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Asama.

浅間(淺間).朝熊.あさま.

このページを様にその30万hits達成を祝って贈呈致します.

(1)

[地名]浅間山.

長野県北佐久郡軽井沢町から群馬県吾妻郡嬬恋Tsumagoi村との境に位置する那須火山帯に属する3重式成層火山(コニーデ).

標高2542m.

685以降、現在までに50数回の噴火を記録しており、特に1783の天明の大噴火は1151名が死亡、1182軒の家屋が喪失した大災害として有名.

この時の噴煙は天明の大飢饉を引き起こし、ヨーロッパでも大規模な不作をもたらしたが、この不作がフランス革命の遠因となったとする説もある.

1949.9/7本山から三国山脈にかけてが上信越高原国立公園指定され56.7/10妙高、戸隠地域が追加指定された.

(2)

[建築]富士山本宮浅間Sengen大社.

静岡県富士宮市市宮町にある神社.

全国に約1300ある浅間神社の総本宮.

木花開耶姫命Konohana sakuyahime no mikoto等3神を祭る神社で、富士信仰をもとに成立した.

806坂上田村麿が社殿を造営したことが始まりと伝えられ、本殿(重要文化財)、拝殿、樓門は徳川家康の寄進によるもの.

南極観測船(PL107)宗谷、(AGB5001)ふじ、(5002)しらせには船神として浅間大神が祀られている.

旧官幣大社.

境内の湧玉池は富士山の雪解け水の湧出で国の特別天然記念物に指定されている.

他に静岡市の静岡浅間神社、山梨県東八代郡一宮町の浅間神社が有名.

(3)

2007年3月21日伊勢志摩スカイラインにて.

[地名]朝熊ヶ岳or朝熊山.

三重県伊勢、鳥羽両市境、志摩半島東部の伊勢志摩国立公園内に位置し伊勢湾を望む山.

かつての伊勢、志摩両国境であり、山頂に空海によって伽藍が建設され応永年間(1394-1427)に再興された金剛証寺(重要文化財)がある.

江戸時代には「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭にうたわれた信仰の地.

1925ケーブル・カー設置42撤去64伊勢、鳥羽両市街を結ぶ伊勢志摩スカイラインが開通し観光地化.

標高553m.

2007年3月21日三重県伊勢市朝熊山山頂展望台から見た鳥羽湾.

左手に答志島、右手に菅島.

間に見える小島は神島で、その奥は渥美半島.

菅島の左手前、鳥羽市街との間に坂手島.

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浅間艦

フランスで1869進水74.7竣工後神奈川県が購入し汽船雑喜丸と改名後開拓使に移管され北海丸と改名74.4/14海軍省に移管7/26受領したペルー汽船サドキアorイングランドを

10/20浅間艦@と改名

75.1/24艦隊編成より除去後提督府所轄5/7調印された千島樺太交換条約により緒方惟勝少佐の指揮下に大泊に儀礼艦として派遣(千島には日進を派遣)

76萩の乱の勃発により雲揚とともに横須賀から航行中10/31雲揚が座礁事故により沈没

77西南戦争に従軍

79.8/19艦長松村正命少佐(80.6/14副長)

80.6/14艦長井上良馨中佐

82.11/22(-84.2/13兼扶桑)艦長井上良馨大佐12/11副長山本権兵衛(兵2)大尉

85.4/23艦長心得吉島辰寧少佐(86.4/7中佐/12艦長)

86.11/22艦長(-87.2/2兼横須賀鎮守府兵器部長)東郷平八郎大佐

87機関を撤去し砲術練習艦

88.9/21軍艦浅間

89.7/1艦長杉盛道大佐/2艦長東郷平八郎大佐/29副長心得三須宗太郎(兵5)大尉

91.3/3第5種船(倉庫船等)

96.4/1雑役船12/25売却認許.

1422t pp69.72x8.76x4.26m R(双塔型)x2/1 300ihp 170mmx8 114mmx4.

鉄骨木皮コルヴェット.

