南方に1601土橋として架橋されて以来、何度も大水に流されて再建されてきたものであるが、江戸時代、日本最長の橋として有名であった.

1826江戸参府の途中、シーボルトが関心を持ち、図面を作成するとともに1/25の模型も作らせているが、模型はオランダ、ライデンの国立民族学博物館に現存している.

現在の橋(橋長300m)は2006-11に架橋されたもので16代目になる.

なお、後の関白太政大臣豊臣秀吉となる木下藤吉郎と蜂須賀小六が、この橋の上で出遭った話は有名だが、最初の架橋時でも、秀吉の死去後であり、また、蜂須賀小六は野盗の頭であるとか、日吉丸という幼名、「猿」と呼ばれていたこと等、史実と思われ難いことが非常に多く伝えられており、後世に作られた話が「太閤記」等によって一般に流布していった結果であろうと考えられている.

河川名は、矢作橋周辺に矢を作る部民が居住しており、矢羽根をつけることを「矧ぐ」と称したことから矢矧となったもので、矢作は、後に書き改められたものである.

上記写真は徳川家康が生まれたことで有名な岡崎城天守閣から撮影したもので、名鉄電車が渡っているのは矢作川の支流の乙川Otogawa、手前の川はその支流で、矢作川はその奥の森の向こうを平行して流れているが、この間が八丁味噌の発祥地である八帖町である.

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軍艦矢矧IJN Yahagi.

日本@ 筑摩級防護巡洋艦(2/3)

IJN Chikuma class protected cruiser. Illustrated by SUDO.

1907計画呂号二等巡洋艦として三菱重工業長崎造船所で09.10/2(長崎造船所100年史)or10.6/20(昭和造船史)第208番船として起工09.12/23軍艦矢矧と部内限で命名11.9(長崎造船所100年史)or10/3(昭和造船史)進水

12.4/20艦長(兼艦政本部艤装員7/31-9/1兼佐世保工廠艤装員)小林恵吉郎(兵15)大佐、機関長(兼艦政本部艤装員7/31-9/1兼佐世保工廠艤装員-13.12/1)本城貞次郎(機7)機関少佐5/22主計長(兼艦政本部艤装員7/31-9/1兼佐世保工廠艤装員-12/20)芹沢正人(東大法)大主計7/27同級中、最後に竣工後佐世保工廠で艤装

/31(-13.4/1)副長(-8/31兼佐世保工廠艤装員)海老原啓一(兵22)中佐12/1艦長山岡豊一(兵17)大佐

13.4/1副長心得吉武貞輔(兵26)少佐12/1艦長阪本則俊(兵20)大佐、副長上田吉次(兵26)中佐

14.5/6艦長長舗次郎(兵17)大佐/7(-8/18)砲術長佐藤巳之吉(兵30)少佐8/5(-15.2/1)副長心得河合退蔵(兵27)少佐(12/1中佐、副長)9/26戦艦薩摩等と第2南遣枝隊を新編(12/28解隊)

15.2/1艦長島内桓太(兵20)大佐、(-16.12/1)砲術長瀬崎仁平(兵32)大尉、(-12/13)軍医長草野直夫(東大医)軍医少監12/1or13艦長内田虎三郎(兵22)大佐、航海長北岡春雄(兵34)大尉/4横浜沖で実施された第9回観艦式(御大礼特別観艦式)で供奉艦として使用(天皇乗艦筑波)

16.12/1艦長宮治民三郎(兵25)大佐、(-17.12/1)航海長星埜守一(兵35)大尉

17.3/5第2特務艦隊司令官佐藤皐蔵(兵18)少将乗艦として対馬とともにシンガポール入港/6明石に旗艦を継承.6第1特務艦隊に編入後筑摩とともにシンガポールを基地に周辺海域の警戒と船団護衛等に従事12/1艦長山口伝一(兵26)大佐