(1)

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日本 浅間級装甲巡洋艦

9885or9700n(#441)t

oa134.72pp124.36x20.45x7.43m

R(直立3連成4気筒)x2/2 高円型石炭専焼缶(10.9s/ku、飽和温度時)x12 18000ihp

21.25or21.5(#441)knt 石炭1409t 7000nm/10knt

203/45mmIIx1+1=4 152/40mmIx14 76(12pdr)/40mmIx12 47(2.5pdr)mmIx7or8 450mmTTx1+(4)=5

主水線88-180(上部125)甲板50砲塔、司令塔75-356mm

乗員661-726(常磐643)

同型艦(2/1899)

浅間.常磐.

IJN Asama class armoured cruiser Asama & Tokiwa.

アームストロング/エルジック造船所で見込み建造中の装甲巡洋艦を対ロシア用に追加購入し仕様を変更.

第1、第2期拡張計画により建造された装甲巡洋艦が同時期の戦艦より2隻少ない4隻であったことから増勢を希望した海軍が、来日したアームストロング社の重役からチリ、オイギンズ級装甲巡洋艦の改良型2隻の売却用に起工していることを知らされ、議会の協賛を得ずに非公式に発注したもの.

2檣2本煙突.

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軍艦浅間IJN Asama.

IJN Asama class armoured cruiser Asama. Illustrated by SUDO.

IJN Asama class armoured cruiser Asama.

アームストロング/エルジック造船所で1896.10/20見込み起工され96-7第2期海軍拡張計画第3号一等巡洋艦として日本が購入した装甲巡洋艦を

10/18浅間級装甲巡洋艦(1/2)浅間Aと命名し横須賀鎮守府籍

97.12/1回航委員長(98.6/24艦長)島崎好忠(兵2)大佐、回航委員(砲術長)仙頭武央(兵10)少佐、(航海長)山澄太郎三(兵11)少佐98.3/22進水5/23回航委員(6/20副長)中村静嘉(兵7)中佐6/9回航委員(12/27砲術長)吉見乾海(兵12)少佐99.2/10タイン河口で実施された公試で22.1knt/18278ihp/9885tを発揮3/18島崎大佐の指揮下に竣工

4/1-4マルタ寄港5/17横須賀入港6/12水雷長心得木村剛大尉(9/29少佐進級と同時に水雷長)/17艦長向山慎吉(兵5)大佐9/29航海長土山哲三(兵12)少佐10/13副長毛利一兵衛(兵8)中佐

1900.4/30神戸沖で実施された第3回観艦式(大演習観艦式)で明治天皇乗艦(参加艦艇49隻)5/20艦長細谷資氏(兵5)大佐、水雷長大島正毅(兵15)少佐6/18常備艦隊に編入され艦隊司令官有馬新一(兵2)少将の旗艦を継承.6下旬、佐世保出港後麾下の八重山、千歳、千代田、明石、宮古、摩耶と合流しつつ博多、長洲、鹿児島、佐伯、周防大島を経て徳山入港8/7戦艦富士に旗艦を継承後横須賀回航/22出港/30大沽入港後義和団事件による居留民保護任務を吉野より継承/9出羽重遠(兵5)司令官の旗艦を継承10/2巡洋艦高砂を率いて山海関回航/5高砂を残して出港/6大沽入港後山海関警備を高砂と交代で従事/29副長宮地貞辰(兵9)中佐12/6航海長上村経吉(兵14)少佐(02.10/6中佐)/12高砂を率いて出港/13-23芝罘寄港/26佐世保帰投

01.2/19出羽司令官の旗艦を龍田へ継承3/13艦長中尾雄(兵5)大佐4/16戦艦敷島等と佐世保出港後広島湾回航5/11遠藤司令官の旗艦を宮古より継承/21旗艦交換により有馬司令官の旗艦を八雲より継承6/12敷島等と佐世保に集結/18-29佐世保鎮守府と連合小演習を実施7/3有馬少将が艦政本部長に転出/27敷島等と佐世保出港後仁川芝罘大沽、山海関、鎮海、釜山を巡航8/22佐世保帰投/28敷島等と佐世保出港後美保関で戦艦初瀬と合流し本州北西岸を経て青森へ回航され青森湾、北海道南部で訓練後横須賀入港10/1艦隊編成より除去

02.3/13砲術長高木七太郎(兵15)少佐/14水雷長大沢喜七郎(兵14)少佐(10/6中佐)/17エドワード7世即位奉祝の目的で常備艦隊司令官伊集院五郎(兵5)少将の旗艦としてイギリスに派遣/21高砂と横須賀で合流4/4-7横浜寄港後シンガポールコロンボスエズポートサイドマルタを経て6/10プリマス入港後式場のスピットヘッドに回航されたが新国王の病気により式典延期/27出港しシーアネスアントワープに回航8/1スピットヘッド入港/9戴冠式奉祝/16停泊観艦式/18移動観艦式に参列後即時出港後ポートランド、クィーンズタウン、カーディフリスボンジブラルタルナポリアデンコロンボシンガポールバンコック香港厦門を歴訪11/18or28(#42)横須賀帰投12/9砲術長高木七太郎(兵15)少佐/25副長荒川規志(兵10)中佐、航海長丸橋彦三郎(兵15)少佐

03.1広島湾で戦艦三笠等と合流/12艦長寺垣猪三(兵6)大佐2/20砲術長浅野正恭(兵15)少佐/28連合艦隊の新編により出雲等と第2艦隊第2戦隊を新編3/10-4/3西日本で実施された第4次大演習に参加/10神戸沖で実施された第4回観艦式(大演習観艦式)で天皇乗艦(参加艦艇61隻)/12艦隊編成より除去/20航海長釜屋六郎(兵14)少佐7/7艦長八代六郎(兵8)大佐9/1艦隊に編入/26副長依田光二(兵12)中佐

04.2/6-3/11、/14-12/10日露戦争に従事し2/9仁川沖海戦で巡洋艦新高等とともにロシア巡洋艦ワリヤーグ、砲艦コレーツと交戦(日露戦争の第1弾)

05.1/31襟裳岬近海でオーストリア、オリエント・ハンガリアン汽船貨物船シャムSiamを拿捕(襟裳丸と改名)3/15分隊長坂元貞二(兵28)大尉5/27第2艦隊第2戦隊3番艦として日本海海戦に参加中、戦闘開始8分後にロシア戦艦から発射された301mm砲弾1発が最後尾の艦長室に命中、前艦橋操舵輪の歯車接合部が振動により損傷し操舵不能となり列外に離脱し6分後に修理完成するまでにロシア側の集中砲火を浴び艦尾が1.5m沈下(同海戦で戦列を離脱した唯一の日本主力艦)6/14航海長山口鋭(兵17)少佐10/23横浜沖で実施された第5回観艦式(凱旋観艦式)で天皇乗艦(参加艦艇166隻)12/12艦長小泉鞫セ郎(兵8)大佐

06.9/28砲術長白根熊三(兵24)少佐11/22艦長宮地貞辰(兵9)大佐

07.4/5砲術長大石正吉(兵24)少佐9/28艦長野間口兼雄(兵13)大佐12/10艦長伊藤乙次郎(兵13)大佐

08.2/1航海長原口房太郎(兵18)少佐5/15艦長山澄太郎三(兵11)大佐11/18神戸沖で実施された第6回観艦式(大演習観艦式)で4回連続の天皇乗艦(参加艦艇123隻)12/10艦長田中盛秀(兵13)大佐

09.5/22艦長山本竹三郎(兵13)大佐/25航海長吉武貞輔(兵26)少佐

10.4/9艦長田中盛秀大佐/28副長南里団一(兵17)中佐5/5水雷長小倉嘉明(兵27)少佐/23砲術長匝瑳胤次(兵26)少佐10/16巡洋艦笠置と海兵第38期練習艦隊(矢代六郎少将)を編成し横須賀出港後ホノルルサン・フランシスコサン・ペドロ、マグダレーナ、マンサニーヨ、アカプルコ、サイナクルス、パナマアカプルコホノルルを経て

11.3/6横須賀帰投5/23艦長松岡修蔵(兵14)大佐、副長金丸清緝(兵20)中佐10/25艦長磯部謙(兵14)大佐12/1機関長荒尾文雄(機7)機関少佐(13.3/1機関長心得12/1機関中佐進級とともに機関長)

12.12/1航海長常盤盛衛(兵30)少佐

13.5/24艦長平賀徳太郎(兵18)大佐、副長心得南郷次郎(兵26)少佐、航海長米村末喜(兵29)少佐、軍医長福田了軍医小監(15.6/30軍医中監)7/8有栖川宮威仁大将(/10死去、元帥)の病状悪化により呉より舞子沖に回航され警備任務に従事