18.11/9-30シンガポールに寄港し千歳と任務を交代/24発熱患者4名が発生後/28までにさらに10名が発病/30発熱患者約25名12/1艦長小倉嘉明(兵27)大佐/1乗員総数469名中、士官1名を含む69名が罹患/2さらに士官2名を含む約50名が発病/3軍医長を含む79名が発病/4新たに106名が発病し1等機関兵1名が死亡(矢矧乗員の65%に相当する士官14特務士官、准士官6下士卒286計306名がインフルエンザに罹患)/5マニラ入港後重症の准士官以上11下士卒35名が緊急入院/5乗員96名/6乗員64名が発病(累計466名)/7乗員4名/8乗員4名/9乗員1名が発病/7兵1名が病院で/9副長と下士卒3名が病院で/10病院で8名、艦内で5名、搬送中1名計14名が/11乗員5名/12乗員8名/13乗員4名が死亡、約50名が重態(総発病者約300名、死亡者累計48名)/14最上入港/16秋津洲入港/17明石乗員を乗せて出港

19.1/20秋津洲とともにマニラ出港(在泊46日間)4/1(7/14-8/5兼千歳-12/1)機関長伊地知四郎(機12)機関少佐5/26艦長寺岡平吾(兵27)大佐12/1艦長藤村昌吉(兵27)大佐/15藤村艦長が死去/18艦長高倉正治(兵27)大佐

20.12/1艦長常松憲三(兵27)大佐

21.4/14艦長左近司政三(兵28)大佐6/1(-11/20)水雷長杉山六蔵(兵38)大尉11/20艦長島祐吉(兵29)大佐12/1(-22.4/8)副長菊井信義(兵31)中佐

22.1/1運用長糸川季忠(兵36)少佐4/15(-23.5/15)航海長田結穣(兵39)大尉5/29艦長河村達蔵(兵30)大佐12/1(23.11/10-24.3/24兼千歳)艦長益子六弥(兵30)大佐、(-23.6/1)砲術長千葉慶蔵(兵38)大尉

24.4/21(-12/1)兼千歳軍医長心得片岡克己(長崎医専)軍医中尉5/20(6/1-12/10兼野間9/10-12/1兼球磨-26.6/15)主計長宮川五朗(経4)主計大尉12/1艦長山本土岐彦(兵31)大佐、(-25.8/1)副長小泉久雄(兵34)中佐、(-25.7/1)水雷長佐藤俊美(兵41)大尉

25.1/15(-12/1)砲術長清水巌(兵39)少佐4/20艦長相良達夫(兵32)中佐12/1艦長河村儀一郎(兵32)大佐、(-26.11/1)航海長渡辺清七(兵42)大尉

26.2/1(-7/1)水雷長亀山峯五郎(兵44)大尉11/1艦長辺見辰彦(兵32)大佐12/1(-27.12/1)運用長東郷二郎(兵41)少佐、(-27.12/1)水雷長佐藤康夫(兵44)大尉、(-25.7/31)軍医長小川恂吉(熊本医専)軍医大尉

27.4/8砲術長沢田虎夫(兵41)少佐11/1砲術長中野勝次(兵40)少佐12/1艦長池中健一(兵31)大佐、副長原精太郎(兵35)中佐

28.4/1(-29.6/1)軍医長伊藤雋吉(愛知医専)軍医大尉12/10艦長小籏巍(兵33)大佐、(-30.8/25)副長岡野一幹(兵36)中佐

29.5/1艦長井上勝純(兵34)大佐11/20(-30.11/1)砲術長岩淵三次(兵43)少佐/30艦長増島忠雄(兵34)大佐

30.11/15水戸春造(兵36)大佐

31.2/21馬公出港後南洋方面を巡航中3/23マニラ入港5/15艦長岩村清一(兵37)大佐12/1(-32.12/1)艦長井上保雄(兵38)大佐

40.4/1姉妹艦平戸とともに除籍後廃艦第12号と改名47解体.

同造船所で建造された最初の巡洋艦.

姉妹艦との比較を目的として同級中、唯一、パーソンズ式タービンを搭載(4軸).

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軍艦矢矧IJN Yahagi.

日本A 阿賀野級軽巡洋艦(3/4)

IJN Agano class light cruiser. Illustrated by A-140.