14.1/12海兵41期卒業生第1期実務練習の目的で黒井悌次郎中将の指揮下に装甲巡洋艦吾妻と佐世保出港後呉淞、大連、旅順、朝鮮半島沿岸、日本海沿岸、瀬戸内海を経由して3/26横須賀入港4/20第41期遠洋航海の目的で黒井中将の指揮下に吾妻と横須賀出港後ハワイサン・フランシスコヴァンクーヴァーシアトルを経て8/11横須賀入港/23艦長吉岡範策(兵18)大佐9/14シュペー艦隊捜索の目的で巡洋戦艦鞍馬等と第1南遣艦隊を編成/19ヤルート沖進出/26ブラウン(エニウェトック)入港10/6ヤルート島を占領11/19出雲等と遣米支隊を新編

15.1/31遣米支隊所属として行動中、メキシコ、バハ・カリフォルニア半島中部西岸のサン・バルテルミSan Bartolomeで海図上に記載されていない岩礁に座礁擱座5/7遣米支隊解隊/8.1300姉妹艦常磐、工作船関東丸の支援により浮揚されエスカイモルトで応急修理(アメリカは中立中)12/18横須賀に自力帰投

Journal of San Diego History.

16.7/15艦長白石直介(兵17)大佐12/1艦長内田虎三郎(兵22)大佐

18.3/2-7/6装甲巡洋艦磐手と海兵45期遠洋航海に従事7/17艦長古川弘(兵22)大佐、副長池田他人(兵30)中佐

19.3/27艦長青木董平(兵27)大佐4/1運用長竹田六吉(兵36)大尉7/14艦長今泉哲太郎(兵25)大佐11/17or12/1艦長小山田繁蔵(兵27)大佐

20.6/2副砲長武田盛治(兵38)大尉/4磐手練習艦隊を編成/8練習艦隊司令官舟越揖四郎(兵16)中将の旗艦を継承8/21磐手とともに兵48機29主9期少尉候補生を収容して横須賀出港後/22-5鳥羽/30-9/5基隆/6-8馬公/10-3香港/19-25シンガポール10/3-7コロンボ/22-8ダーバン11/1-6ケープタウン/20-7リオ・デ・ジャネイロ/28-12/3サントス/7-11モンテビデオ/13-20バイアブランカ/24-6プンタレナス/31-

21.1/2タルカワノ/3-10バルパライソ/13-5イキケ/18-23カヤオ2/13-9タヒチ3/12-6トラック/20-1サイパン/28母島/28-30父島を経て4/2横須賀帰投5/1艦隊編制より除去9/1一等海防艦11/20艦長白石信成(兵28)大佐/10砲術長荒木貞亮(兵35)少佐12/1伊吹軍医長会田常次(仙台医専)軍医少佐が軍医長を兼任

22.4/15磐手出雲と練習艦隊(谷口尚真中将)を編成6/26海兵31期海機31期海経11期士官候補生を収容して横須賀出港後ホノルルロサンゼルスパナマ運河リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル独立100周年記念観艦式に参列)、ブエノス・アイレスケープタウンダーバンコロンボシンガポール香港に寄港

23.2/17横須賀帰投3/1艦長米村末喜(兵29)大佐、砲術長竹田六吉(兵36)少佐4/1副長植松練磨(兵33)中佐、機関長中尾金房(機15)機関中佐、運用長大和田芳之介(兵35)少佐

24.4/10副砲長清水巌(兵39)大尉/15艦長七田今朝一(兵29)大佐5/1砲術長金沢正夫(兵39)少佐/20(-25.5/15)運用長坂部省三(兵37)少佐10/25(-25.4/15)副砲長阿部孝壮(兵40)大尉(12/1少佐)11/10練習艦隊司令官百武三郎中将の旗艦として出雲八雲とともに兵学校52期、機関学校33期、経理学校13期の少尉候補生360名を収容して横須賀出港後ヒロ、アカプルコ、バルボア、マンザニヨ、サン・フランシスコエスカイモルトヴァンクーヴァー

25.2/25-3/3ホノルル、ヤルート、トラックサイパン小笠原諸島に寄港し横須賀に帰投(88艦隊完成後の要員を大量に養成する目的で3隻を使用、総航程20231nm)4/20艦長今川真金(兵31)大佐11/20(-12/1兼平戸)艦長山口延一(兵31)大佐

26.3/5副長竹原九一郎(兵35)中佐6/15艦長加島次太郎(兵31)大佐11/15航海長梶岡定道(兵39)少佐12/1艦長藤吉ラ(兵31)大佐、副砲長緒方真記(兵41)少佐

27.6/30練習艦隊旗艦磐手とともに横須賀を出港し北、中アメリカ方面に巡航(8/6ロサンゼルス寄港)

28.4/10運用長原田亀(兵38)少佐(29.11/30中佐)10/25砲術長高柳儀八(兵41)少佐12/10艦長日比野正治(兵34)大佐、航海長渡辺清七(兵42)少佐、副砲長服部勝二(兵44)少佐

29.2磐手と練習艦隊を編成7/1兵科57期、機関科38期、主計科18期の候補生と初任医官を乗せ練習艦隊司令官野村吉三郎中将旗艦として磐手ホノルル、ヴィクトリア、シアトルタコマヴァンクーヴァーサン・フランシスコ8/24ロサンゼルス、バルボア、(10/22パナマ運河通過)、コロン、ハバナ、ボルティモアニュー・ヨーク、コロン、マンサニーヨ、ヒロ、ヤルート、トラックサイパン二見に寄港12/24運用長阿部耕運(兵41)少佐/27横須賀帰投(総航程24608nm)

30.11/15艦長原田文一(兵35)大佐、副長平岡粂一(兵39)中佐

31.2/1艦長糟谷宗一(兵35)大佐6/1海防艦.6呉工廠で87式方位測定器室を後部艦橋に新設8/20砲術長(兵43)少佐

32.3/1練習艦隊旗艦磐手とともに糟谷宗一大佐の指揮下に横須賀を出港し東南アジア、オーストラリア方面を巡航中/19マニラ寄港7/14横須賀帰投11/15砲術長重永主計(兵46)少佐12/1艦長太田泰治(兵37)大佐

33呉工廠で3年式76/40mmAAを艦橋後方のブルワークに増備9/1海防艦八雲と交代して練習艦隊に編入11/15磐手練習艦隊を編成

34.2/15磐手とともに兵61機42主22期少尉候補生と研究医官を乗せ司令官松下元(兵31)中将の指揮下に横須賀出港後基隆馬公マニラシンガポールアデンポートサイド(4/5盲腸手術後経過の思わしくない患者を靖国丸に収容)、イスタンブールアテネナポリリヴォルノマルセイユバルセロナマルタアレクサンドリア、ジブチ、コロンボバタヴィアパラオサイパン二見を経て7/26横須賀帰投(航程21853nm)8/1副長駒沢克己(兵42)中佐/15機関長秋永守一(機24)機関中佐/20艦長大川内伝七(兵37)大佐9/1磐手と交代して八雲練習艦隊に編入

35.2/20練習艦隊司令官中村亀三郎(兵33)少将の旗艦として兵62機43主23期の少尉候補生と研究医官を収容して横須賀出港後基隆馬公香港3/11マニラバンコックシンガポールバタヴィアフリーマントルアデレードメルボルンシドニーウェリントンオークランド、スーヴァ、アピア、ホノルル、ヤルート、トラックサイパン二見に寄港7/22横須賀帰投(航程20930nm)10/14阪神防空演習に参加して呉へ帰投中、倉橋島南端三ツ岩灯標付近(広島県白石灯台付近)の来島水道で中央部が座礁し大破後起重機船を使用して砲塔等を撤去し浮揚/25副長阿部耕運(兵41)中佐

36.3/6運用長川島良雄(兵48)少佐12/1艦長橋本愛次(兵39)大佐

42.7/1練習特務艦となり呉海兵団用係留練習艦として主砲、副砲を撤去し第1砲塔跡と煙突側方に校舎、艦橋の側方両舷に76mmAA各1、MGを装備8/5兵学校練習艦に指定

44門司港外六連島へ曳航され宿泊艦として使用

45.8/15敗戦時、江田内で残存11/30除籍後日立造船因島工場へ曳航

46.8解体開始

47.3解体完了.