1939海軍軍備充実(C)計画巡洋艦乙第134号艦として佐世保工廠で41.11/11起工42.8/20軍艦矢矧と命名10/25進水

43.10/11艤装員長吉村真武(兵45)大佐12/29吉村艦長の指揮下に竣工し佐世保鎮守府籍となり第3艦隊第10戦隊に編入後佐世保工廠で入渠整備

44.1/4出渠/6佐世保出港後レーダー公試/10佐世保出港/10-1徳山寄港/11-3八島寄港後柱島に回航/20副長内野信一(兵50)大佐/27江田島出港/27-2/4呉寄港/4-5岩国寄港/5-6洲本寄港/13-8シンガポール寄港後リンガ泊地で訓練に従事3/1第3艦隊第10戦隊(木村進少将)旗艦を継承/8リンガ出港/12シンガポール出港/16リンガ出港/17ペンゲラップ出港後シンガポールでレーダーを修理/22シンガポール出港後リンガで訓練に従事

4/14潜水艦攻撃の目的でリンガ出港後発見できずにベルハラ経由で/15-21リンガ寄港/23ペンゲラップ出港5/1シンガポール出港/11リンガ出港/12ペンゲラップ出港後潜水艦を爆雷攻撃/15タウイタウイ入港/20あ号作戦開始6/13タウイタウイ出港/14-5ギマラス寄港/19マリアナ沖海戦に参加/22-3中城湾寄港/24柱島入港後整備に従事

7/8呉出港後沖縄に兵員を輸送する金剛等を護衛/8-9空襲を避けて佐伯寄港/10-12中城湾/14-7マニラ寄港/20リンガ入港後訓練に従事8/1第1遊撃部隊に編入/17リンガ出港/18-24シンガポール第3船渠に入渠/26シンガポール出港後リンガで訓練に従事

10/18捷1号作戦の発動によりリンガ出港/20-2ブルネイ寄港後レイテ湾へ航行中/25レイテ沖でアメリカ護衛空母群に遭遇し砲雷撃(レイテサマール島沖海戦)、損傷により伊藤比良雄大尉以下44名が死亡/28ブルネイ入港11/15第2艦隊第2水雷戦隊旗艦を継承/16第31戦隊駆逐艦梅、桐とともにブルネイ出港後戦艦大和長門金剛を第17駆逐隊(駆逐艦浦風、磯風、浜風、雪風)とともに護送中/21未明、基隆の北方70nmで金剛、駆逐艦浦風が被雷沈没/24佐世保入港後修理12/20艦長原為一(兵49)大佐/21佐世保出港/24呉入港後訓練と対空兵装整備

45.3/19呉工廠で修理中、アメリカ任務部隊搭載機による呉空襲に遭遇し対空戦闘

4/5連合艦隊司令部より沖縄突入準備命令を受領(同夜、/3矢矧、大和に着任した海兵74期、経理学校35期出身少尉候補生73名が退艦)/6.1520徳山沖出港後第2水雷戦隊(司令官古村啓蔵少将)旗艦として大和等と沖縄へ航行中/7坊ノ岬沖海戦でアメリカ空母搭載機の爆撃と魚雷を受けて(30゚47'N/128゚08'E)で沈没し内野副長以下乗員446名が死亡し司令部全員と艦長以下乗員57名を初霜が救出6/20除籍.

IJN Agano class light cruiser Yahagi.

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海上保安庁 やはぎ級巡視船

315T

oa50.3x7.2x(4)m

Dx2/2 15.5knt 3700nm

20mmMGIx1

同型船(7/1968-72)

PS(>PM)54 やはぎ.55 すみだ.56 ちとせ.57 そらち.58 ゆうばり.

59 ほろない.69 おきなわ(>みささ).

改350T型(中型)巡視船.

まつうら級巡視船は船体延長型.

PM69は琉球警察本部救難艇として建造.

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巡視船やはぎJCG Yahagi.

海上保安庁(1) やはぎ級巡視船(1/7)PS54

改350T型(中型)巡視船として1956.7/31竣工し/1第4管区海上保安部鳥羽海上保安部尾鷲海上保安署に配属された巡視船(PS102)はまちどりの代船として鳥羽海上保安部に配属

58.4/25鳥羽海上保安部に配属された尾鷲海上保安署はまちどりと交代して第7管区海上保安部仙崎海上保安部に配属

68.11/1(PM54)

82.1/18仙崎海上保安部に配属された巡視船(PM92)かつらと交代して解役.

信号符字JQZF.


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The Encyclopedia of World ,Modern Warships.

Yahagi.

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