慰霊塔として使用されている装甲巡洋艦浅間の副砲身と砲弾.

2015年5月7日、三重県亀山市関町にて.

アジア歴史資料センターで公開されている1925.2/20三重県鈴鹿郡関町長宛て海軍省副官からの文書に「呉海軍軍需部保管ノ(中略)十五糎砲身壱門、十五糎弾丸四個」とあるのが、上記の砲身と砲弾と思われ、呉海軍軍需部の付箋に「?口径安式十五糎砲」とある(?の部分は判読不能).

「鈴鹿関町史(下巻)」には「関町忠魂碑 軍艦浅間の砲身で建設」とあるので、これは40口径安(アームストロング)式15cm砲の砲身ということになる.

この慰霊塔は亀山市関町新所1574-1の国民宿舎関ロッジ(休館中)正面広場にあるが、上記文書によると、本来は同町新所1173-2の地蔵院に設置されたもので1934.5現在地の忠魂碑が再建された際に移設されたものと思われる.

水線部を狭小部分のみを装甲で覆った千代田を除くと、日本が保有した最初の本格装甲巡洋艦.

観艦式での天皇乗艦4回は日本艦艇中、最多.

IJN Asama class armoured cruiser Asama & HMS cruiser Chatham.

信号符字JUVA.

(1)

木宏之提督の絵葉書に見る日本海海戦時の連合艦隊主力中に同艦の素晴しい写真が収められています.

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浅間丸

パルマー/ジャロー造船所で1897.12竣工1909ファーネス・ライン(リヴァプール)に売却されたイギリス、James Marke Wood所有貨物船アサマ

13山本汽船(大連)が購入し浅間丸と改名

16東和合名に売却

18フランス政府が購入しラ・ショサードと改名18被雷沈没.

4464T 115.8x13.8m R(3連成)x1/1.

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朝熊丸

摂津商船貨物船

帝国汽船会社鳥羽造船所で1918建造

41.4/27台湾、鳥嶼近海で座礁全損.

船舶番号23311.

同造船所が建造した朝熊丸級標準型貨物船の第1船.

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朝熊丸級標準型貨物船

2017(3185)T 82x11.9m.

同型船朝熊丸(1918建造)、第1大宝丸(1920建造37>蓬莱山丸).

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浅間丸

ハミルトン/ポート・グラスゴー造船所で158番船として1901.10/29進水したイギリス、Andrew Weir & Co(Bank Line)貨物船Inveric(グラスゴー、船舶番号113994)を

21山本汽船が購入し浅間丸と改名

33.11/16三和商船が購入(太洋海運が用船)後個人所有

42大同海運に移籍

43.1/26釧路港外で座礁事故(日本商船・船名考)or爆撃or US submarine WAHOO in 02.37N - 139.14E. により沈没.

The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II-1943の1943.1/21の項に"Submarine Pollack (SS180) sinks Japanese merchant cargo ship Asama Maru off Kushiro, Japan, 42゚41'N/145゚37'E"とあり、同船はアメリカ潜水艦(SS180)ポラックの発射した魚雷を受けて沈没したとも思える記述があるが、DANFSの同艦の艦歴には該当するものがない.

4789or4991or4891T 112.6x15.9x(8.3)m R(3連成)x1/1 10knt.

船舶番号29705.

(2)

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浅間丸

日本郵船貨客船

Illustrated by Tensho.

Asama maru, 1929-.

1926.10サン・フランシスコ航路用客船3隻の建造を決定27.5/16姉妹船龍田丸とともに三菱重工業に船価\1127.4万で発注9/10長崎造船所第1or3(#549)船台で450番船として起工28.5/1住友銀行と船内出張所の設置契約を締結10/30.0900日本郵船社長白仁武Shirani Takeshi、1863-1941の命名により進水(進水重量9300t)29.4完工8/1第1回公試で20.713knt/19108.5bhp(制動)を発揮/5、7、9-10実施された24時間連続続航公試で平均19.619kntを記録9/15竣工後香港へ航行

10/11.1500横浜初出港後ホノルル経由北アメリカ航路(サン・フランシスコ線)に就航(船客570、生糸5513俵、鮪5899尾、鯛1000尾、海産物缶詰7369箱、松茸100貫等5500tを搭載)/24ニュー・ヨーク株式市場大暴落当日(ブラック・サースディ)にサン・フランシスコ初入港(横浜=ホノルル間3450nm航行7日16時間34分、ホノルル=サン・フランシスコ間2100nm航行4日15時間12分、横浜=サン・フランシスコ間5550nm航行12日7時間46分は太平洋横断の速度記録、乗客570名)/30ロサンゼルス入港(サン・フランシスコ=ロサンゼルス間をアメリカ公演中のオペラ歌手三浦環Miura Tamaki、1884-1946が乗船)後-/31船内を一般公開し約1.5万人が見学11/1出港

29アメリカの映画俳優ダグラス・フェアバンクスDouglas Fairbanks、1883-1939、メアリー・ピッグフォードMary Pickford、1892-1979夫妻が乗船

37デンマークの理論物理学者ニールス・ボーアNiels Henrik David Bohr、1885-1962博士夫妻、アメリカの福祉事業家ヘレン・ケラーHelen Adams Keller、1880-1968が乗船.8日米陸上対抗大会に出場するアメリカ選手団の来日に使用9/1香港太沽船渠で定期検査を終了後大型台風の接近により香港東口、九龍半島側のジャンク・ベイに避難中/2.0400頃、強風(瞬間風速74m/s)で流されたイタリア客船コンテ・ヴェルデと衝突後走錨し香港柴湾(サイワン)北西端の暗礁に座礁し船体が6゚傾斜後日本サルベージ救難船祐捷丸の作業により主機2機等1300tを撤去、浮力タンク10ヶを水面下船体に設置、海底浚渫等を実施

38.3/11離礁に成功後太沽船渠で仮修理を実施4/2長崎に自力帰港/13三菱重工業長崎造船所に入渠9/15横浜出港後サン・フランシスコ航路に復帰(事故により保険金\849.5万を支出)

39.3太平洋横断100回を記録

40.1/21午後、サン・フランシスコからホノルル経由で横浜へ航行中、野島崎灯台沖35nmの公海上でイギリス軽巡洋艦(11)リヴァプールに臨検され39.12/19北大西洋で自沈したドイツ客船コロンバス船員を含む(?)ドイツ人乗客51名中、兵役適齢者21名を連行(浅間丸事件2/29横浜で仮装巡洋艦[F23]カニンブラにより9名が移送されたがタンカー船長ヘルマン・グロース以下12名は解放されず)

Illustrated by Tensho.

Asama maru, 1940.2-7.

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Asama maru, 1940.7-.

41.6/29インドネシアで抑留されていたドイツ人婦女子と病人666名を乗せマニラ出港後日本へ回航7/18真珠湾口視察の目的で商業航海を装って使用された龍田丸以外では日本郵船最後のサン・フランシスコ航路船として横浜出港(104次定期航海)/31-8/1ホノルル寄港/4ホノルル東方980nmで政府命令により反転/10(北太平洋定期客船史、#549)or15横浜帰港11/6マレー半島方面の引揚船として横浜出港後シンガポール、マニラ寄港/26神戸帰投/30海軍が徴用し運送船(雑用船)12/1海軍に引渡され/2横須賀出港/8開戦時、サイパンで荷役中/20兵員2900名軍需物資2800tを搭載して出港

42.1/16タラカン入港後海軍第1001部隊(横須賀第3特別陸戦隊=落下傘部隊)を揚陸5/16横浜入港/18徴用解除され第1次日米外交官等交換船への準備開始/20横浜で日本郵船に返還6/17アメリカ、グルー大使等大使館員と家族143、一般人276計419名を乗せ横浜出港/25.1300木更津沖出港/28香港で377名乗船7/3-4サイゴンに寄港し外交官等114名が乗船/6シンガポール港外50nmで636名を乗せたコンテ・ヴェルデと合流し燃料等を補給/9.1000コンテ・ヴェルデとともに出港/22.0930ポルトガル領東アフリカ、ロレンソ・マルケスに到着.1600スウェーデン客船グリップスホルムとともに入港/23グリップスホルムよりアメリカから帰還してきた野村吉三郎駐米、来栖三郎特派大使等と交換/26出港8/9-11シンガポール寄港/20.0800コンテ・ヴェルデとともに横浜入港9/5海軍が再徴用

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Asama maru, 1942.6-8.

43.2水中聴音器を搭載3/9駆逐艦峯風に護衛されて佐世保から高雄へ航行中、潜水艦から発射された魚雷3本を聴音し回避7/22.0900頃、南海丸等からなるヒ03船団に合流後アメリカ潜水艦(SS176)ソーフィッシュの発射した魚雷を受けて特設給兵船西阿丸が損傷/23阿波丸とともに船団より分離先行/26.1600高雄出港8/1.1400シンガポール入港

44.2/13.1600シンガポール出港後南栄丸等とヒ40船団を編成して門司へ航行中/24.0336台湾東方(24゚15'N/122゚19'E)でタンカー、南邦丸とともにアメリカ潜水艦(SS208)グレイバックの攻撃に遭遇、魚雷1本を受けて小破/23(?)高雄入港後基隆で応急修理され帰国

7/25.0400空母海鷹等とマモ01船団を編成しマニラ出港/27.1400高雄入港

10/8門司出港後海防艦沖縄等が護送/16上海入港/20.0230金華丸等からなるモマ04船団とともに舟山列島泗礁山泊地出港後第1師団(玉)兵員約5000名を乗せ/26.2315-/29マニラ寄港後部隊、便乗者合計1850名を乗せて単独でマモ04船団を編成し水雷艇等に護衛されて高雄へ航行中11/1(戦時船舶史、北太平洋定期客船史、#549)or11.0435東沙島東南東110km(20゚17'N/117゚38'E)のバシー海峡を北上中、アメリカ潜水艦(SS403)アテュールの発射した魚雷2本が右舷補機室、第5船倉後部に命中し船内機能停止.0438第4、第5(?)船倉に魚雷1or2本が命中し船尾より沈下.0446直立状態で沈没し便乗者355警戒隊21船員98計474or乗員98or99(#410)名を含む474(戦時輸送船団史)or550(#458、北太平洋定期客船史)名が死亡し乗員201名中130名、便乗者等1432名中977名が救出.

Asama maru.

16947T 21843ft oa178.0pp170.69x21.95x(12.95)x8.69(満載時)m D(三菱ズルツァー8ST68)x4/4 16000(max19108)bhp 20.713/19(航海時)knt

一等239二等47(#549)or96三等504or816(#549)計839+船員329.

船舶番号35343.

船舶符号JFXC.

横浜=サン・フランシスコ間12日3時間22分は当時の太平洋横断速度記録.

姉妹船龍田丸.

准姉妹船秩父丸(1939.1鎌倉丸と改名).

浅間丸級客船3隻の第1船.

2檣2本煙突.

載貨重量8170T.

(2)

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浅間丸

旭海運貨物船

591T.

船舶番号60862.

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巡視船あさま

海上保安庁(1) びざん級巡視船(2/3)PS47

1968計画特130T型特殊救難型巡視船として三菱重工業下関(彦島)造船所で8/22起工11/27進水69.1/31竣工し68.12/28解役された巡視船(PS102)はまちどりの代船として第4管区海上保安部鳥羽海上保安部に配属

76.3/10竣工し鳥羽海上保安部に配属された巡視船(PM80)いすずと交代して/1解役された巡視艇(PC31)はたぐもの代船として/4第7管区海上保安部仙崎海上保安部萩海上保安署に配属(後第10管区海上保安部細島海上保安署に配属?)

88.3/24竣工し萩海上保安署に配属された巡視船(PS106)しづきと交代して/5解役.

(3)

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巡視船あさま

海上保安庁(2) つるぎ級巡視船(5/5)PS205

2002補正計画高速特殊警備船として三井造船玉野事業所で04.4/21竣工し3/29第8管区海上保安部境海上保安部西郷海上保安署に配属された巡視船(PS10)さんべの代船として浜田海上保安部に配属

15在籍.

浜田海上保安部.

(1)


Since 17 Dec. 2001.

Last up-dated, 10 July 2015.

The Encyclopedia of World ,Modern Warships.

#56.

Asama.

Ver.1.15a.

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